デエラボッチ 1916年 東京都 池の窪と称する、足跡といえばそう見ることのできる形をしたくぼ地がある。昔、デェラボッチが富士山を背負おうとして踏ん張った印という。
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デイラボッチ,デイラクボ 1977年 神奈川県 デイラクボと呼ばれる窪があるが、ここには、デイラボッチの足の裏の形が残っていた。
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デイラボッチ 1977年 神奈川県 村富神社付近・南橋本駅の東側・旭中学校の西側・向陽小学校の北側などにある大きな窪地は、デイラボッチがフンドシを引きずった跡だと言われており、「ふんどし窪」と呼ばれる。
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ディラボッチャ 1915年 長野県 ディラボッチャの足跡というところがいくつかある。広さは100坪、深さは平均2尺位の窪みで、湿気の絶えない窪地や池になっている。昔、ディラボッチャが歩いた跡だと伝えられている。
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オニ,ダイダラボッチ 1988年 長野県 疣石にある溜水の窪みが鬼の手の跡といわれている。ダイダラボッチ鬼神の足跡は伸びて行き、砂鉄のある場所までたどり着く。
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デーラボッチ 1978年 山梨県 小学校へ行く途中に大きな水たまりがある。それはデーラボッチの足跡と言われている。
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デイランボー 1987年 長野県 字大原にあるくぼ地は,デイランボーの足跡だとされる。大昔の巨人の足跡だという。
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デエラボッチ 1916年 神奈川県 昔、デェラボッチが富士山を背負おうとしたが、ふじ蔓を見つけることができず、ジンダラ(地団太)を踏んだあとが、鹿沼と菖蒲沼になった。
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デイラボッチ 1977年 神奈川県 昔、デイラボッチが富士山を担いで西から東へ旅をしていたが、途中、休もうと富士山を背中からおろしたところ、再び担ごうとしてもびくともしなかった。このときにデイラボッチが地団太を踏んで悔しがった跡が鹿沼であり、またの名を「じんだら沼」ともいう。
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デエダラボッチ 1940年 千葉県 デエダラボッチという巨人の足跡だと言われているところがあちこちにあるとされ、酒々井町酒々井の西井戸に1つ、酒々井町の下台の谷上りに1つにあると言われている。
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デーラボー 1987年 長野県 「のたすり」という山上にある深さ3,4尺のくぼみは,デーラボーの足跡だといわれている。
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デーランボ 1987年 長野県 村の入口の二ッ木の田の中に,デーランボの足跡といわれるくぼみを持った石がある。
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デエダラサマ,デエダラボッチ 1982年 東京都 何であったのかデエダラサマ、デエダラボッチとかいった。そのあとがくぼんだとかいう。
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デエラボッチ 1916年 東京都 付近の山から離れた小山がある。昔、デエラボッチが背負ってきたが、縄が切れて落ちた。ふじ蔓で縄を繋ごうとしたが見つからず、デエラボッチは悔しがり、この小山にふじが生えないようにした。
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ババノクボノバケモノ 1987年 山口県 婆の窪という所には、よく化物がでたらしい。
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デーラボー 1978年 山梨県 大坊から教来石の池の平まで歩いたときの、デーラボッチの足跡と言われる跡がある。
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デエダラボッチ 1940年 千葉県 デエダラボッチという巨人の足跡だと言われているところがあちこちにあるとされ、安食町の龍角寺にある足跡は、印西と印東にまたがって小便をしたときのもので、印旛沼は小便がたまったのだという。また、安食町にある大鷲神社の山は、その時に背負っていたものを落としたのだという。
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デイダラボッチャ 1929年 長野県 デイダラボッチャが藤蔓でからげて山を運んでいた時、藤蔓が切れて山を落としてしまった。その時藤蔓を投げて落ちたところが藤塚で、その時怒って藤蔓を呪ったのでこの地には藤蔓が生えないという。
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オオオトコノアシアト 1982年 新潟県 昔、能生町の大洞に大男がいて、仙納まで5足か6足で行き、今でもその足あとが残ってくぼ地になっている。
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デイラボッチ 1989年 長野県 デイラボッチが諏訪湖を埋めようと思って佐久の方から大泉山と小泉山を担いできたが、一休みしている内に根が生えてしまい、そのまま捨てていったという。
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