ニッタダイミョウジン 1983年 東京都 新田義興は、延元3年9月、江戸遠江守・竹沢右京亮のために、矢口村で自殺し入水した。その後、江戸・竹沢の両人は、義興の霊が祟って程なく死んだ。また矢口村にも怪しいことが度々起こったため、人々は恐れをなし、社を建てて新田大明神と崇め奉った。
類似事例 |
|
レイ 1975年 東京都 義興をまつった武州矢口の新田明神の垣の内のものは草の葉でも取ってはならない。禁を破れば義興の祟りをうける。
類似事例 |
|
レイ,ボウコン,オンネン 1975年 武蔵国多摩郡中野に陣取り、奸計により討死した平将頼の霊が戦場にとどまり人々に祟をなした。480年程の間怨念は残っていたが、延文の頃一遍上人の3代目真数坊が芝崎村に草庵をつくり供養した。後の神田橋日輪寺である。また将頼の兄将門を神にした。東国に祟をなした霊は将門ではなく将頼のようだ。
類似事例 |
|
レイ,ウマ 1976年 東京都 新田義興の霊が角の生えた馬に乗って江戸遠江守を誅罰した。
類似事例 |
|
シンメン 1937年 京都府 矢田神社の祠壇に登り、神面を仰ぎ見たものは、たちどころに目がくらみ、鼻血を出して投げ出され、唖となってしまった。当社の神田を没収し、社殿を壊した明智光秀も逆臣として百姓の手にかかって殺された。ある人が神面を取り出したら目がくらんで倒れ、ついには癩病になって死んだ。
類似事例 |
|
ヤマバト,ハチマンダイボサツ 1974年 東京都 寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
類似事例 |
|
シンパチミョウジン 1956年 宮城県 新八は白石運三郎という侍の小作人の次男で、おかいぼ取りと称する使い走りを務める親孝行の若者だった。兄の嫁は根性曲がりの女で舅を虐待した。文化(1804~1817)の頃、兄嫁は大師講の団子に針を入れる。新八が親にすすめると針が出る。兄嫁は新八が父を殺そうとしたと代官に訴える。新八は兄嫁を思って口を開かず死罪にきまり、「首が北向きに落ちたら無実だ、必ず祟る」といって死ぬ。間もなく新八の家は没落する。村人は花川の岸辺の岩出山街道の傍に碑を立てて、新八明神と称した。
類似事例 |
|
オハルジノカミ 1972年 沖縄県 氏神であり、産土神であり、農業・漁業の神である大主の神(オハルジノカミ)、ある島の長者が訳も無く大主の神の社を焼き払ったところ、祟りを受けて自身のみならず子孫まで死に絶えた。
類似事例 |
|
タケコマイナリ,キツネ 2003年 福島県 昔、鎌田村の竹駒稲荷に加茂左衛門という男が奉仕していた。加茂左衛門は竹駒稲荷の神位昇叙の際に手を出し、自らの手に正一位の印を押されてしまった。竹駒稲荷の宮司は加茂左衛門に永久に社に仕える事を要求したが、両親に会いたくなり帰宅する。しかし加茂左衛門はいつの間にか口裂け眼光りの狐になってしまっていて、自宅から追い出される。信夫山の狐である権坊に助けを求めるが、村に戻った加茂左衛門は村人から恐れられ法印の祈祷によって石ヶ森の岩窟に封じられた。
類似事例 |
|
イシヅカダイミョウジン,タタリ 1975年 愛知県 豊丘小学校の裏山に石塚大明神がある。昔、ここは野間で殺された偉い人、源義朝か鎌田政家を埋めた場所で、子供の頃から石塚さんの石ひとつでも触れると祟りがあると恐れられて近寄らなかった。
類似事例 |
|
ニッタシロウヨシサダ,ニッタヨシサダ,タタリ 1940年 岐阜県 新田義貞が死んだとき、骸骨が蚕に変身し、そのまま川に入って以後、村では火災が後を絶たなかった。それは新田義貞の祟りであるとされ、墓が建てられた。
