ホトケ 1982年 新潟県 彼岸の中日に白ボタ餅7個を仏壇に供え、仏はこのみやげの餅を持って一旦墓に帰り、再び夕方戻ってくるといわれる。
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ホトケ 1984年 新潟県 彼岸の中日に仏は1度黄泉に戻るといい、中日とアケの日をさけて棚参りをする。彼岸のアケの日は仏のお立ちの日であり、その前夜特別のご馳走を仏壇に供えてその翌朝は仏が朝立ちをするといってみやげ団子を仏に供えた。
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ホトケサマノアシアト 1971年 福島県 迎え火と送り火をたく。焚いた後の灰に「足跡がついた」といって仏様が帰ったといった。
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ヒガンサマ 1982年 新潟県 彼岸あけには彼岸様が行きなさるといって、みやげダンゴと三途の川の渡し賃を仏様に供え、昼食にうどんをあげて渡し舟に乗り遅れないようにと早く出立させる。
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ホトケサマ 1988年 群馬県 8月1日は地獄の釜あけ、お釜の口明けといい、焼餅をつくって仏様に供える。仏様はその焼餅で地獄の釜をたたいて蓋を開けてこの世にやってくる。
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ミヤゲダンゴ,ホトケ 1964年 福島県 春の彼岸の最終日には、みやげだんごといって、そばだんごを供える風習がある。もっとも新しい仏があの世にみやげにもっていくものなので、急いでつくるものではないという。
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タノカミ 1982年 新潟県 12月8日に田の神が去り、2月8日に再来するといい、小豆ダンゴを供え、ボタ餅をたべるところもある。
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ホトケサマ 1963年 福島県 7月13日の夜は木戸口にて麦藁で迎え火をたく。この煙に乗って仏様が降りてくるといわれる。
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ホトケ 1984年 新潟県 彼岸のアケの日は仏のお立ちの日であり、その前夜特別のご馳走を仏壇に供えてその翌朝は仏が朝立ちをするといってみやげ団子を仏に供えた。
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ホトケ 1962年 神奈川県 彼岸の中日は、仏が天竺に買い物に行くので、おむすびを弁当として供える。
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ホトケサマ 1982年 新潟県 彼岸の中日には仏様が寺参りに出かけるので、肉や魚を食べてもよい日だといい、アケの朝には、仏様があの世へ帰られるので、夕飯には必ず魚を食べ、途中で戻った仏様が戸口で家人の口を嗅ぎ、生臭いので安心して帰られるという。
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ホトケサマ 1975年 新潟県 春彼岸の中日(ナカンダチ)には、仏様が彼岸の日に死んだ人が留守番をしているのでその人たちにおみやげを持っていく。
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ホトケサン 2000年 徳島県 12月の初巳の日はミノヒといって、仏のお正月であるという。この日はオハカサンに竹を組んで注連縄を張り、お供えをして草履も置いておく。家で身内が集まって会食し、夜の12時を過ぎてから墓地に向かい、麦藁を燃やした火で炙った餅や豆腐を食べる。仏さんは藁火の明かりで、人々の様子を見ているとされた。
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ムカエビ 1939年 長野県 13日の夜も白樺の皮を焚いて仏様をお迎えする。焚く場所は数多くは門口であるが、村や同じ村でも字によって一定していない。お迎えするときには「お盆さんお盆さん、このあかりでおいでなして。」「ボンサマボンサマ、このあかりで来とくれ」「ぢいさんまあさんこのあかりで、ござれござれ」となどと唱える。
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カカシサマ 1982年 新潟県 11月15日を案山子アゲといって、ボタ餅をつくって戸棚に供える。この日は案山子様が足をすべらせて天へいけないから、トロロを食べることを禁じている。
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ホトケサマ 1926年 長野県 仏様が自分の命日に、ご馳走になるつもりで墓から出て仏壇に座って待っていた。しかし、家のものは何もしなかったので、爐の側にいた子供を火の中に落として帰った。
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ホトケ 1958年 香川県 七月十五日は小麦粉でコロコロダンゴを作る。十六日の朝になるとコロコロ転がりながら仏が帰っていく。
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ホトケサマ 1958年 香川県 十三日の夕方、山からコエマツを百八本取ってきて束にし、墓の前で焚く。この火を見て先祖の仏さまが来られる。
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ホトケ 1982年 新潟県 春彼岸の前日に墓の上に雪で墓を作り、入口には早朝暗いうちから提灯をつけて墓参りをし、仏は線香の煙に乗ってやってくるといって、煙をなびかせながら家に帰る。朝食には足洗い粥といって、小豆粥や白粥を食べる。
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ホトケサマ 1975年 新潟県 春彼岸の中日(ナカンダチ)には、仏様がごちそうを1度に持って帰れないので、1度帰る。
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