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検索対象事例

ヤッサドン
1968年 鹿児島県
ヤッサドンと言って旧道の辺に1mほどの石祠がある。昔、戦で手足を切り取られて死んだ人を祀っているとも言う。この石祠の前を馬に乗って通ると、たとえ殿様でも落馬してしまうと言われ、恐れられていた。

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ヤッサドン
1965年 鹿児島県
ヤッサドンの石の祠の前を馬に乗って人が通ると、たとえ殿様であっても落馬すると言われ恐れられた。
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ゴズテンノウ
1987年 長野県
昔,村の人が馬を曳いていると馬が大きな穴に足を取られてしまった。するとその穴の底から「俺は牛頭天王だが,俺を祀ってくれないと村中に祟ってやる」という声が聞こえた。そこで村中で祀ることになり,今は村の東方の馬場山上に祀ってある。
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クビナシウマホカ
1978年 愛媛県
長塚の石地蔵は、南北朝のころの戦死者を祀ったところである。この付近はよく首なし馬が出たり、地鳴りがしたり、石地蔵の首が落ちていたりしたという。
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クビナシウマ,レイ
1978年 愛媛県
各地で「首なし馬」が出た。見ると熱病に罹ったという。ある年、老神主が夜道を歩いていたら、「シャンシャン」という音がして首なし馬に乗った武士団が通った。その後この人馬の霊を慰めるため、そこに石地蔵を作った。
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テング
1948年 新潟県
天狗松と呼ばれる古木は、前を馬に乗って通ると落馬させるため、人々を怖がらせていた。ある時通ろうとした者の提灯を取って、馬をそれ以上進めなくした。
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イウナリジゾウ,(ユメノオツゲ)
1990年 長野県
言成地蔵という地蔵堂の前は、馬で通る人も必ず降りて通る習わしになっていた。ある時、侍が馬で通りかかったので馬子が下馬するように言ったが、侍はそのまま通り過ぎようとし、地蔵の前で落馬した。怒った侍は地蔵を袈裟懸けに切った。
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イウナリジゾウ,(ユメノオツゲ),(タタリ)
1990年 長野県
言成地蔵という地蔵堂の前は、馬で通る人も必ず降りて通る習わしになっていた。ある時、侍が馬で通りかかったので馬子が下馬するように言ったが、侍はそのまま通り過ぎようとし、地蔵の前で落馬した。怒った侍は地蔵を袈裟懸けに切った。切られた地蔵は新福寺の和尚の夢枕に立って傷口を布で巻いてくれと頼んだ。今でも地蔵は袈裟でしっかりと巻かれているが、これを見たものは目が潰れるという。斬りつけた侍は、病死した。
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クビキレウマ
1922年 徳島県
お馬の墓という小さな石標がある。雨の日にはここから首切れ馬が出て、一定の地を徘徊すると伝えられている。
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フタワタイドン
1966年 鹿児島県
部落はずれの川辺に小さい木立があり、そこに大きな五輪塔が1基立っている。フタワタイドン(二渡殿)とかセッサトー(石塔様)などと呼ばれ、二渡の城主が白馬で逃げる途中斬られた場所という。白馬が出没し、木立の枝や葉を折っても祟るという。
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ワカミヤサマ
1933年 山口県
昔、若宮様という者がいて、松田という者と何かの恨事でここで斬り合った。その時松田の家来が若宮様を背中から斬り付けこれを殺した。そこで若宮様の家来は松田を討って仇を報じた。しかし若宮様は夜になると「勝負しようや」と言いながら鉦を叩いて出てくるのであった。そこで土地の人は祠を建てこの霊を慰めた。
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ヤザイドン
1961年 長崎県
堤にはヤザイドンという神様がいる。ヤボ神で、ヤボだったところに祠がある。元は人に障って悪いことをした。病気でふうふう歩く者などがいると、ヤザイドンが見ていて、おかしいから取っ憑いたなどといわれている。
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イシ
1989年 長野県
昔、この近辺には沼があり、その中に太さは一抱え・高さは5尺くらいの石があったが、それが夜になると浮いて歩いたので、刀で切ると血が出てきた。そこで今の場所に祀ったという。それがあった場所に田を作ると不幸になるといい、また、このことを言ってはいけないという。
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ウマノクラ
1996年 石川県 
今は埋められてしまったが、昔、戦に負けた侍が飛び込んだと言われる小さな池があり、馬の鞍が浮かんでくると言われていた。
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クビキリダ,モウジャ
1987年 長野県
石舟の下に首切り田という場所がある。夜中にそこを通ると,亡者がでたり,首を切り落とす音がするという。
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カミサマ
1995年 愛知県
石作神社ができる前は獅子頭をもってお祭りをしていたが、塚の前で獅子が必ず転んだ。それで獅子は壊れてしまった。神様が騒がしいことが嫌いだということになり、馬に藁で飾りをした花馬だけで祭りをするようになった。
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クビナシウマ
1958年 愛媛県
南北朝の戦争で、恨みを持って死んでいった兵士の血を含んだ土は盛上げられ塚となった。ある夜神官がこの付近を通ると、首なし馬に乗った兵士が現われ、神官に南に仕えていたが7代まで君主に仕えると言って消えていった。人々は石地蔵を作って、この霊を慰めた。
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カミサマ
1995年 愛知県
石作神社でお祭りがあるごとに怪我人が出た。神様が騒がしいことが嫌いだということになり、笛や太鼓をやめて馬に藁で飾りをした花馬だけで祭りをするようになった。
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ウマガイッポンダチスルトコロ
1989年 鹿児島県
馬で通ると馬が一本立ちして通らない場所としては福島渡の立花迫もそうで、スタンドの下の田の神様の向こうの昔の道の、谷になったところが、怖い場所である。
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タヌキ,キツネ
1931年 青森県
地蔵堂から山に1町ほど入ったところに別の小堂があって、何体か石像がならんでいる。ここは賽の河原と呼ばれている場所で、地蔵堂がなかったころは狐や狸が通行人を誑かして困った場所であった。ここで誑かされた人間はまもなく死ぬので、供養の為に地蔵堂が建てられたといわれている。
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シチニンミサキ,オタチキサン
1983年 愛媛県
オタチキサンは七人ミサキともよぶ小祠のこと。戦国の昔、石川源太夫とその部下六人が討ち死し、その後、夜になると主従七人が馬に乗ってひそひそ話しながら通ってゆくのに村人が出合うようになったので、七人の霊を祀った。
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