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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ミチヲフサグウバ
1956年 宮城県
台町一番丁から二番丁へぬける横丁通り西浦のあたりに、大きい皀莢木(さいかち)が枝を広げていたが、夜、その下に白髪の老婆が横丁をふさいで立っていることがよくあった。ある夜某家の仲間(ちゅうげん)がそれに遭って驚き、一番丁へあわてて駆け抜けたという。(現在「台町一番丁」などの地名は見当たらないが、仙台市内か)

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マチドオリノカイ
1956年 宮城県
南町の東裏、塩倉(しぐら)丁-東一番丁、大町角より南-から東へ通ずる横丁は遠藤某の屋敷で、西隣は細目某(昔は小島藤右衛門屋敷)の屋敷であった。その遠藤屋敷で、ある暮方、南隅の藪際の梅の古木の上に立烏帽子・白直垂を着た若い男が立って、金の扇でこちらに招きかけていた。大入道や一ツ目小僧などと違い、気味の悪い感じだった。またある時は、愛子から荒町へ帰る男が、この屋敷の前で、杉の木の上から白衣の女にケタケタと笑いかけられ、驚いて逃げ帰ったという。
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ソデフリチョウノユライ,フルダヌキ
1956年 宮城県
仙台市小田原の一角に蜂谷屋敷と呼ばれる地域がある。そこはもと蜂谷長者といわれた蜂谷定国の屋敷で、藩政時代その一角に栗の古木があった。その頃夜になると老樹の下に、振袖姿の白い顔の女が佇んで、小路を通る人にニタニタ笑いかけたといわれ、その通りは夕方になると通行が途絶えてしまった。それを聞いた剣客狭川新三郎が夕方に出かけると、やはり怪しい振袖姿の女がニタニタ笑いかけた。新三郎が小柄を投げつけると、キャッと声を立て手応えがあって、女の姿は闇に消えた。翌朝調べると、劫を経た古狸が咽喉を刺されて死んでおり、それ以来妖異は絶えてしまい、誰ともなく袖振丁と呼ばれるようになった。その後、誰が建てたのかこの屋敷内に狸塚とよぶ小祠があり、明治の頃まで残っていたという。一説にこの通りの屈折の形が振袖に似ているからともいわれる。
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ニワカメクラ,キツネ
1956年 宮城県
北台町七番丁通り西の横丁から八番丁へぬける小路で、昔から夜分通る人が度々にわかに目が見えなくなってしまうことがあった。そのあたりに棲む狐の仕業だったという。(現在「北台町七番丁通り」などの地名は見当たらないが、仙台市内か)
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オオスギノセイレイ
1967年 福島県
笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。
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オオスギノセイレイ,ササヤキバシ
1967年 福島県
笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。大杉は板倉公の居室に使用され、余った材料は大仏となり、耳語橋の材料になった。耳語橋が夜中にささやくのはこのためだという。
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ビジョノヤシキ
1956年 宮城県
仙台藩士日向某が泉田出雲を尋ねると,同家の土塀の出格子から,内側の庭園に美女がいるのを見た。主人に庭にいる美女は誰かと尋ねると,「あなたも見たか。春の長閑な日は路地の向うの畑に佇んでいる事もあり,暮れ方には白装束に散らし髪で茶の間の前の釣瓶井戸で水を汲み上げている時もある。前代の本田伊賀,つまり源之助の父が住んでいた時からそういう変異があったと語り継がれてきた」と話した。雨の降る淋しい夜などに腰の曲がった老婆が破れた鉦鼓を首に掛けて軒下を徘徊する事もあったという。但し家や人に害をなしたり凶事が起こることはなかった。
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カイイヤシキ、オオニュウドウ、ヤシキカミ
1956年 宮城県
昔,新坂通台町五番丁南側東角の屋敷を拝領した侍が一人住まいをしていた。ある夜座敷に寝そべっていたところ庭先近くで呼ぶ声が聞こえる。障子の隙間から覗くと軒よりも高いような大入道が立っており,ここは昔から自分の屋敷だから早く立ち退けとわめく。主人が「ここは殿から拝領した我が屋敷じゃ。お前こそ立ち去れ。」と言い返すと,「ここはわしを粗末にしたので住み着いた者はいない。祭の日に神酒や供物をして厚く祀ってくれれば守護してやろう」といって消えてしまった。翌朝調べると屋敷の一隅に梅の老木があり,その下に小祠があった。それが前夜の大入道が屋敷神として棲んでいた祠だったのだろう。当時今泉孫八郎の屋敷であった。
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スクイヲモトメルオンナ,クビ
1956年 宮城県
ある冬の夕方、1人の若侍が、荒町から真福寺(愛宕橋際)へ下る細小路の只木惣助の門前で美しい女に出会い、「自分はこの近くに住む囲い女(妾)です。今夜切られるので助けてください」と頼まれ、約束はしたが、そのまま河畔の自宅に帰った。床について真夜中、川の方から「助けて!」という悲鳴が聞こえ、間もなく若侍の家の路地に女の首が飛んできて、恨み言をはいたという。
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ハナ,バケモノ
1935年 熊本県
暗くなりかける頃、魚売りが夫婦坂で若い女に会った。女が煙草の火を欲しがるので、煙管を差し出すと、女の鼻がにゅーっと伸びた。驚いて魚笊を捨てて家に逃げ帰ると、嬶に化け物に会ったことを話した。すると嬶の鼻もにゅーっと高くなった。魚売りは驚いて気絶してしまい、気がつくと夫婦坂で倒れていて、夜が明けかかっていた。
