東京の堀に通ずる横町にて目隠し鬼で遊ぶ/(Playing blindman's buff in a side street leading to the moat in Tokyo.)
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東京の堀に通ずる横町にて目隠し鬼で遊ぶ/(Playing blindman's buff in a side street leading to the moat in Tokyo.)

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鎌倉の小別荘の庭.3人の若い女の外観と服装は彼女たちが休日に桜の花と春の陽光を楽しみに出かけていることを示している.ウエスト周りに巻かれて背中で弓なりに結ばれた大きな飾り帯<帯>は女の装飾品の主要な物である

京都付近の墓地.遺体はすわった姿勢で葬られる,墓石の群がりがそれを物語っている

寺院の門(増上寺二天門),芝公園,東京.日本中で最も精巧な山門の一つ.数百の記念の石灯籠が側面のどちらの側にも立っている

朝鮮からの銅の灯籠(オランダからの回転灯籠)とオランダからの枝付き燭台(オランダ灯籠).近くに琉球国王によって贈呈された枝付き燭台(オランダからの蓮灯籠)が立っている.オランダ,朝鮮,琉球は昔は日本の3つの属国と見なされていた

ヌミガワ(沼川)から見た富士山.頂上近くの右側の雪を頂いた瘤は最後の噴火の後である

最も大きな寺社の一つの内部,日光

奈良公園の池のほとりの茶店

横浜の百階段.この階段の頂上に1853-4年にペリー提督により占有された小さな茶屋が立つ,その年にアメリカの遠征隊が日本に強要して港を外の世界に開かせた.断崖の縁に建つ茶屋からの眺めは横浜の商業区域と港を見渡す.断崖は外国人居留地の住宅区域(山手)である

被写体 東京の堀に通ずる横町にて目隠し鬼で遊ぶ/(Playing blindman's buff in a side street leading to the moat in Tokyo.)
注記
掲載書名 日本:日本人によって記述され挿絵を入れられた 江戸版 第6部−第10部
編集者名 ブリンクリー/(Brinkley, F. (Frank), 1841-1912)
年代 c1897
請求番号 YP/5/Br
図書ID 000062794
GID GO010114
PhotoCD no. 368