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検索対象事例

コンハク,ハクレイ,ユウレイ,ユウコン
1974年
魂魄に関する事例書き上げ。実盛の魂は冥途に行きながら魄はこの世にとどまった事。朝長の魂は膳所に行ったが魄は修羅道に残った事。日蓮の魂魄が佐渡へ行った事など。

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イナムシ,コウチュウ
1976年
畿外の人が蝗を追う時、「実盛去れ」と言うのは斎藤実盛が蝗に化したためである。中国でも蝗は戦士の魂が化したものだとする。
類似事例

タマシイ
1995年 鹿児島県
昭和のはじめごろ、体調不良が続いた勝浦の男性が魂が抜けたのだと考えて、屋仁、佐二まで自分の魂を取り戻しに行ったことがある。
類似事例

タマシイ
1968年 佐賀県
人が死ぬと、その魂は広島へ行く、という。
類似事例

(ゾクシン),タマシイ
1933年 神奈川県
死者の魂は49日までは家の屋根にいる。百か日までは大山(阿夫利山)におり、そのあとは善光寺に行くという。
類似事例

ニチレン,ゾウ,レイ
1928年 神奈川県
日蓮が伊東に流された時、弟子の日朗は由比ガ浜で日蓮の像を作って毎日崇拝していた。三年後に日蓮が釈放された時には、喜んで心身がこの像に乗り移った。衆生の厄をはらう為に、像に霊が入った。
類似事例

レイキ
1977年
死後、霊気は常世の国に行く。常世とは異国のことではない。
類似事例

ヒトダマ
1983年 東京都
人が死ぬとお山(本門寺)に魂が飛んで行き、墓に人魂が入ると人が死に、人が死ぬと墓から出て行くとも言う。袖越しに人魂を見ると顔が見えると言われる。
類似事例

キジン,オニ
1974年
神というのは気が盛んなことであり、魄というのは鬼の盛んなことである。気は魂であり鬼は魄である。
類似事例

ヒトダマ
1990年 長野県
浅間温泉に行った帰りに、人魂が伊深から矢作の方へ行くのをみたことがある。
類似事例

ヒトダマ
1984年 山梨県
人魂は夜なべに万年寺の方に出たなどといった。死ぬときにはタマシイが抜けてしまう。
類似事例

シシャノレイ
1995年 静岡県
死者の霊は死後、または埋葬後、日金山にお参りに行く。
類似事例

ヒトダマ,ヒノタマ
1995年 愛知県
人魂、火の玉は魂。人が死ぬと出て行く。昔は人魂が歩いたと言われる。
類似事例

レイコン
1984年 愛知県
死ぬと行者の霊魂は御嶽に帰る。
類似事例

タマシイ
1949年 秋田県
魂は死の直前に故郷や生家、肉親などを訪ねる。樺太で死んだ兄は死の直前、夢現の中で「俺は故郷へ行って来た」と言ったそうだ。そのころ郷里にいた兄の息子は、夕方兄に会ったようだ、と語っており、その後まもなく死の報に接したと言う。
類似事例

(フホウ)
1986年 埼玉県
死後、魂は寺へ向かう。女だと勝手口から入り、擂り粉木で味噌をする音がし、男だと表から入るので本堂がうるさくなる。
類似事例

コンパク,ホノオ
1934年 滋賀県
『諸国里人談』に、志賀の油売が、辻の地蔵の油を盗み、死後その魂魄が炎となって大津八町を飛行するとある。
類似事例

(ゾクシン)
1973年 香川県
葬送に関する俗信。人が死ぬと霊が広島へ米を買いに行くので、死者のことを「広島へ米を買いに行った」と言う。猫が死者をまたぐと生き返るので、死者をまたがせてはいけないという。葬式の翌日に墓に行き「山に参ります」と言って背負う真似をして弥谷寺へ行くが、このとき死者を背負った人つまり魂が取り憑いた人は、草履がちびるとか足取りが軽くなるという、など。
類似事例

シノヨソク
1944年 秋田県
極楽浄土行きを熱心に願う坑夫がいた。ある時成仏の時期を予知し、妻子と別れの杯を酌み交わし、夜陰月明に乗じて梅の木に登ると、急に彩雲がたなびき、男はその中に姿を没して行方がわからなくなった。極楽往生によって身体は消滅し、魂が浄土へ行ったのだという。
類似事例

ヒトタマ,コンパク,ヒトダマ
1974年
人魂とは流星である。また、魂魄とぶとも言う。日本紀略昌泰二年、尾の長さ五,六尺の流星が飛んだがそれを人魂としるしているのが証拠である。
類似事例

タマシイ
1970年 鳥取県
死んだ人の魂はすぐに破風からでていく。冥途に行くとも、摩尼山に行くともいう。初めての彼岸には摩尼山参りをすることになっている。
類似事例

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