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検索対象事例

キツネ
1995年 長野県
拝む人が狐をおいだすとき、どうしても去らなかったので鉄砲でおどしたら、患者が川に飛び込み、狐が離れた。

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キツネ
1995年 長野県
狐つきの枕元で行者が祈祷したあと、狐を離したから送り出すといって橋のむこうに狐送りした。
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キツネ
1995年 長野県
結婚式帰りの人が狐の提灯に化かされて、崖から川におっこちた。しかし狐に化かされているから怪我もしなかった。
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ヨメニトリツクキツネ
1979年 愛知県
嫁に憑いた狐は、嫁ぎ先にまでついてくるので、婚家では予告なしに鉄砲を撃つことでそれを払った。狐はこの音に驚いて逃げるのである。
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キツネ
1926年 長野県
20名の浄土宗の一行と鉄砲打が銃身から覗いたら、僧が狐に見えた。銃を撃つと狐になって山へ逃げた。その後、鉄砲打の家は狐に祟られて死に絶えた。
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カシコヌマ
1936年 福島県
ある男が賢沼で鴨を鉄砲で撃った。泳いで取ろう水中に飛び込むと、水が身体に粘りついて動けず、ようやくのことで岸に這い上がった。
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キツネツキ
1935年 秋田県
狐憑きを落とすのは、法華宗の寺僧やノリキ(祈祷師)に頼むが、だいたいの作法は憑いた人間を仏壇の前に据え、祈祷師は団扇太鼓を鳴らして読経する。すると大抵の患者は狐のような形相をして逃げ出そうとする。それを捕まえて「まだ離れぬか」と責め付け、経巻で身体を叩いたり殴ったりする。そして離れると誓った時は炊いた小豆飯を小舟に載せて燈明をつけ、夜の十時過ぎに川に流すという。
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キツネ
1980年 秋田県
狐を生け捕った人が狐に憑かれて、おかしくなった。お稲荷様が来て「狐を逃がせば治る」と言ったのでそうしたら、その通りに治った。
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キツネ
1954年 神奈川県
愛川町では、以前、精神病者は狐憑きとされた。この狐を離脱させるためには、滝に連れて行って滝に打たせた。あるいは、御嶽神社のおおかみさまを招いてきて、憑いている狐を追い出してもらうと言われていた。おおかめさまが来ると、病が高じて死ぬこともある。死ぬと狐が離れると言われ、離れる時身体のどこかに穴を開けて抜け出ると言われていた。
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キツネ
1938年 長野県
ある人が野原にわく湯に入って提灯を持って帰っていると、近所の人がぼんやりたたずんでいた。近付くと地蔵であった。提灯を後へ差し出すと狐が鳴きながら飛び出し、薮の中へ逃げた。
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キツネ
1987年 奈良県
山に蕗を取りに行ったら狐に化かされた。帰ってくると木や下草が全部蕗に見えるのだと言う。ボケたようになってひとりでに出歩き、山に入るようになった。たまりかねて猟師が鉄砲で撃ったら、狐が落ちた。
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キツネ
1982年 東京都
子供がけがをしたので拝む人を頼んだら狐がやってきて憑いてしまった。狐はたかるのではなく頼ってくる。また人を頼んで拝んでもらい、狐を出した。その狐を放り出すわけにもいかないので、屋敷神にまつった。
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キツネ
1974年 栃木県
狐がいて、鉄砲や槍や火で攻めても死ななかったので祈祷をしたら、死んで石になった。そこから吹く風に当たると病気になる。六三を信仰すると治ると言う。
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キツネ
1979年 岐阜県
狐を鉄砲で撃つと、化けたり祟ったりする。
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キツネ
1996年 茨城県
明治時代の話。ある家の娘に狐が憑いて、地元の山伏が祈祷をしたら、娘が庭に飛び出して気絶し、狐は落ちた。
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オイヌサマ,キツネ
1995年 長野県
狐に憑かれるのを防ぐためには三峰山からお犬様を借りてきて座敷へ祀る。狐つきを追い出すには食べ物や鉄砲を使う。
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キツネ
1982年 東京都
狐が憑いて粟を食べさせたり、おばあさんに化けたりした。拝んでもらうと井戸へ飛び込んで、途中まで上がってきたが落ちて死んでしまった。
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キツネツキ
1922年
狐憑きという者も昔は沢山あった。少しでも精神に異状が起きると、狐が憑いたといって庵主というものを頼んで祈祷してもらった。すると狐憑きの体から狐が飛び出して逃げるという。
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キツネ
1982年 宮城県
狐をいじめると祟りがある。狐を鉄砲で撃ち殺した人が、山で鉞で怪我をした。狐の祟り。
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ヤブギツネ
1955年 静岡県
狐つきは河原へ埋めたり沈めたりして落とす。藪狐を鉄砲で殺した男の妻へ憑いたりしたことがある。
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キツネ
1978年 山梨県
狐にたかられたら、送る儀式をして放す。ある人が油揚げと稲荷の札を持って河原の橋においてきた。途中、人に会っても目を向けたり話したりせずに行って帰ってこなくてはならない。
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