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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オニ,ヘビ
1959年 千葉県
鬼泪山は日本武尊が鬼を退治した時、鬼が涙を流したことに由来する。この麓を流れる血草川・血染川(染川)の名は鬼の血が流れたことから起こったという。また血染川の水源を蛇堀というのは尊が鬼を退治した時に血の堀が出来たからだという。

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オニ
1992年 千葉県
昔鹿野山に住む鬼が日本武尊と戦ってある山に逃げ込み、涙を流して許しを乞うたことから、その山は、鬼泪山(きなみだやま)の名がついたという。鬼は阿久留王のことで、製鉄の神様である。
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オニ
1997年 宮城県
鬼橋の由来。鬼が川の橋となっているためともいい、将軍が退治した死骸を橋柱に繋ぎ沈めたための名だともいう。
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オニ
1968年 宮城県
坂上田村麻呂が討ち取った鬼首峠の鬼の首が落ちてきたので、鬼首という地名がついた。
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タタリヤマ
1949年 東京都
ナカツパタという祟り山では、昔蛇を殺したら脂が流れ、川には紫色の血が流れ、川一面が染まったという。
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オニ
1932年 長野県
立科山麓の北山村付近の地名由来。鬼の足形が残る石を鬼石といい、鬼が飛んでいって退治された場所を鬼場、その血が川に流れてその先に出来たところを血野、遺骸が焼き捨てられたときの灰が舞って灰原田ができたという。
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チチオニ
1941年 大阪府
父鬼は父の鬼が住んでいた事からその名が起こったという。その鬼が父瀧にいたとも、鬼唐臼にいたとも言う。鬼唐臼には鬼の夫婦がいて、それが討たれ、手負いになって河内の鬼しめに逃げた。延命寺に負矢という家があって鬼の系図があるという。又この鬼しめには川に大きな石があってそこで鬼が死んだので鬼の血がついて今でも赤い、ということである。
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ウシオニ
1992年 山口県
鬼が城山は、鬼が岩窪にいたから、そう言うのだという。また、鬼が美女を慕い夜毎通っていたが、家の主が気づいて斬ると、血を流しながらこの山に逃げて死んだから、こう言うのだともいう。
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オニ
1979年 岐阜県
藤原高光が瓢ヶ岳の鬼退治をし、その家来が鬼の首を念興寺に納めた。そのときに粥川の姓を名乗るようになった。
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オニ,シュテンドウジ
1973年 京都府
大江山には源頼光の鬼退治の話がある。頼光と藤原保昌が山賊衣装に変装したという鬼ヶ茶屋には伝説を刻んだ近世の版木や絵巻物がある。近くに酒呑童子の屋敷跡という岩がある。川を遡ると血染めの衣を洗ったという場所には千丈ヶ滝下の不動堂が建っている。さらに上には頼光が酒呑童子退治を祈願したという鬼獄神社がある。
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オニノイド
1975年 愛知県
田代川の地獄谷に鬼の座敷という名の、大きな石が3つある。その真ん中の石がくぼんでいて常に水がたまっていて、これを「鬼の井戸」という。川下の人たちは雨乞いのために、身を清めてからこの水をさらった。八大龍王の支流である八坂龍王がこの道を通ったとき、喉が渇くのでここに水をためてある。さらうと怒って雨を降らせるという。
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リュウ
1975年 山形県
最上川に注ぐ角川は、昔最上川にすんでいた巨大な龍が白山大権現の怒りに触れ角を折られてしまい、その角が流れたというので角川というのだともいい、傷ついた龍の血が流れたので「血の川」と呼んだのが「つのかわ」になったともいう。
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オニクビフキアゲユ,サカノウエノタムラマロ
1956年 宮城県
坂上田村麻呂が、蝦夷の頭目大武麻呂を捕らえて箆岳山で首を斬った。首は泣きながら西の空へ飛び、落ちた所から湯が吹き上がった。よってここを鬼首と称し、湯を吹上と呼ぶ。
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オニ
1931年 埼玉県
鬼橋という石の橋がある。川の真中にある支柱は、昔鬼が来て撃ちこんだものであり、このまわりを掘ると、川が涸れている時でも大雨が降る。
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アッキオウ
1982年 群馬県
鮎川の蛇喰(じゃばみ)渓谷の「あいのかま」という渕の悪鬼王が人身御供をとるので、日本武尊が征伐した。
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オニマツ
1987年 長野県
角先渓谷の奥に大岩があり,「鬼ヶ城」と呼んでいる。大昔,ここに鬼が住んでいて,この辺一帯を荒らしまわったという。ある時坂上田村麻呂が攻めたが,どうしても降伏しなかった。金縄山の観音様に祈願すると,桑の木を矢にして攻めよとの霊告があったので,そのようにしたところ,忽ち鬼が降参してきた。捕らえて金縄(金のくさり)で縛って,松の木に繋いだが,その場所を「金縄山」,繋いだ松の木を「鬼松」,そこに祀った地蔵を「鬼松地蔵」という。
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マオウマル,オニ
1936年 岩手県
魔王丸という鬼が棲んでいた所を鬼屋敷といい、坂上田村麻呂によって征伐され、首を切り落とされた後、その刀を洗ったところを洗い田という。
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オニガジョウ,オオタケマル,オニ
1930年 岩手県
岩手山に鬼ヶ城という穴があり、大武丸という鬼が手下の鬼と立てこもり、備わった通力で雲を呼び、風を起こし、嵐を出して良民を苦しめていた。田村将軍が奥州を征伐した際に先達した立烏帽子が岩手山の東に鎮座したのが御姫岳である。そして、鬼どもは将軍に切られたり、生き残ったものも閉伊郡の方に逃げたりした。最後に権現様のお使いとして残されたのが片目の鬼で、登山客が汚した山を綺麗に掃除するのはこの鬼であるという。
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シュテンドウジ
1995年 宮城県
大江山酒呑童子のことは、学校で教えられた。舞鶴の奥、大江山に入って悪いことをしていた。歴史的には、朝鮮人の海賊が山に陣取ったのをそう言ったのだと思う。それを頼光ヒデジとか言う人が退治した。その血が蚊や蛭になったという。
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コマチノオンリョウ
1976年 山形県
小野小町が湯に入り、身体も良くなったときに川面の水に写った自分の顔を見ると鬼のような顔だったから、この川を鬼面川と呼ぶようになった。小町の怨霊の祟りで、鬼面川の岸に生える葦は全て片葉だという。昔はこの川で毎年のように子供が水死し、これは怨霊を鎮めるための人身御供だといわれた。
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オニ
1992年 山口県
源頼光が酒呑童子を退治した時、幕下にいた霞隠鬼が西国に逃げ、白橘山に住みついた。霞隠鬼が里人に危害を与えるので、郡司であった平貞衡は退治することにした。ついに鬼を討ち取り、鬼の首を鉄の串に刺してさらした。それ以来、白橘山を鬼ヶ城と言うようになった。
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