ハッピャクビクニ 1995年 愛知県 庚申講のお祭りでおがせという国に行ったら、人間の裸みたいなのを料理していたので、食べずに帰ったが、竹皮にその肉を包んで土産に持たされた。家に帰って一息ついているときに、娘の1人がその肉を食ってしまった。その娘はいつまでも年を取らず、橋爪の満願寺で800歳まで生きて、八百比丘尼と呼ばれた。万願寺には八百比丘尼の七つ椿が残っている。八百比丘尼は五郎丸という帆船で幅下の港からあちこちに行ったという。
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ツエ 1925年 京都府 聖徳太子が比叡山に登り、求世観音を安置する伽藍を建てた際、その側に立て置いた椿の木が成長した。
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ブツゾウ 1936年 京都府 西別院村万願寺の8体の木像は雷よけに霊験あらたかだという。
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ニンギョ,ハッピャクビクニ 1974年 京都府 竹野郡乗原の大久保家が八百比丘尼の生まれた家である。この家の娘が人魚の肉を食って八百年生きた。同家付近の松並木や敷石も比丘尼がしいたものであるという。
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ヤオビクニ 1930年 埼玉県 植水村の水判土に八百比丘尼の伝説がある。慈願寺には寿地蔵と呼ばれる1寸8分の黄金仏があり、尼の守護仏であるといわれている。尼が手づから植えた木があり、太さが5圍以上の木理樌の木であったといわれているが、今はもう見ることはできない。
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ハッピャクビクニ 1973年 福井県 八百比丘尼は八百代姫(やおよひめ)と言う。元和5年に若狭の白玉椿というあたりで、夜な夜な舞い遊ぶ比丘尼の姿現れ、人に出会うと掻き消すように見えなくなることがあった。この場所はかつて尼が住んでおり、その霊魂と考えられたために土地の神職が祠を建て八百代の祠と名付けた。それからは怪しいものは出なくなったという。
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ヤオビクニ,ニンギョ 1980年 和歌山県 八百比丘尼という尼が800年生きていた。八百比丘尼については次のようにも語られている。ある人が講の仲間に加えてもらうために人魚を持って来た。その人は長生きして800年生きていた。後に若狭へ行ったために、若狭では紀州の八百比丘尼という。
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リュウ 1970年 三重県 長徳寺は雨乞いの寺として有名である。8代目の早道和尚の時、竜が美女に化して参詣した。不審に思った和尚が跡をつけると、門前の渕に住む竜だった。竜は和尚の教化により蛇身を転じてもらった。その時竜は報謝のため鱗と竜王桜を残していったという。
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チョウヨ,マツ 1974年 大阪府 大坂の谷町筋八丁目にある願生寺の超誉は、名だたる念仏の導師であった。この寺は元々草庵だったが、その修造の始めに根のない松を2本境内に植え、もしこの寺が繁栄するならば、この松は大きく茂るだろうといった。実際繁茂して大木となったが、寺も仏殿や方丈、庫裡もある寺院となった。
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シロツバキ 1929年 大分県 宮園にある大きな白椿は、昔阿蘇の明神様がついて来た杖を刺したのが、繁茂したのだと伝えられている。
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ツエザクラ 1961年 島根県 吹雪のために死んだ比丘尼が携えていた桜の枝を挿したのが発芽した。
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ハッピャクビクニ 1975年 福井県 若狭国小浜の空印寺は八百比丘尼の住んだところである。年は800歳であったが容貌は15、6歳であったからこう名付けられた。
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ヤオビクニ 1931年 福井県 若狭に八百比丘尼と呼ばれた超長寿の尼僧がおり、源平時代のことを実見談としていろいろと語ったという。少女時代に人魚の肉を食べたために老いることがなく、人々に怪しまれて尼僧となり、他国を流転した。寛文2年、800歳のときに若狭へ帰り、建康寺を建て、断食入定したといわれている。
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シンダイサクラ,ニチレン 1935年 山梨県 新富村の実相寺境内に日本武尊が自ら植えたとされる桜があるが、日蓮上人がこの地に来て、この桜が衰弱しているのを見て樹勢回復を祈願したところ、不思議にも木は繁茂したという。
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ツバキ(ゾクシン) 1920年 兵庫県 化けるのは古い椿の木である。
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ツエ 1925年 愛知県 宝飯郡の西漸寺に法然上人が行脚して寺に48夜留まり、桜の枝(杖)を逆さに刺したところ、この杖が桜の木になり、逆さ桜と呼んでいる。
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ハッピャクオビク 1968年 福井県 八百お比丘という長生きのお婆さんがいて、何年経っても死なずに物貰いをして居た。ある日、椿の木を植えて「これが枯れたら死んだと思うてください」と言い残していなくなった。話者のおじいさんが若狭に行ったとき、「どこからか女の人が来てお経を上げながらなくなった洞穴」をみたと言う。
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ハッピャクビクニ 1975年 埼玉県 武蔵国足立郡水波田村慈眼寺仁王門の傍に榎の伐株がある。周囲2丈ほどで、筵6畳を敷く。これは若狭の八百比丘尼が植えた木だと言い伝わっている。ここに掘り出しの地蔵というものがある。その石櫃に八百比丘尼大化元年と彫ってある。寛保まで一千百余歳である。
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ツエ 1925年 広島県 生口にある松蟲寺に、法然上人の杖が成長した白檀がある。
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ハッピャクビクニ,ニンギョ 1980年 岐阜県 八百比丘尼は麻生野の生まれで、鈴木家が生家である。人魚を食べたので長生きをしたと言われている。若狭へ行ったとも、高野山へ行ったともいう。
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