カッパ 1955年 静岡県 鍛冶屋島の渡しに河童がいた。人が来ると綺麗な襷に化けて人を引き込んだ。河童は肛門をとる。だから人は笑いながら死ぬ。
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カッパ 1974年 山梨県 遠所集落のおかま淵には河童が出るという。河童は淵で人を引き込み、肛門を抜く。
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カッパ 1935年 茨城県 河童が漁師に捕捉されるとき、放屁したという。相当猛烈な屁だったようだ。尻の穴が3つあったという話もある。
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カッパ 1992年 熊本県 名工が寺普請の際に人手のかわりに藁人形を作った。寺が完成し、仕事のがい藁人形に親方が、人間の尻をとって食べろと言った。そうして藁人形は河童となり、尻をとるようになった。
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カッパ 1985年 熊本県 左甚五郎が藁人形をたくさん作って大名屋敷建築を手伝わせた。人形を川に捨てる時に人形が「何を食べたらよいのか」と聞いたので「人間の尻を食べろ」と答えた。河童が人間の尻をとるようになったのはそれからである。
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カッパ 1955年 山梨県 河童は川流れの人の腸を抜いて食う。新地の子は腸が抜けていたという。またニサクという人の妹が川へ流れて手樽を持って死んでいたが、その尻がなかった。
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ガメ,カメ,タガメ,ゲンゴロウ 1977年 富山県 ガメは深い水底に住み、水浴びをする子供の尻の肛を抜く。胡瓜を食べて川に入るとガメが肛門を抜く。
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カッパ 1978年 新潟県 岩屋堂と坪山の下あたりは、河童が出る場所だった。肛門を抜かれたという。岩谷堂の大岩に河童が立っているのを見たことがある人もいる。
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カワコ 1961年 島根県 平清盛が安芸の宮島に参詣して沢山の人形を作り、それぞれに仕事を命じた。最後に残った人形が命令を請うと「お前はシリに来たから人の尻でも取れ」と命じられた。それでこの人形がカワコ(河童)になって、人の肛門を取るようになった。
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カッパ 1990年 福島県 只見川の河童は胡瓜が好きなので、胡瓜を食べて川で泳いではいけない。河童は子供の尻を抜く。
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カッパ 1928年 島根県 子供が山間の溜池で水泳をしていたら溺れてしまった。引き上げてみると肛門が開いていたので、河童のせいだといわれた。
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カッパ 1935年 熊本県 河童の屁は猛烈なものかはわからない。初夏になると川から山に行く河童は、その途中で放屁をしながら進むという。
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カッパ 1985年 熊本県 左甚五郎が作った人形が夜のうちに寺を建てた。人形を川に捨てる時に「人間の尻をとれ」といって捨てた。これが河童である。そこで河童は仏様のご飯をいただいた人間の尻はとらない。
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ガワッパ 1985年 熊本県 ある神社を建てる時、人夫が足りなかったので殿様が藁人形を作り、魂を入れて働かせた。工事が終わって人形たちが食うものに困り殿様に食料を懇願したところ、お前たちは人間の尻でも食べろといわれ仕方なくそれをとるようになった。河童に始まりである。
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カワコ 1961年 島根県 吉田屋の爺さんが尻の穴に石を入れて川子淵近くの田へ行ったところ、カワコ(河童)が出てきて肛門を取ろうとした。それから数日後、75匹のカワコが揃って坂を越え、池田の八郎淵に移っていった。
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カッパ 1985年 熊本県 悟真寺の開山和尚がある夜用便をしていると、河童が現れ尻をなでた。和尚は怒り河童の腕を追ってしまった。それから河童が夜な夜な腕を返してくれと言って現れるので返してやったら、それ以来中宮川の一部で子供の水難者がでなくなった。
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ガッパ 1975年 熊本県 子供が川で小便する際、「ガッパ引っ込むにゃ親の乳は呑まんぞい」といって川の中へつばを吐くという。河童の祟りで引かれぬためのまじないだろう。
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アマンジャク 1961年 島根県 昔、隠岐島に温泉が出たが、アマンジャクが湯の中に小便をしたため湯の神様が怒り、それきり湯が出なくなった。
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カッパ 1949年 九州 左甚五郎などの大工が、大建築の際の人員不足を補うつもりで人形を作ると、それに魂が入って動き出し、たちまち仕事を終わらせた。その後この人形を川に流したものが河童になって、人の尻を食べるようになったと言われている。
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イシ,タタリ 1961年 岡山県 笠岡市横島の海岸に石が流れ着いた。子供達がその石に小便をしたら大病になったという。またこの石に小便をすると性器がはれるといい、女性の場合には女性の性器が発達して一人前の女になるといってひそかに女の人が小便したりまたがったりした。この石はもとは道通神社にあったという。
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