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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

〔バンジキッチョウノズ〕
1975年 東京都
唐の太宗の時、疫病がはやり、夢に見た神人の図を描いて避邪とした。その絵が長崎の通詞を経て日本に渡り、一橋殿が画師に命じて模写させた。すると一橋殿は宰相に出世し、中国から伝来した一軸は深く秘されることとなった。この絵の模写を得た人々も次々に出世し、病災を免れた者もいるという。

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クラマソウジョウ,クモ
1974年
ある夜、徳川将軍が見た夢に鞍馬僧正という名の山僧が現れ、自分の像を狩野元信に描かせ、それを寺中に安置してくれと頼む。将軍はそれを元信に言うと、元信も同じ夢を見ていたという。しかし元信はその姿を描く事ができずにいたところ、クモが糸を引いて紙の上を歩くのを見ると、それが夢の中の人だったので描く事ができたという。
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オニ
1931年 大阪府
源為朝が鬼ケ島に渡って鬼退治をしたという伝説に基づき、鬼を疱瘡神に見立てて為朝の豪勇を示した構図の絵馬が、維新以前に天然痘が流行った時に多く作られた。
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ジゲン
2004年
ある医師が長年五条天神への信心を怠らなかった。彼はある時夢で五条天神からの示現を受け,疫病を治すことができた。
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テング
1974年
ある人が狩野元信の家にやってきて天狗の絵を依頼した。しかし元信は天狗の姿を知らないので困っていたところ、夢の中に老翁がやって来て天狗の姿を現したので、それを元に6尺ほどの紙に描き、依頼主に送ったという。依頼主はそれを鞍馬寺に奉納しようとしたところ、急に雲や風が発生し、霊像が自然と鞍馬に飛び去ったという。
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グハザウ,タタリ
1975年 京都府
宅間証賀法印という僧が、栂の尾で春日・住吉2神の像を写そうとした。明恵上人は、この像を写せば必ずたたりがあるからと法印を止めたが,法印は強いて模写した。すると法印は、都に帰る途中で落馬して死んでしまった。不思議な画像もあったものだ。
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レイボク,ロッカクドウ,クロクモ
1983年 京都府
太子は淡路国の海から得られた如意輪像を、毎朝紫雲が覆う杉の霊木で建てた六角堂に安置した。その後、桓武天皇が平安京に遷都した時、六角堂が小路の中にあたった。都を造営する官使たちは、太子の建立した堂だから移すのもどうかと悩んだ所、黒雲がこの堂を覆い5丈北に退いたので、無事小路を通して都ができた。
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ウシ
1988年 奈良県
旅の僧が中峰山の神波多神社に泊まり、壁に1頭の牛を描いて立ち去った。その牛が抜け出して稲を食べるので、僧を追い掛けて伊賀上野から連れ戻し、松の木を描き加えて綱で繋いで貰った。この僧は狩野法眼元信だったという。
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ウメゾノノテンジン
1975年 長崎県
元禄年中のこと。肥前国長崎丸山にある富の者がおり、普段から天満宮を信じ、大宰府の飛梅の枯木で聖僧を彫りこれを拝していた。あるとき喧嘩で殺されたが、夢のように生き返り、家に帰って次第を語った。神像を見ると、その体に刀傷があった。
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ロクブ
1975年 茨城県
葛西平井の渡しの手前で、常州にて7年前に死んだ六部の形が朽ちないものを、人々に拝ませていた。公よりこれを禁じられたらしく、その御影や縁起などを版木に彫って印刷し、世に出して広めたという。
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(セイガンジノニョライ),ゴゾウロップ
1980年 京都府
元禄の頃に、誓願寺の和尚が夢に本尊の如来が出てきて、病気であることを告げる。周りの人間も同じ夢を見たので、仏像を確かめると体内に木製の五臓六腑が納められていて、それを釣っていた釘が折れていた。人々はそれを奇異の事として、人口に膾炙したという。
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ヨウゴウセキ,ヤクシニョライゾウ
1977年 神奈川県
天平11年、光明皇后が重病となったとき、聖武天皇の夢枕に立った僧が、武蔵国橘にある霊地の霊石に薬師如来像を祀れば治癒すると告げた。その通りにすると、皇后は治癒した。後にも、ひとりでに動くなどという不思議なことが、この薬師如来像には起こった。
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アマヒコニュウドウ
1937年 秋田県
西郷合戦の前、天彦入道の像を白紙に描き、裏表の戸口に貼れば、悪魔よけになるといわれた。
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ヤクビョウガミ,(ニカホキンシチロウ)
1973年 東京都
旗本の仁賀保公の先君は、英雄の賢君として知られているが、近頃疫病神を捕縛されたという。すると疫病神は一通の証文を出して一命を乞うたので助けた。それ以後、公の家には疫病が一切流行らず、また仁賀保金七郎と書いた札を入り口に貼った家は、疫病が入ってこないという。
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バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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エキシン
2001年 埼玉県
名主が疫病逃れに別時念仏を催し、参加者名を名帳に記し、夢で疫神にその名帳を見せた。名帳に載った人は疫病にかからなかったが、他所に嫁いでいた名主の娘はかかって死んだ。
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(アミダノシュツゲン),クハウメウ,タクセン
1983年 京都府・大分県
僧行教が筑紫宇佐八幡宮に参籠し修行していた所、八幡宮から託宣があり、王城の近所に移り天子を守護しようと告げた。その後、行教の袈裟の上に阿弥陀の三尊が現れたので、これを写して絵像にした。行教が筑紫を発ち山崎に登ると夢告があり、覚めると峰に光明があったので,そこに八幡宮を勧請した。
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フクタロウ,カワタロウ
1935年 神奈川県
相州金澤村の漁村、重右衛門の家に持ち伝わる箱に、水難疱瘡の守り神と記してあり、家の中に祭ってあった。享和15年5月15日夜に重右衛門の妹の夢の中に童子が来て、私はこの家に久しく祭られるが、未だによく知るものがいないので、一社を建ててくれ。そうすれば水難疱瘡麻疹の守り神として擁護するといった。妹はそれを親類に告げ、箱の中を見ると異形のものがいた。面は猿のようで四肢に水かきがあり、頭には凹んだところがあった。それを福太郎と称した。その後他の家に出したがそこでも夢告があり、水神と勧請した。またさまざまな霊験があったという。
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ダイヒノゾウ,クウヤ
1983年
昔京畿内に疫病がおこり、死人が山野に満ちた。空也はこれを悲しみ,長1丈の十一面大悲の像を刻彫して、疫病平癒を祈ったところ、この病はやんだ。その後、諸人の勧めで伽藍を建立し、六波羅密寺としたという。
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ジンジュウ
1975年 京都府
京師のある縉紳家に騰黄という狐のような神獣の図がある。一説にこの獣は神代より日本にいて唐山に渡った。その地で黄帝がこれに乗り天下をまわって民衆に乗馬を教えたという。
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テンニョ
1930年 岩手県
百姓の若者が夏の日に川辺で3人の天女が水浴びしているところを目撃し、一人の天女の羽衣を隠したためにこの天女は天に帰れなくなった。天女はそのまま若者の女房となったが、女房を眺めてばかりで仕事をしなくなったので絵姿を描いて持たせた。その後、女房は殿様の御殿に連れて行かれるが、桃売りに化けた若者は殿様と入れ替わり、天女と御殿に住むことになった。
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