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番号 |
C0411305-000 |
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呼称(ヨミ) |
ネコ,(オンガエシ) |
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呼称(漢字) |
猫,(恩返し) |
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執筆者 |
宮城縣 |
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論文名 |
妖怪変化・幽霊:事例篇 |
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書名・誌名 |
宮城縣史 民俗3 |
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巻・号/通巻・号 |
21巻 |
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発行所 |
財団法人宮城県史刊行会 |
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発行年月日 |
S31年10月20日 |
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発行年(西暦) |
1956年 |
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開始頁 |
471 |
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終了頁 |
562 |
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掲載箇所・開始頁 |
549 |
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掲載箇所・終了頁 |
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話者(引用文献) |
(河北新報社編『東北の伝説と怪奇』),(NHK調査資料) |
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地域(都道府県名) |
宮城県 |
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地域(市・郡名) |
黒川郡 |
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地域(区町村名) |
大郷町 |
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要約 | 寛政年間(1789~1801),泉永寺住職玄契和尚は高い学徳を持っていたが,暮らしが苦しいので寺を捨てる覚悟をした。長年可愛がっていた三毛猫にも我が子に言うように暇を言い渡した。一方,物持の千田家には一人娘の美知代がいたが,学問好きの美知代は玄契和尚の学識を慕い,三毛猫も娘になついていた。ある時美知代に縁談が持ち上がったが,美知代はこれを嫌い,結納の前夜沼に身を投じてしまう。数日後,葬列が村境近くの一本杉の近くを通りかかると,柩が十数尺の老杉の梢に吊り上げられてしまった。僧侶や修験者たちが修法を行ったが効果がないので,玄契和尚を呼ぶことになった。和尚が数珠をもみ経文を唱えると,柩が降りてきて葬儀を終えることができた。実はこれは愛猫三毛の報恩で,以後寺も和尚も尊信を集めたという。同寺には玄契和尚の描いた大涅槃像が現存する。
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