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村松秀直.主君の死後東国に下り,しばらくの間医者として暮らした.ちょうど65歳の時夜襲の時に同様に豪胆ぶりを発揮した
矢頭教兼.浅野の寵臣梶原(?)長助の子孫.父の死後敵討ちのメンバーに加わった.当時17歳
間光興.彼は浅野の大の寵臣で,自分の義務は完全に敵を討つことと感じていた.敵の隠れ場所を見つけ出し武林とともに敵を殺したのは彼であった
三村包常.浅野の執事.身分が低いとはいえ忠義心は他の幾人かよりははるかに厚く彼の心は常に主君の敵討ちを成功させるために捧げられていた
間光風.間光延の三男.常に大工仕事を好みそれにかなり熟達していた.そのことは吉良が新しい屋敷を建てたとき彼の役に立った,というのは彼はそこに雇われた大工の一団に入り,従って建物の平面図を写生する機会を得,それを大石に送った.当時わずか21歳
岡島常樹.彼は浅野の会計の長(勘定方)でありたいへん謹直で正直な人であった.しばしば驚くべき勇敢さを発揮しほかならぬその夜襲の時の彼の功績はさらに輝いていた.当時40歳
間瀬正明.享年62歳.廉直で忠実な忠臣の一人.赤穂の家臣であったとき彼の地位は警察署長(大目付)であった
テラオカ(寺坂)信行.正直で忠義な浅野の家臣.生き延びて先立った他の忠臣たちの霊をなだめよという大石の命に不承不承従って,忠臣たちの切腹後に生き延びた唯一人である