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番号 |
C0730421-000 |
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呼称(ヨミ) |
ウマ |
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呼称(漢字) |
馬 |
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執筆者 |
梅宮茂 |
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論文名 |
第一編 第八章 民具と玩具・童戯:二 玩具 (二)中通り地方 |
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書名・誌名 |
福島県史 24 民俗2 |
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巻・号/通巻・号 |
24巻 |
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発行所 |
福島県 文書広報部 (厳南堂書店) |
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発行年月日 |
S42年3月31日 |
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発行年(西暦) |
1967年 |
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開始頁 |
617 |
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終了頁 |
629 |
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掲載箇所・開始頁 |
618 |
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掲載箇所・終了頁 |
620 |
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話者(引用文献) |
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地域(都道府県名) |
福島県 |
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地域(市・郡名) |
田村郡 |
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地域(区町村名) |
三春町 |
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要約 | 坂上田村麻呂が大滝根山の石窟に住む大多鬼丸という夷賊征討の出発に際し、清水寺開祖といわれる延鎮上人が仏像を刻んだ余材で鞍馬100匹を刻み田村麻呂に贈った。田村麻呂はこれを鎧櫃に納め戦に出たが、苦戦状態の時どこからか鞍馬100匹が陣営に走りこんだ。兵士たちはそれにまたがり大滝根山に攻め込み勝利した。ところが凱旋の時には鞍馬は皆消えていた。翌日1匹の木馬が三春近在の高柴村で汗まみれになっているのを杵阿弥が見つけ、延鎮上人の鞍馬に違いないと、残りの99匹を自ら刻み補った。3年後には見つけた1匹も行方不明になり、99匹を子孫に伝えた。杵阿弥の子孫は木馬を模作し村人に与えたところ、それで遊ぶ子供は強健に育ち、病気も軽くなったので子育駒の名がたった。
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