キゾク 2004年 京都府 小田氏の先祖は麻呂子親王の鬼賊退治に従った。
類似事例 |
|
キジン 2004年 京都府 麻呂子親王が自ら薬師像7体を刻み,天照大神の加護を受けて鬼神を退治する。
類似事例 |
|
カンウ 1941年 朝鮮 平壌にある西廟は関羽を祀っており、昔建築するときに、呂某という人夫が屋根に上ろうとしたところ、目がくらんで足を踏み外し死んでしまった。これは関羽が呂蒙という人に殺されたので、それで呂を忌んだということで、それからは呂姓の物は参拝することもできなくなった。
類似事例 |
|
オコロイシノタタリ 1997年 長野県 古城の下條さまで、尹良親王が入るのを断った。悲しんだ親王はこの石の上で身を横たえしばらく動けなかった。この石には親王の怨念が込められているという。
類似事例 |
|
オニ 1979年 岐阜県 話者の先祖は藤原高光の家来で、高光が瓢ヶ岳の鬼退治をしたときに鬼の首を持ち帰った。そのときに粥川の姓を名乗るようになった。
類似事例 |
|
オニ 1975年 福島県 田村麻呂が蓬田山の鬼に苦戦していたら、大きな地蔵が来て弓を張ってくれたので、弓張木に地蔵を祀った。
類似事例 |
|
チカタショウグン,キシン 1977年 三重県,滋賀県 千方将軍が鬼神を使役して旅人を悩ましていたために田村麻呂に討たれた。
類似事例 |
|
アサ,スワサマ 1987年 長野県 諏訪様が麻の茎で目を突いたので,麻を作らない。
類似事例 |
|
オニノイナイムラ 1937年 静岡県 昔、鬼を退治して鬼はいないので豆はまかない。
類似事例 |
|
オニ 2004年 京都府 鞭家の由来。麻呂子親王が英胡・土熊の両鬼を追撃していた時,与謝郡石川庄の豪族吉田氏が道案内をした。このとき下賜されたのが鞭薬師,吉田氏はいまの鞭氏である。
類似事例 |
|
エンノギョウジャ,シテンノウノゾウ 1929年 奈良県 当麻の寺は聖徳太子の命によって麻呂親王が建立した。その後61年たって親王の夢想に従って、伽藍の地を役の行者練行の地に移した。行者の祈願力によって百済から四天王像が飛来して、金堂に着座した。堂の前にある石は、行者が法を厳修している時に一言主神がやって来て座した石だといわれている
類似事例 |
|
オニ 2004年 京都府 小田家の先祖は鬼退治をして,親王から鎧を贈られた。その鎧は今も伝えられており,毎年土用の丑の日に祀られ,福知山市御勝八幡の「シシンデン田楽」に貸し出されていた。
類似事例 |
|
オニ,アクロオウ 1977年 秋田県 阿久呂王が鬼を追って神室山に来て鬼を射て、矢は仙台で命中して鬼は死んだ。そこを鬼首という。
類似事例 |
|
ユキヨシシンノウノタタリ 1953年 長野県 親王の草鞋の緒が切れたので、近くの百姓に借りにいったが、断られた。この百姓の家はそれ以来、親王の祟りを受け、足の生目が悪い。代々足に何らかの祟りがあった。
類似事例 |
|
ユキヨシシンノウ,コウジ 1984年 長野県 親王の祟りがあると言われている。親王は追われて自殺したがその子供は成人するまで隠れていた。出世が目の前にあったが、その行方を阻まれてしまった。その時に多くの者が討死した。祟りの神様・安産の神様と言われる
類似事例 |
|
オニ 1979年 岐阜県 藤原高光が瓢ヶ岳の鬼退治をし、その家来が鬼の首を念興寺に納めた。そのときに粥川の姓を名乗るようになった。
類似事例 |
|
アッキ 2004年 京都府 鞭家の由来。用明天皇の第3王子金丸親王が当国に悪鬼退治にやって来た。退治した後,鞭で作った薬師如来を家臣に与え,鞭の姓を許した。
類似事例 |
|
オニマル 1965年 岩手県 昔、鬼丸という者が坂上田村麻呂に追われて衣川から逃げて来た。峠で振り返ると田村麻呂が来ていなかったので「ここはタノモシイ峠だ」と言った。ところが田村麻呂は直ぐに追いついて来たので、逃げた。そこはタノモシクナイ峠を略して、茂志内峠という名になった。鬼丸は鬼沢のサワの鬼柳のところで追いつかれて殺された。鬼丸の首が流れ着いたのが首崎、すねが流れ着いたのが脚崎である。
類似事例 |
|
キツネ 1981年 ある時、荒川八左右衛門という人物が多賀への帰路で狐の子を見つけ捕らえた。彼の家来が狐を所望したので与えた。後日その家来の子に狐が憑いた。
類似事例 |
|
チチオニ 1941年 大阪府 父鬼は父の鬼が住んでいた事からその名が起こったという。その鬼が父瀧にいたとも、鬼唐臼にいたとも言う。鬼唐臼には鬼の夫婦がいて、それが討たれ、手負いになって河内の鬼しめに逃げた。延命寺に負矢という家があって鬼の系図があるという。又この鬼しめには川に大きな石があってそこで鬼が死んだので鬼の血がついて今でも赤い、ということである。
類似事例 |
|
オニ 1961年 和歌山県 百姓が雨がなくて嘆いていると、鬼が雨を降らし、かわりに一人娘をさらって行った。娘は鬼の家で鬼の子を産み、鬼の子がお爺さんに会いたいというので、鬼の留守に鬼の車に乗って逃げ出した。鬼が追いかけてきたが、笑わせて逃げ切った。お爺さんの家に行き、鬼が怖いと言っていた青い剣と青いヒルに似た菖蒲とヨモギを軒端に下げて鬼を退散させた。それが五月節供の由来。
類似事例 |
|