|
■ |
番号 |
1232901 |
|
■ |
呼称(ヨミ) |
ツチノウマ |
■ |
呼称(漢字) |
土の馬 |
|
■ |
執筆者 |
鷲見東一 |
|
■ |
論文名 |
誉田神社の塚と埴生馬 |
|
■ |
書名・誌名 |
旅と伝説 |
■ |
巻・号/通巻・号 |
8巻8号通巻92号 |
■ |
発行所 |
三元社 |
■ |
発行年月日 |
S10年8月1日 |
■ |
発行年(西暦) |
1935年 |
■ |
開始頁 |
48 |
■ |
終了頁 |
49 |
|
■ |
掲載箇所・開始頁 |
48 |
■ |
掲載箇所・終了頁 |
49 |
|
■ |
話者(引用文献) |
|
|
■ |
地域(都道府県名) |
大阪府 |
■ |
地域(市・郡名) |
羽曳野市 |
■ |
地域(区町村名) |
古市町 |
|
■ |
要約 | 古市町大字誉田に神馬の塚がある。その伝説。飛鳥戸部に田辺史伯孫という人がいた。娘から子供ができたという知らせを受け、婿の家に行った。黄昏時に帰途に着き、誉田陵のそばに来ると前方に立派な駿馬に乗った男が駆けていくのを見た。馬好きの史伯孫は追い抜いてやろうとしたがどうしても追いつくことができなかった。前の男は競争をやめると近づいてきて、「この馬がほしいのなら替えてやってもいい」という。史伯孫は喜び自分の愛馬とその馬を取り替えた。翌朝史拍孫が厩へ行くと、昨夜の駿馬は土の馬に変わっていた。土の馬を引いて誉田陵の脇に行くと、沢山の土の馬に混じって自分の愛馬が立っていた。史拍孫は欲にかられた愚かさを後悔し、馬を大事に手がけ、馬が遂に死んだときに塚をたてて弔ったという。
類似事例 |
|
■ |
試験機能 |
|
|
この文献を探してみる |
→国立国会図書館サーチ |
|
|
|
Copyright (c) 2002- International Research Center for Japanese Studies, Kyoto, Japan. All rights reserved. |
|