ミサキブロ 1963年 岡山県 横死した人を祀ったのがミサキブロともいう。昔、ミサキブロを専門に祀る人がいて、あちこちでミサキブロを祀らせた。
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ミサキサマ,アクマ 1963年 岡山県 首吊りや行き倒れの死人はミサキ様として祀る。悪魔に誘われたのだとして、手厚く葬る。
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サンニンミサキ 1983年 岡山県 北房町下呰部にはまた、三人ミサキといわれるものがあり、これは、子守とそれに負われていた子の溺れ死んだ霊と、そこを通りかかって川に落ちて死んだ人の霊とを祀っている。
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ミサキドリ,ミサキ 2000年 香川県 ミサキは水死人、祀り手のない仏、無縁仏である。また、ミサキギリという行事があり、拝む人に頼んで拝んでもらったというが、口寄せの話は絶えて久しく、何十年も前のことで記憶もたどたどしい。
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ミサキ 1963年 岡山県 笠神岩には、筏流しのとき座礁して死ぬ人が多いので、ミサキを祀る。
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カワミサキ 1983年 岡山県 北房町下呰部には、溺れた子供を祀った川ミサキがある。それが祀ってある川に落ちると生きては帰れないといい、これをミサキが誘うという。
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ミサキ 1970年 岡山県 ミサキについて。不慮の死をとげた人をフリョミサキといったり、願をかけて拝んだ木をミサキと言ったり、病人が出ると“ミサキにさわっている”と言ったり、各家で祀ったりする、など。
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シチニンミサキ 1957年 愛媛県 御荘町節崎(ふっさき)の大きな用水池のほとりには七人ミサキが祀ってある。七人ミサキは7人の命を取らねばならないと言われ、毎年人が池で溺死するという。祀ってある場所は、昔の偉い侍が亡くなって埋められた場所で、以前に石グロや人骨が掘り出された。また、溺れかけた子に聞くと、池の向こう側で女の人がおいでおいでをしたのだという。
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ミサキサマ 1975年 高知県 馬之助という子供が山奥へ捨てられ死んだ。それ以降親や親族が次々死に、ミサキ様として祀ると鎮まった。ところが大正の頃、子供や人が死んでは生き返るという事件が起こった。馬之助が祈願を求めているということになり、馬之助大明神として祀った。
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ミサキ,(ゾクシン) 1988年 長野県 川・山で命を落とした変死者は、ミサキの祟りを払うために、禰宜様によるミサキハナシをしてから家の中に入れ、それから普通の葬式をしたという。
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ミサキサマ 1963年 岡山県 ミサキ様はフェード(乞食のこと、転じて行き倒れ)を祀ったもの。
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シチニンミサキ 1983年 愛媛県 水死人を見たら七人ミサキといって取り上げなければならない。見捨てると祟りがおこる。
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ミサキ,イキアイ 1985年 愛媛県 海難事故等で死んだ人の霊をミサキと言い、人を一人殺すと成仏するといって恐れられた。ミサキに行きあって災いを受けるのをイキアイと呼び恐れた。ミサキには天ミサキ、海ミサキ、七人ミサキがある。
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オタチキサン,シチニンミサキ 1985年 愛媛県 戦死、水難などで非業死した霊を祭ったものを七人ミサキと呼ぶ。戦国の昔、石川源田悠人その部下六人が討ち死にした。その後、夜に死んだ主従七人が話しながら通るのに村人が出会うので、七人の霊を祀った。
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ヒノタマ 1969年 滋賀県 明治2年に僧侶7、8人が琵琶湖を船で渡っている時に波に飲まれて転覆し、死んで村の近くの海岸に打ち上げられた。それを共葬した石碑が建っている。薩摩地区の人はこの付近に火の霊が上がるのをよく見たという。
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シチニンミサキ 1990年 愛媛県 非業死した霊を祭ったものを七人ミサキと呼ぶ。西条市木曳野のオタキチサンがいう小祠には、七人ミサキとも呼ばれ、昔石川源太夫とその部下六人が討ち死にし、その霊に村人が出会うようになったので祀ったという。
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ミサキサマ 1940年 大分県 ミサキサマは心残りして死した人の亡魂である。だから念ずる神ではないが、海の先に祀ってある。
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ミサキ 1984年 愛媛県 溺死した者はミサキになる。ミサキは人を水中に引っ張り込む。
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フウライミサキ 1996年 香川県 水死した迷い仏や身元が不明の魂をフウライミサキやミサキという。フウライミサキは誰にでもとりつきやすく、とりつかれると体がゾクゾクして寒くなり、拝み屋さんに拝んでもらわないと元通りにならない。
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シチニンミサキ 1985年 愛媛県 水死人を見たら、七人ミサキといって、七人取りあげなければならない。見捨てると祟られ、よくないことが起こる。
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