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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シニダノオンリョウ
1932年 愛知県
死に田と呼ばれる田があり、その持ち主だった家は、既に3代とも死に絶えてしまった。現在の所有者の家も、病人が絶えないという。昔、矢田川が氾濫した際、ここにあった寺が埋没してしまったために、仏が祟っているのだろうと言われる。また、持ち主だった女が人にだまされ、家産を傾け死んだため、その妄念が残って、祟っているのだろうとも言われる。

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ジヌシノナイトチ
1956年 宮城県
所有者が必ず死ぬと言う奇怪な土地がある。これは,昔旅に行き暮れた六部を泊め,その所持金に目がくらんでこれを殺害して屋敷の一隅に埋めてしまったためで,六部の怨霊がいつまでもその地の所有者に祟って夭折させたり作物を不毛にしたりしたのだと言う。その後六部の墓を建てて弔ったが,今日でもはっきりした所有者はなく荒れるに負かされている。
類似事例

トウバダ
1985年 茨城県
仏供養の塔婆の形をした田が五枚続いて並んであった。この田を作った家では、祟りのために病人、気狂が出ると言われて、誰も耕す者もなく、荒れていた。
類似事例

ビョウニンバタケ
1985年 茨城県
病人畑だとは知らず桑畑を購入した家では不幸なことが次々と起こった。調べると、昔泊めた六部の坊さんを殺して金を奪った祟りで、火の玉が出て潰れた屋敷跡であることがわかった。すぐにこの土地を手放すと不幸はなくなった。しかしこれを買った家は不幸が続いた。
類似事例

タタリ
1930年 和歌山県
芝居田と呼ばれる田地がある。もともと芝居小屋があり、興行主は賭博で大負けし首を縊って死んだ。その後その田地を所有した者は祟りにあうといわれ、また実際にあったこともある。
類似事例

(タタリノアルタ)
1989年 長野県
大村の方に辻蔵という人がいた。田をたくさん持っていたが、お人好しだったので周囲から田を取られて辻蔵の田は少なくなった。辻蔵は「田を作る者に祟る」と言い残して死んだ。以後、この田の持ち主は運悪く死んだり大病をしたりという不幸が続いた。農地解放後、持ち主が辻蔵の霊を祀ったという。
類似事例

ビョウニンダ
1985年 茨城県
地蔵院が持つ田は誰が耕しても凶事が起きる。薬師寺の持ち田も次々と持ち主が代わり、良くないことが起こるので、安値で他村の人に売った。それでも土地を買った人はたたりが恐ろしくなり、寺にその土地を寄進した。
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シニン,タタリ,サクラ
1989年 長野県
昔城があった場所には生き埋めにされた武士を供養するための塚があった。その塚が崩されて田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。
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カガミダ
1992年 茨城県
鏡田には祟りがあるといわれている。器量の悪い娘が、田んぼに映った自分の顔に驚いて、田に落ちて死んでしまった。以来、この田を耕すと祟りが続いている。終戦後も工場をこの地に建てた会社は、廃業に追い込まれていった。
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タタリ
1991年 愛媛県
ある人が家を建てたら、3年に一人ずつ死んだ。祟りのある土地というのもあるかもしれない。
類似事例

ヨメノタタリ
1970年 静岡県
姑が嫁に2反余の田を一日で植えよと命じた。植え終わった嫁はその場で死んでしまった。その後田を植えるものに祟りがあり、その家に死者を出す。
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クビキリダ
1985年 茨城県
昔、日照り続きで大変困った時に、隣の人が水を盗ったと言って争いになり、持って居た鎌で相手の首を切って殺してしまった。その後その田は祟りで、災が起きると言うことが言われて、荒れ果て、水が溜って池のようになっていた。
類似事例

ナンデン
1992年 宮崎県
なん田は昔、馬を殺して叩き込んだ田で、馬の死霊が憑いていて、耕作すると祟りがある。
類似事例

オセンサン,オセンマツ
1993年 静岡県
ある農家の水田の中に松の古木と祠がある。昔、大井川が氾濫したときにオセンという女性の溺死体とともに流れ着いて根ついた松といい、手をつけると祟りがあるといわれている。
類似事例

タタリノアルヤシキ
1956年 宮城県
今でも佐久間屋敷と呼ばれるところがある。昔この地方を治めていた佐久間家で一人の女中が非業の死を遂げた。その祟りで同家は滅び,以後誰が住んでも凶事が起こるという。今は畑になっているが,黍・菊などは育たないといわれる。
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シニン,タタリ,サクラ
1989年 長野県
昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その木に傷が付くと血が流れ出たという。塚が崩され田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。その土地を買った家でも不幸が続いたが、社を造って近親者で祭を行うと、商売が繁盛するようになったという。
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ホトケサマ,クチヨセ
1964年 福島県
道路を広げるため屋敷の一部を掘ったら人骨がでたので埋めなおしたが、隣近所で死人や病人が絶えない。口寄せばばあの話によると、昔仏さまが座頭に負われてこの土地にきたが、座頭は殺された。まつられない仏さまが怒っているのだという。それで、地蔵や供養塔をたてたという。
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ビョウニンダ
1985年 茨城県
十三角田という土地は、葬儀の時の十三仏との語路合わせがあることから、忌田になったのではないだろうか。この田を耕作すると、生き埋めになったり、癌になったりと、凶事が続くので、遂に土地を手放した。
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ビョウニンダ
1992年 茨城県
耕すと不幸が起きる土地があった。昔、利根川の洪水を防ぐために、河内屋が請け負って工事をはじめた。しかしけど層に突き当たり、思うように工事が進まないまま河内屋は無念の思いで死んでいった。この祟りがまだ残っているのだという。
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ビョウニンダ
1985年 茨城県
昔、内野部落の近くに祟りがあると嫌われる田があった。アヒル小屋と言われて、アヒルを飼っていた家の者が作った処、病人や怪我人が絶えず、困り果てて、作りを止めてしまったと伝えられている。
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ヤハタダノタタリ
1969年 福島県
八幡様の屋敷跡が田圃になっている。その田を作っていた人は次々と一家が死に絶えたり、病人が絶えなかったりした。
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