(イケカラシュツゲンシタホトケ) 1976年 大阪府 浪速の車町には、蘆池より出現したと口碑で伝えられている薬師仏があり、浪花薬師とか蘆やくしと唱えて、毎年祭りを行っていたという。今はこの仏像が何処にあるか分からない。
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ビャクダン,タイシャクテン 1939年 京都府 金色の光の源を突き止めてみると、そこに芳香並々ならぬ白檀の木があった。ひとりの老翁が現れ、和気清麿に「ここに精舎を建立せよ」と言う。翁が消えると白檀の木は帝釈天の像になっていた。
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ロウコ 1977年 岐阜県 老狐の筆跡がある。濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
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(ササウオ) 1980年 岐阜県 淡海立綱という人が浪花の蒹葭堂を訪ねた時に、飛騨の山川で獲れた笹魚というものを出した。それは少し笹の葉が変化しかかったものや、まもなく魚になるものまで集められていたという。
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ツエ 1925年 岡山県 玄賓谷に、玄賓僧都の杖が成長した白檀がある。
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テング 1952年 三重県 以前天狗がすんでいた楠の巨木がある。元は近くに八天狗社があり、土仏山にも天狗の松と言われる三叉に別れた巨松があった。
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ケンコウヤシキ,タタリ 1931年 長野県 兼好法師が戦乱を避け世を厭うて庵を結んだ兼好屋敷址に、昔は杉の古木が茂っていた。それを伐採した杣人は祟りを受けて病死した。以前は古株に徴兵よけの願がけをしたともいう。
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ツエ 1925年 広島県 生口にある松蟲寺に、法然上人の杖が成長した白檀がある。
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ヒノキ 1922年 和歌山県 古い檜で上のほうで7本に分かれている木を伐ったら、夜中に7人の僧が現れて木をもとに戻す。何とか切り倒したが、その夜、山小屋に7人の僧が現れて、杣人の鼻を捻って殺した。ここを枕返しの檀と呼ぶ。
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テング 1977年 富山県 天狗は一本杉や巨松、大杉にいるといわれている。
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ヤノタケ,キジョ 1930年 長野県 戸隠の西谷にある社の周囲は杜があり、箭箆竹と呼ばれるところがある。ここは昔、維茂が鬼女を射た矢を二本土に立てて、そこから根が生えてきた所だと言われている。竹の産地ではあるが、領主がみだりに竹を切ることを禁じていた。
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ダイジャ 1974年 兵庫県 古今著聞集・巻第21 707「蔵人所下人末重等丹波国桑原の山にして大蛇の難に遇ふ事」に載っている大蛇のいた谷は、村人の話によると桑原の西南の谷で、「いけん谷」だという。その中に「おそろし谷」があり、ここに大蛇がいたのだろうという。
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ツエ 1925年 和歌山県 伊都郡皮張村に、丹生狩場明神が狩りの折に刺した杖が成長した松がある。この杖が成長した松がある。この杖松は弘法大師が明神と寺境を決めた時の標木とも考えられる。
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ミチヲフサグウバ 1956年 宮城県 台町一番丁から二番丁へぬける横丁通り西浦のあたりに、大きい皀莢木(さいかち)が枝を広げていたが、夜、その下に白髪の老婆が横丁をふさいで立っていることがよくあった。ある夜某家の仲間(ちゅうげん)がそれに遭って驚き、一番丁へあわてて駆け抜けたという。(現在「台町一番丁」などの地名は見当たらないが、仙台市内か)
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ロウコ 1977年 岐阜県 濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
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アコヤマツ 1956年 宮城県,山形県 実方の娘の阿古屋姫は千歳山麓に来て庵を結び,父の冥福を祈っていた。秋頃から男が毎夜姫の許に通ってきた。その頃陸前名取川の橋が洪水で流され,占いの結果千歳山の老松を橋にすれば流れないといわれたので,名取の里人はその木を買い取った。しかし松は非常に堅く,ようやく少し伐り込んでも翌日になるとその痕跡すら消えている。伐り屑を焼くと仕事が捗るようになった。松が伐り倒される前夜,姫の許に通ってきた若者が自分の正体は老松の精であると明かした。数日後,松の巨木が運び出されることになったがびくともしない。これを聞いた姫が巨木の背中を撫でて打ち乗ると大木は動き出したが,姫が降りると動かなくなる。柴田郡の古関で姫が懇ろに松を諭したので,その後は無事名取川の辺に着いた。
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シュテンドウジ,タテヤマスギ 1967年 富山県 平井保昌が酒呑童子退治のときに使った兜が保昌家に伝わっていたが、不運が続いたので立山杉の下に埋めた。この木に登ると痙攣して顔が引きつるという。
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テング 1933年 長野県 松の木の真東に向いている枝は天狗の止まり木であるという。伐るには斧で切れば天狗が逃げていくから祟りがないそうである。
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テング 1982年 群馬県 弘法大師が霊場を捜して寺を建てる千谷を捜したが、天狗が1谷隠してしまい、大師は落胆して山頂から袈裟を丸めて投げた。そこが袈裟丸山。
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テング 1981年 富山県 天狗が樹齢千年の老松に棲むと言われて、恐れられていた。
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