類似事例 |
|
ヤエモンサマ 1979年 静岡県 昔、泥棒がいた。村人に追われて、天竜川まで追いつめられて村人たちに川に突き落とされて死んだ。ところがその後、祟るようになったので、ヤエモン様として公民館の前のところに祀ったという。
類似事例 |
|
オニ,ハシヒメ,キシン 1974年 京都府 攝津守頼光の時人が消える事が続発した。よく調べてみれば嵯峨天皇の御宇にある公卿の娘が嫉妬の為貴船の社に願を掛け、鬼のような姿で夜宇治川へ向かった。その姿を見た者は死んだ。三七日宇治川につかると生身の鬼になっていた。その後、妬む女や自分をもてあそんだ男の親類など、思うままにとり殺していった。
類似事例 |
|
オニ 1979年 岐阜県 天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
類似事例 |
|
オニガミ 1936年 鳥取県 昔諸鹿の山中に不々岐という鬼神が住んでいて、若桜の里に出ては人々を苦しめた。それを聞いた亘理の村に住んでいた古太刀の神が不々岐を退治した。その後、この村にさまざまな災いが起こり、これは不々岐の魂が祟っているということになり祠をたてて権現様とあがめた。
類似事例 |
|
タタリ 1975年 神奈川県 大坂の陣で討ち死にした武士の家に伝わっていた武具を農具に加工したり、売り払ったりした所、祟りのためか玉川が決壊し、田地は水につかり、書物は流された。以来、その家の先祖を大原大明神として祀った。
類似事例 |
|
ダイジャ 1967年 福島県 菅沼平というところがあり、今は水が無くなり谷地になっている。承平年中、平将門の女弟がこの国に来たのだが、藤原秀郷のために嫉妬の恨みにより自害した。その魂は大蛇になり菅沼に住み、建久年中になり、人身御供をとるなどして村人を苦しめた。ところが白鳥大明神の霊験により大蛇を射殺することができた。大蛇を退治して帰ってきたところを来の原といっているが、今は北の原ともいっている。
類似事例 |
|
エイゾンホウイン 1956年 宮城県 栄存法印は高僧として衆人の帰依が篤かったが,笹町家当主新左衛門頼重が嫉んで讒訴を行い,寺領を悪田とすり替え,住民に神域を掠めさせた。遂に江ノ島に流罪された法印は,笹町家一味及び石巻湊町に対し呪詛の修法を勤行したので,湊町にはしばしば大火が起こった。但し法印を庇護してきた高橋某家のみは災いを免れた。3年後の天和元(1681)年二月,法印は「口に鰹節を挟み,湊町を望む地に身を逆さまに埋めよ」という遺言を残して死ぬが,島民がこれを守らなかったところ関係者が病気となり,島に不漁や凶事が重なったため,改めて遺言通りに埋葬し供養を行った。埋葬場所は現 栄存神社。一方,笹町家では法印の呪いによって当主頼重がしばしば栄存の幽鬼に襲われ,自分の肢を斬ったり息子彦三郎安頼や妻女を斬殺したりした上,発狂した。九族も死に絶えた。享保頃(1716~36),法印の赦免を請い,霊を牧山に移して長禅寺に栄存神社として祀った。今でも旧2月6日の命日を御縁日として祭を行う。
類似事例 |
|
ミコ,タタリ 1985年 愛媛県 神子が村に来て宿を借りようとしたが断られ、何者かに殺害された。後に宿を拒んだ家に祟りをなしたので若宮を建てて祀った。
類似事例 |
|
キツネ,タタリ 1989年 長野県 近隣の人々が下原山の草刈り場へ草刈りに行き、そこで白面双尾のきつねに出会い、それを追いかけて捕らえ、庄助さの家で食べた。以来、食べた人たちが疫病に悩まされたので行者にお伺いしてみると、きつねを食べた祟りだった。それで、きつねを正一位稲荷大明神として祀ったという。
類似事例 |
|