レイ,イナリ 1978年 愛知県 旅人を泊め石の枕で殺して物を取っていた老婆が死んでから祟るので、里人は祠を建てて祀った。後に稲荷と呼ぶようになり村の産土神になった。
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レイ,イナリ 1977年 愛知県 旅人を泊め石の枕で殺して物を取っていた老婆が死んでから祟るようになったので里人が祠を建てて祀った。後に稲荷と呼ぶようになり村の産土神になった。
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(タタリノアルタ) 1989年 長野県 大村の方に辻蔵という人がいた。田をたくさん持っていたが、お人好しだったので周囲から田を取られて辻蔵の田は少なくなった。辻蔵は「田を作る者に祟る」と言い残して死んだ。以後、この田の持ち主は運悪く死んだり大病をしたりという不幸が続いた。農地解放後、持ち主が辻蔵の霊を祀ったという。
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キヘエショウヤノタタリ 1971年 岐阜県 天明年間に、喜兵衛という庄屋が年貢減免を妨げたので農民は怒って、喜兵衛を石コロ責めにして殺した。1960年頃、野志集落で火事が続いたので、喜兵衛庄屋の祟りということになり、4月6日の弥勒さんの祭りのときに、ついでに和尚さんに喜兵衛庄屋の塚も拝んでもらう事にした。
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オヒメサマノオンリョウ,タタリ,ジヌシサマ 1983年 岡山県 玉野市石島の西の地主様には、以下のような由来である。昔この島が無人島であった頃、この島に降り立って置き去りにされたお姫様の怨霊が祟った。ところが、この地主様を祀り始めたところ、祟りはなくなったのだということだ。
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マリシテン,ヤマブシ 1983年 岡山県 天正の頃、村人が村にやって来た作法知らずの山伏を切り殺してしまったところ、悪疫が続いた。これは山伏の祟りであろうということになって祀ったのが、現在ある摩利支天なのだという。
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ゴズテンノウシャノタタリ 1985年 愛媛県 牛頭天王社が三島神社に合祀されたあと、その社地が売りに出された。買い主がすぐに畑にしたら、山から石が転げ落ちたり、死人が出たりした。天王社の祟りとされ、耕作することを止めた。
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ゾクキ 1976年 和歌山県 6月1日に、牛を引く者、あるいは葬列を送る者が通ると祟りがあるといって恐れている畑がある。かつて、堀江十郎左衛門という人が牛に乗ってここを通った時に死んだので、その属鬼が祟りをなすという。
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ヤマブシ,タタリ 1929年 北海道 あるとき上国の山伏が祈祷を行い、大漁となったら自分の願いも叶えて欲しいと言った。漁の時期は過ぎていたが、祈祷の結果、大漁となった。しかし村人は約束を守らず、憤慨した山伏は絶食して死んだ。そして遺言どおり、不漁の時でも上国だけは鯡が大漁であった。山伏の祟りによる不幸もあり、神に祭ることにした。
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タタリ 1997年 長野県 山伏が亡くなる時に、どんな願いでも叶えてやるから祀ってほしいという。しかし、祀るのを怠ると、村や人に災いが起こって、願い事も祠の正面で拝まないと聞き届けてくれなかった。
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(センシシャノタタリ) 1989年 長野県 村一帯に悪病が流行ったときに巫女に拝んでもらうと、戦死者の霊が祟ると言われた。千九人童子の墓という碑を建てると治ったという。
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タタリ 1930年 山梨県 某という者が盗人をして困るので、村人たちは相談して村の辻で殺した。殺された者が祟るというので、辻に延通庵という御堂を建て、観音様を祀った。
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(イヌガミ) 1980年 岡山県 備前児島郡の農民は昔犬神を祀ろうと思ったが、犬を殺した場所のわずか数間離れたところには、五穀は実ることなく、また家を建てるとその家に怪事が絶えないという。
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(オチムシャノタタリ) 1955年 静岡県 敵に追われた武者がダイコクノクボで殺された。死体をそのままにしたら、近所の家に祟った。八幡様を祀ったら祟りがおさまった。
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ヤマブシ,タタリ 2000年 香川県 文政7年(1824)に書かれた『壺井家先祖聞書』によれば、ある年の8月の氏神ご祭礼の折、坂出村年寄・壺井家の先祖市左衛門が山伏と口論となり殺害される。坂出村の者達は、山伏がどこの者か分からず、また敵討ちだとして石で打ち殺した。その後、山伏の祟りか、村に変事が多発した。そこで荒神の東に石の社を建てて、山伏を神として祀ったという。
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ワカミヤサマ 1933年 山口県 昔、若宮様という者がいて、松田という者と何かの恨事でここで斬り合った。その時松田の家来が若宮様を背中から斬り付けこれを殺した。そこで若宮様の家来は松田を討って仇を報じた。しかし若宮様は夜になると「勝負しようや」と言いながら鉦を叩いて出てくるのであった。そこで土地の人は祠を建てこの霊を慰めた。
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ゴズテンノウ 1987年 長野県 昔,村の人が馬を曳いていると馬が大きな穴に足を取られてしまった。するとその穴の底から「俺は牛頭天王だが,俺を祀ってくれないと村中に祟ってやる」という声が聞こえた。そこで村中で祀ることになり,今は村の東方の馬場山上に祀ってある。
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ジガミノタタリ 1984年 新潟県 ある家の主人が風邪を引いたようになって寝込んだが、そのうちに口が利けなくなり、耳も痛くなってきた。入院したが、病名がわからない。「八海山」が神さまにうかがったところ、「地神さんの祟り」ということがわかった。その家の地神は屋敷の藤の木の根元にあり、毎日お椀1ぱいの飯を上げていたが本尊のムジナの眷属が多くなってそれでは足りなくなったという理由であった。早速たくさんの供え物をしてまつったところ、主人は急に回復した。
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シチベエ,タタリ 1985年 愛媛県 昔、ドゾの谷にいた七兵衛が洪水で家もろとも流されて死んだ。その後、部落では不作が続き病気が流行ったので、村人たちは七兵衛さんの祟りと言って、墓を作り祭るようになった。
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シニン,タタリ,サクラ 1989年 長野県 昔城があった場所には生き埋めにされた武士を供養するための塚があった。その塚が崩されて田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。
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