コソデガイ 1923年 高知県 尊良親王の御息所匣の前を家臣である島村武文が供奉して土佐へ渡航するとき、海賊に御息所を奪われ、武文は斬死を遂げた。その怨霊が蟹になったといわれる。この話は土佐では小袖貝の伝説として残っている。
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タケブンカニ 1975年 兵庫県 摂州大物浦に海人が武文蟹と呼ぶ蟹がいる。これは尊良親王の随身であった秦武文が、松浦の枝に謀られて御息所を奪われる。武文はこれを追って大物浦で自殺し、その寃鬼が風濤を起こして主を救い、ついに蟹に変化したという。
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シマムラガニ 1972年 兵庫県 細川高国が野里川に敗れた時、浦上村宗の家臣、島村弥正エ門ただ一人踏止まって斬死して、川に投身してはてた。それが蟹になったので島村蟹という。
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コソデガイ,タケブンガニ,リュウジン,オキノヒ 1972年 兵庫県 御息所を守っていた秦武文が、松浦五郎にだまされ、腹を十字に切って海底の竜神になった。のちに秦武文は沖の火になって灯るようになった。御息所の衣の片袖が小袖貝になり、武文は武文蟹になったという。
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レイ,トウソンガニ,ブモンガニ,ヘイケガニ 1975年 兵庫県 摂津国尼崎兵庫の浦に、怒った顔をしたような甲の蟹がいるが、これは松浦五郎の為に殺された秦武文の霊であるという。
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タケブンガニ 1976年 兵庫県 元弘の乱の時、摂津国兵庫の海で死んだ秦武文という男の怨霊が蟹になった。ゆえに兵庫と明石の蟹を武文蟹という。大きさは1尺程もあり、はさみは赤く白い斑がある。
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シマムラカニ 1975年 大阪府 摂州安里河に島村蟹と呼ばれる蟹がいる。これは享禄4年に三好海雲と戦って敗走した細川高国の家臣・島村貴則が、苦戦して主を救い、ついに安里河で没したところ蟹に化したことから名付けられたという。
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タケブンガニ 1961年 兵庫県 武文蟹は兵庫明石の浦で取れる。元弘の乱(1331)で戦死した秦武文が蟹になったものである。
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コタケブンガニ,シマムラガニ 1976年 兵庫県 享禄4年に細川高国が摂津国で三好と戦った。家臣の島村某がそこで死んだので、尼崎の浦の小鬼蟹を俗に島村蟹という。大きさは1,2寸程で丸く、腹に鬼の顔のような紋がある。
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オサダガニ 1923年 愛知県 長田忠致が源頼朝に誅され、その怨霊が長田蟹になったと伝えられている。蟹の甲文に人の面に似たものがあるので付会されたもの。
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シマムラガニ 1961年 兵庫県 島村蟹は尼崎で取れる。享禄(1528)年間、摂津の三好細川の戦いで、細川の家臣島村氏が敵2人を両脇に抱えたまま入水し、蟹になったものである。
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ヘイケカニ 1975年 寿永の乱で平氏の人間が屋島や壇ノ浦で死んだのだが、彼らが寃魂化して怪しい蟹となった。今になってその蟹の背中は、怒った人の顔面のような模様になっているという。
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カニノヨウカイ 1977年 滋賀県 かにケ坂に現れた蟹の妖怪が旅人を悩ましたため、弘法大師に圧伏された。
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オサダガニ,オサダガイ 1991年 愛知県 甲羅の模様が人の顔に似ている蟹が野間の海岸で取れる。「長田蟹」と呼ばれており、頼朝に殺された長田父子の恨みが蟹に宿ったものだという。また、長田父子の死体を埋めた長田山から出る貝の化石も、長田父子の化身と言われ「長田貝」という。
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ヘイケガニ 1976年 香川県 讃岐国八島の浦の蟹を平家蟹と言い、平家一族の怨霊が蟹になったという。
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オニガニ,キメンガニ,ヘイケガニ 1993年 赤間の関の合戦で敗れ入水した平家の兵たちが蟹となった。摂州では武文蟹、島村蟹ともいわれている。
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エイゾンホウイン 1956年 宮城県 栄存法印は高僧として衆人の帰依が篤かったが,笹町家当主新左衛門頼重が嫉んで讒訴を行い,寺領を悪田とすり替え,住民に神域を掠めさせた。遂に江ノ島に流罪された法印は,笹町家一味及び石巻湊町に対し呪詛の修法を勤行したので,湊町にはしばしば大火が起こった。但し法印を庇護してきた高橋某家のみは災いを免れた。3年後の天和元(1681)年二月,法印は「口に鰹節を挟み,湊町を望む地に身を逆さまに埋めよ」という遺言を残して死ぬが,島民がこれを守らなかったところ関係者が病気となり,島に不漁や凶事が重なったため,改めて遺言通りに埋葬し供養を行った。埋葬場所は現 栄存神社。一方,笹町家では法印の呪いによって当主頼重がしばしば栄存の幽鬼に襲われ,自分の肢を斬ったり息子彦三郎安頼や妻女を斬殺したりした上,発狂した。九族も死に絶えた。享保頃(1716~36),法印の赦免を請い,霊を牧山に移して長禅寺に栄存神社として祀った。今でも旧2月6日の命日を御縁日として祭を行う。
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オオガネ 1972年 鹿児島県 慶応年間の6月の梅雨時、安山家の屋敷の前の道路とヤマンカン馬場の接する三叉路で安山松之丞等が甲羅の大きさが畳の半分ほどの毛が生えた蟹に遭遇し、これに刀で切りつけた。蟹の甲羅は固く刀の刃が折れたが、もう一本の刀で目を切りつけるとこれを切り落とすことができた。蟹は退散し、血痕は海まで続いていた。昭和六年ごろまでこの目玉は保管されていた。また、梅雨前になるとヤマンカン馬場の南方道路のほうからウーンウーンと正体不明のうめく声が聞こえてくることがある。
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クギョウニバケタムジナ 1956年 宮城県 百五,六十年程前の話。地方巡検にきた公卿の一行が片浜下の畠山家に泊まる事になった。この公卿は魚が大好きで,鰹など家人の驚くほど貪り食った。七日ほど滞留したが,その間一度も入浴せず,また犬を大変嫌っていた。余り外出しなかったが,たまに出て行くと犬が集まってきて異様に吠える。出発の時も犬を避けるためか,舟で出て行った。公卿は気仙の有住で群犬に襲われて咬殺され,狢の正体を現した。この古狢は京都のある寺に棲んでいたのが奥州に下ってきたのだと言う者もいる。畠山家と階上村の近藤家には,お公卿様が書き与えられたという護符の掛軸がしまってあるといわれる。
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レイ,ヘイケガニ 1975年 山口県 長門国赤間関の辺りに、怒った顔をしたような甲の蟹がいるが、これは元暦二年戦に負けて入水した平家の霊であるという。
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