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検索対象事例

オニタイジ
1980年 京都府
某家は麻呂子親王の家来であった先祖が、鬼退治の功によりその名を許された。

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キゾク
2004年 京都府
小田氏の先祖は麻呂子親王の鬼賊退治に従った。
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オニ
2004年 京都府
鞭家の由来。麻呂子親王が英胡・土熊の両鬼を追撃していた時,与謝郡石川庄の豪族吉田氏が道案内をした。このとき下賜されたのが鞭薬師,吉田氏はいまの鞭氏である。
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オニ
1985年 和歌山県
永原家の祖先がヤキオの鬼を退治したという。そのとき鬼の大将を助け、オドリ山で酒盛りをしていて、鬼がここを九鬼と言え、と言ったという。
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キジン
2004年 京都府
麻呂子親王が自ら薬師像7体を刻み,天照大神の加護を受けて鬼神を退治する。
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アッキ
2004年 京都府
鞭家の由来。用明天皇の第3王子金丸親王が当国に悪鬼退治にやって来た。退治した後,鞭で作った薬師如来を家臣に与え,鞭の姓を許した。
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オニ
1955年 青森県
老婆が川で拾った桃から男子が生まれる。桃太郎と名づけられた子はすくすく成長し、鬼退治に出かけることになる。犬、雉、猿をお供にし、鬼が島へ渡り、鬼たちを懲らしめて宝物を得る。鬼退治を天子様が誉め、褒美をもらう。それらの宝で爺婆と安楽に暮らした。
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オニ
2004年 京都府
小田家の先祖は鬼退治をして,親王から鎧を贈られた。その鎧は今も伝えられており,毎年土用の丑の日に祀られ,福知山市御勝八幡の「シシンデン田楽」に貸し出されていた。
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オニ
1968年 宮城県
坂上田村麻呂が討ち取った鬼首峠の鬼の首が落ちてきたので、鬼首という地名がついた。
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オニ
1992年 千葉県
昔鹿野山に住む鬼が日本武尊と戦ってある山に逃げ込み、涙を流して許しを乞うたことから、その山は、鬼泪山(きなみだやま)の名がついたという。鬼は阿久留王のことで、製鉄の神様である。
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チチオニ
1941年 大阪府
父鬼は父の鬼が住んでいた事からその名が起こったという。その鬼が父瀧にいたとも、鬼唐臼にいたとも言う。鬼唐臼には鬼の夫婦がいて、それが討たれ、手負いになって河内の鬼しめに逃げた。延命寺に負矢という家があって鬼の系図があるという。又この鬼しめには川に大きな石があってそこで鬼が死んだので鬼の血がついて今でも赤い、ということである。
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モモ,モモタロウ
1974年 宮城県
桃から産まれた子どもが、鬼を退治した。
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キジョ
1956年 静岡県
人皇75代安閉親王の第3子が勘当されて須々木村に立ち寄った際、鬼女を退治した。髪はちぢらで目は明星のように光り、口は耳の根まで裂けて背の丈は1丈ほど、2尺ほどの角があった。この鬼女退治から「鬼女新田」という分郷ができたという。
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オニ
1933年 奈良県
足立の安達姓は鬼の子供の子孫と言われている。裏山には黒塚、鬼塚、三ツ塚の三つの塚がある。前の原は安達ヶ原と呼ばれている。鬼筋と言われる家もあり、コロボックルの子孫ではないかとも言われる。
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オニ
1923年 徳島県
昔、藤原某が悪鬼退治の祈祷を行った。すると大日霊、軻遇突知、金山彦、句句廼馳、植安姫、岡象の六神が降臨して鬼を誅した。鬼籠野村の名前はここから起こった。
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マオウマル,オニ
1936年 岩手県
魔王丸という鬼が棲んでいた所を鬼屋敷といい、坂上田村麻呂によって征伐され、首を切り落とされた後、その刀を洗ったところを洗い田という。
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オニ
1968年 宮城県
坂上田村麻呂が討ち取った蝦夷のことを鬼と呼んでいた。降参した蝦夷が住み着いたのが鬼切辺で、なまって鬼首になった。
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オニ
1990年 静岡県
久保というところに鬼穴という穴があって鬼が棲んでいたのを、弘法大師が退治した。鬼とは山賊のことだったろう。
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オニ
1936年 岩手県
五葉山附近にいた鬼どもを追い上げ退治した後祀ったものがいまの五葉神社だという。
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オニ
1979年 岐阜県
話者の先祖は藤原高光の家来で、高光が瓢ヶ岳の鬼退治をしたときに鬼の首を持ち帰った。そのときに粥川の姓を名乗るようになった。
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(メイトウ),ジロブチ
1988年 福岡県
井手太郎・次郎の兄弟は橘諸兄の末裔とも阿蘇家家臣井出氏の子孫とも言われている。この兄弟はそれぞれ太郎丸・次郎丸という名刀を所持していた。天保年間にボーシャという病気が流行して村人の半数以上が死亡したとき、村人はこれを先祖の祟りと考えて、悪病退散祈願のために「神渕」という渕に次郎丸を投げ入れたところ、ボーシャが止んだ。以来、次郎丸に感謝して地名を「神露渕」とした。
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