カタハノアシ 1989年 山梨県 奈良田の片葉の葦は天皇が植えたのではなく、天皇の後を慕ってその方向になびいたもので、また1説には葦の葉はすべて婦人の神である奈良田神社の方へ向いているという。村人や西山温泉の湯治客はこの葦をお産のお守りに用いたりしていた。特に塩ノ池周辺の葦でないと利益が薄いという人もいる。
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カタハノアシ 1989年 山梨県 天皇の御還幸の後を慕って数万本の葦が片葉となり、勅使が奈良田に入ると、今の中巨摩郡芦安村御勅使川の方向を指した。
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サクラ 1928年 三重県 源頼朝が源家再興祈願の際、持っていた桜の鞭を逆さまに地面に差し、願いがかなうなら根が生えよといったところ、満願の日には枝葉がつき、花も咲いたといわれている。
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エンシュウナナフシギ 1983年 静岡県 遠州七不思議のひとつに片葉の葦の話がある。秀吉が毎朝釜の切れ味を試したので片葉になったのだという。
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ツエ 1925年 鹿児島県 内ノ浦小田の下川原の森に、景行天皇がこの地に1泊した折に立てた杖が生長した樟がある。
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〔ネナシフジ〕,アベノサダトウ 1956年 宮城県 前九年の役に安倍貞任が敗走して、馬が倒れた時、側にあった銀杏の木の根本に、藤の鞭をかけて去った。これに芽が生じ花が咲いたが、藤はのちに枯れ、銀杏が残る。
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ヨリトモ,ハシ,アシ,ススキ 1930年 千葉県 上総の小食土のあたりを頼朝が巡遊している時、弁当についていた箸を地に刺した。すると、それが成長して蘆や薄の叢となったという。
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ツエザクラ 1961年 島根県 吹雪のために死んだ比丘尼が携えていた桜の枝を挿したのが発芽した。
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シンダイサクラ,ニチレン 1935年 山梨県 新富村の実相寺境内に日本武尊が自ら植えたとされる桜があるが、日蓮上人がこの地に来て、この桜が衰弱しているのを見て樹勢回復を祈願したところ、不思議にも木は繁茂したという。
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カタバアシ 1981年 山形県 片葉葦になった3つの理由。小町の袖が触れたため。小町に道を教えるため。怨霊のたたりのため。
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スギヤクシ 1956年 宮城県 天平(729~749)の昔、孝謙天皇が御不例で、医薬効なく太史に占わせたところ、陸奥にある高さ数十丈の大杉の枝葉が雲をしのぎ、その陰が皇居に達しているさわりと分り、大納言某を遣わして伐採を命じた。某は築館の地に大杉を発見し伐ったところ、伐り口から血が流れ、翌日はふさがって元通りになる。幾ら伐っても同じことであった。杉の東北の広野にある茅萱を縄とし伐り口をふさげば伐れるという占いによりようやく伐り倒す。切りくずは飛散して一片もなかった。天皇の御病も治り、勅命で伐り口に仏堂を立てた。のち慈覚大師が薬師如来を安置した。
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ヨリトモ,ハタサオダケ 1930年 千葉県 竹林山満能院には、頼朝の旗竿竹と称する、節も太さも同じような二本の竹が毎年生えてくる。治承四年に頼朝がこの社を参拝中に、僧が庭の竹を二本切って、旗の竿として献上すると、喜んだ頼朝が褒美を取らせるといった。そして弓を射て、届いた範囲を全て寺領として与えた。
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ニチレン 1972年 長崎県 日蓮が枯れ木の枝を逆さまにさしておいたら、根がついて銀杏になったという。また、焼いた鯛を生かしたことがあり、今でもこの鯛はどこかで生きているという。
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ヨリトモ,ハシ,クスノキ 1930年 長崎県 頼朝が使った箸を地に立てたところ、それが大きな樟樹となっている。
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フダンザクラ 1940年 三重県 白子山子安観音の境内に桜の古木がある。この桜は四季花を絶やしたことがないという。昔、寺が火災に遭ったときに桜だけが一本芽吹いていた。聖徳天皇がこれを聞いて南庭に植えるよう命じたが、一夜で枯れてしまった。天皇は不思議に思って、これを観音寺へ再び返したという。不断桜の葉は妊婦の安産守りになる。葉が裏向きであれば男の子が、表向きであれば女の子が生まれるといわれている。
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カタメノカミサマ 1942年 長野県 梓山区の氏神は、降臨の時、山藤の蔓に絡んで、栗のいがで目を突いたため、それ以後、藤も栗も育たず、植えても枯れてしまう。
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ダイジャ 1983年 岐阜県 天皇が落ち延びてきた先で大蛇に襲われた。天皇の情勢が険しくなったとき大蛇のいた木が爆発し、大蛇が飛び散った。そして天皇は助かった。
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シロツバキ 1929年 大分県 宮園にある大きな白椿は、昔阿蘇の明神様がついて来た杖を刺したのが、繁茂したのだと伝えられている。
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テンペンチエウ 1975年 神代より、女性の髪は1つに結い、男性の髪は2つに結う風習があった。天武天皇の頃、男女共に髪を結い上げるよう詔が下された。しかし、後にその定めはゆるめられた。思うに,この頃天変地異が続き、天皇自身も病気だったことから、神代からの髪の風習を改めたことを畏み、元に戻したのだろう。
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トンボウ 1976年 奈良県 雄略天皇4年の秋、行幸の際に狩りをなさった。その時どこからとも無く1匹の虻が飛んで来て天皇の臂を噛んだ。すると蜻蛉が飛んで来てその虻を噛み殺して飛び去った。天皇はその蜻蛉に感じ入られてその地を蜻蛉の小野と呼ばれた。
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