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チョウチンコゾウ
1956年 宮城県
堤通りの東横丁、北七番丁と北六番丁の中間あたりで数年前から時々あったことだが、雨の夜など、提灯を下げて南へ下っていくと、12,3歳の小僧が小提灯を持ってあとさきになって行く。ふと振り向いたその顔は酸漿のように真っ赤なので思わず悸(どき)っとした。北一番丁あたりで消えうせた。そこは以前富岡十之介の屋敷だった。十之介は正徳年中7月15日の夜、妻を町の盆火見物に連れて行き、帰宅するとどういうわけか乱心して、井戸のあたりで妻を斬り捨ててしまった。それ以後、夜更けにそのあたりで妖火が燃え上がり、界隈の評判となった。
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タヌキ
1976年 新潟県
1925年ごろのこと。材木を筏に組んで津川まで運んでいき、酒を飲んで帰る途中、夜道を行くと今まで無人だったところに、急にかすりの着物の女が現れた。これは化かしに来たんだと思い、少し行ったところの坂を下るときに、4mくらいある筏竿を道路にぶつけて脅した。すると狸がおどろいて田んぼに逃げ込んだので、それを捕まえたという。
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ナナビノムジナ
1983年 東京都
江戸の五軒丁代町にある蕎麦屋で、縁の下に貯蔵していた下地の出し殻が消えることがあった。犬や狐狸の仕業かと思われたが、数日経って閉店後に門口から何者かが入ろうとし、縁の下に隠れるのがみえた。そして店の者が捕らえたところ、それは年を経た狢で、尾が7つに分かれていたという。
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キツネ
1996年 愛知県
富貴中学校の前の道は松並木が続いていて、並松と呼ばれていた。この道に利口なキツネがいて、通行人を化かした。市原へ通じる分かれ道にあるお地蔵さんに油揚げなどを置くと化かされずにすんだ。ある人が婚礼の帰り道に、突然目の前に塀が現れて行き止まりになり、夜明けにようやく家に帰った。女房に言われて風呂に入ると、それは肥だめだった。朝、人が見つけて助け出したという。
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キツネ,ゴロウウエモンノババ
1979年 山形県
五郎右ェ門という家の2代前の主人が暗くなってからの帰り道に5、6人の者がちょうちんをつけてやってくるのに出会った。その人達の顔を見ると、先頭のものは五郎右ェ門の婆であった。「どこへ行くのか」と聞くと、「五郎右ェ門の婆が死んだので茶昆買いに行く」という。「五郎右ェ門の婆とはおまえではないか」と問うと、「俺は死んだんだ」と答えた。きつねに化かされたものだったという。
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キツネ
1989年 愛知県
原田北部の小松谷は、南側のため池近くにキツネ穴があくさんあったので、狐谷と言われていた。ある人が夜中の一時頃に、長坂という峠を越え、原田目指して歩いていたところ、ぞくぞくっと寒くなった。やがて浮御堂のある池に出たところ、松の根本に美しい娘がいた。「こんばんは」と声を掛けても無言で、一町ほど行って振り返ると姿はなかった。家に帰って父親に言うと、寒気はしなかったかと問われた。したと答えると、その時にキツネにつかれたんだと言った。
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ネコタノコウシンヅカ
1956年 宮城県
郷士阿部某の娘が夕方向山の北裾の山路を通ると,突然身の丈6尺程の大猿が現れ,娘は失神してしまった。翌朝家人が失神している娘を見つけ,家に担ぎ込んだが,娘は日増しに痩せ衰えていく。ある日村の若い衆が見舞いにきて娘の額に手を当てようとしたところ,突然男の頭に柿の実が飛んできてぶつかった。見廻しても仲間しかおらず,翌日も同じ事が続いたので三日目には見張りをつけた。一人が娘の額に手を触れると,突然屋根裏から南瓜が投げ落とされる。上を見ると天窓から大猿が歯をむき出していたので,大勢で追いかけたところ向山のほうに逃げてしまった。その後も,見張っていないと大猿がやってくるので,刈田岳のマタギに頼んで大猿を撃ち殺してもらったが,同じ時刻に娘もあっとうめいて息を引き取ってしまった。その後村人は娘と猿の供養のために山の北麓に庚申塔を建ててやった。初め猿田の庚申塔といっていたが,現在では猫田の庚申塔といわれている。
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シンジュウロウキツネ
1956年 宮城県
台町五番丁の東北角屋敷は,以前郡司桜田安兵衛の屋敷であった。裏の竹薮に穴があって,そこに新十郎と呼ばれる狐が長年棲んでおり,様々化けては通行人を悩ました。
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タロベエキツネ,キツネ
1929年 島根県
太郎兵衛という狐の一族が飯山の森に住んでいた。農村の人をだましたり、女に化けて持ち物を盗んだりしていた。宵闇の頃にも出没し、翌日確かめてみると、魚屋の銭箱には木の葉が二、三枚はいっていることもあった。
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ヒコケンケン
1956年
雪中に出る女の怪。紐で人をしばって行く。一本足で片足とびをするという。仙台地方では片足とびをヒコケンケンという。
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シツケンケン
1956年
雪中に出る女の怪。紐で人をしばって行く。一本足で片足とびをするという。仙台地方では片足とびをヒコケンケンという。
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