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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オニ
1936年 岩手県
五葉山附近にいた鬼どもを追い上げ退治した後祀ったものがいまの五葉神社だという。

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オニ
2002年 山口県
大昔大唐から鬼が渡ってきたので、毒酒を振るまい退治したが、3つの鬼は蓋井の森の脇で倒れ、また1つの鬼は高野の森で倒れた。その後祟りがあったので神に祀った。
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ヤマンバ
1948年 岩手県
昔、川の上流の沢から山姥出てきては田畑を荒らしたりしていた。困った人々が山姥を神にまつれば悪いことはしないだろうと考え、山姥神社をつくった。それ以来、山姥は出なくなった。現在、山姥神社は移転して秋葉神社内にある。
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オニ,ウシオニ
1992年 山口県
夫がいない間、妻のもとに18・9の若者が毎夜通ってきた。夫が帰ってきたので、妻は夫に告げた。夫が弓矢でやって来た若者を射ると、若者は血を流して逃げていった。翌朝血の跡をたどると、鬼ヶ城の麓で死んでいたので埋めた。その後、村人に災いをなすので、牛鬼神と名づけて祀ったら、祟りはなくなった。
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オニ
1923年 徳島県
昔、藤原某が悪鬼退治の祈祷を行った。すると大日霊、軻遇突知、金山彦、句句廼馳、植安姫、岡象の六神が降臨して鬼を誅した。鬼籠野村の名前はここから起こった。
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オニ
1921年 愛知県
岩津村の眞福寺の近くに鬼が住んでいたが、村人に退治された。死骸を瓶に入れて埋めたが、祟りがあるので法要を営み、小便などに瓶を使用しない事にしたところ、祟りはなくなった。
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オニ
1979年 岐阜県
天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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オニ
1983年 大阪府
九鬼谷には、父鬼と子供の9人が住んでいたと伝えられている。
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オニ
1977年 福島県
白川城の東、小目川村のほとり、七まがりという坂で鬼が現れると噂され、実際に見たという人もいた。後に猟師に仕留められたがかもしかであった。
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カッパ
1983年 愛媛県
河童を捕まえていじめたので祟りにあった。そこで神社に河童を祀った。
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オニ
1985年 和歌山県
永原家の祖先がヤキオの鬼を退治したという。そのとき鬼の大将を助け、オドリ山で酒盛りをしていて、鬼がここを九鬼と言え、と言ったという。
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オニガミ
1936年 鳥取県
昔諸鹿の山中に不々岐という鬼神が住んでいて、若桜の里に出ては人々を苦しめた。それを聞いた亘理の村に住んでいた古太刀の神が不々岐を退治した。その後、この村にさまざまな災いが起こり、これは不々岐の魂が祟っているということになり祠をたてて権現様とあがめた。
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オニ,ジゾウソン
1943年 山形県
鬼峠という場所で、鬼が人を捕まえて食っていたので、地蔵尊が戦って追い出した。
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テング
1983年 大阪府
九鬼谷に隠れ住んだ九鬼姓の一族は、天狗を祀っていた。
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オニ
1992年 山口県
源頼光が酒呑童子を退治した時、幕下にいた霞隠鬼が西国に逃げ、白橘山に住みついた。霞隠鬼が里人に危害を与えるので、郡司であった平貞衡は退治することにした。ついに鬼を討ち取り、鬼の首を鉄の串に刺してさらした。それ以来、白橘山を鬼ヶ城と言うようになった。
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ゼンキ,ゴキ,エンノギョウジャ
1928年 大阪府
摂津の箕面山に夫婦の鬼がいて、夫を赤眼、妻を黄口といった。5人の子を持ち、人の子を捕まえて食べていたという。そこで、役行者は鬼の子のうち末子を呪力で岩窟の中に隠した。二鬼が役行者を尋ねてきたとき、人の子を食わないならば子供の居場所を教えた。その後、夫は前鬼、妻は後鬼と改名し、行者の身辺を一時たりとも離れることはなかったという。
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クスノキ,フナダマサマ
1928年 長崎県
摂津の箕面山に夫婦の鬼がいて、夫を赤眼、妻を黄口といった。5人の子を持ち、人の子を捕まえて食べていたという。そこで、役行者は鬼の子のうち末子を呪力で岩窟の中に隠した。二鬼が役行者を尋ねてきたとき、人の子を食わないならば子供の居場所を教えた。その後、夫は前鬼、妻は後鬼と改名し、行者の身辺を一時たりとも離れることはなかったという。
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ガマノタタリ
1956年 宮城県
秋葉神社は昔もっと上のほうにあった。その頃,時々夜になると神社の近くで小豆を転がすような音と前後して雷の落ちるような物凄い音が聞こえた。神主が祈祷師に頼んだところ,その家の子供に殺された蝦蟇の祟りだというので,神主はそこに祠を建ててガマの霊を弔い,神社を現在地に移した。
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オニマツ
1987年 長野県
角先渓谷の奥に大岩があり,「鬼ヶ城」と呼んでいる。大昔,ここに鬼が住んでいて,この辺一帯を荒らしまわったという。ある時坂上田村麻呂が攻めたが,どうしても降伏しなかった。金縄山の観音様に祈願すると,桑の木を矢にして攻めよとの霊告があったので,そのようにしたところ,忽ち鬼が降参してきた。捕らえて金縄(金のくさり)で縛って,松の木に繋いだが,その場所を「金縄山」,繋いだ松の木を「鬼松」,そこに祀った地蔵を「鬼松地蔵」という。
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ヒヒ
1966年 静岡県
見附の天神様では、毎年若い娘を一人ずつヒヒに人身御供にしていたので、しっぺ太郎という犬に頼んで退治してもらった。しっぺ太郎はヒヒを追って行って、熊村の観音山で退治したので、観音山にはヒヒを祀っている。
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オニ
1979年 岐阜県
鬼が八幡町の瓢ヶ岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。この鬼の首は金山町の東林寺に納められたあと、念興寺に納められた。東林寺には鬼の髭が残されているという。
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