ガマ 1976年 熊本県 称徳天皇の御時神護景雲2年7月、蝦蟇が広さ7丈ほどに並んで南に向かって去った。日暮れになり、その行き先はわからなかったという。
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カエルカッセン 1974年 大阪府 桓武天皇の延暦3年5月に、蝦蟆が2万匹ほど集まり、難波市南道より南行し、四天王寺境内に入った後ことごとく散り去ったという。これを蛙合戦という。
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シカ,カラス,シラサギ,キツネ,ハト 1983年 弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、春日大社の鹿・熊野大社のからす・気比神社の白鷺・稲荷大社の狐・男山の鳩が、次々と西へ向かっていったという。
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ヒヨシサンノウノヤシロ,ウゴクカガミ,ニシヲムクツルギ,クツ 1983年 滋賀県 弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、日吉山王神社にある錦張りの鏡が動き、神宝の剣が悉く抜けて西に向かってきらめいた。また御沓も西を向いたという。
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スミヨシタイシャ,シンメ,シラサギ 1983年 大阪府 弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、住吉大社の神馬は鞍の下に汗が流れ、お使いである白鷺が日に日に集まって、数万羽の群となって西へ飛んでいったという。
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ツブテイシ 1978年 広島県 高増山の高御倉と新山村蛇円山のすさのおの尊が吉備の国を守ろうと石を投げ合って誓いを立てた。高御倉の投げた石は江熊の里に落ち、すさのおの投げた石は吹上の里に落ちた。この石の落ちた所は疫病はなく、よそから入ってきてもここの者には移らない。また雨が降りそうな時は水が滴る。
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イケナカノクラ 1913年 石川県 長享2年6月8日、倉嶽村にある富樫政親の城を一向宗の僧徒が攻め、政親を滅ぼした。政親は馬諸共池に沈み、今でも晴れた日には池の底の鞍が見えるという。6月8日に限っては鞍が水面に浮き出るといわれている。
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オオカミ 1992年 宮崎県 嘉永4年(1851)年7月のこと。長野峯で狼の1000匹連れが木炭運搬の駄賃牛を狙って手が付けられず、交易が止まって困ったので、修験の金剛院に加持祈祷を頼んだ。長野峯に登って祈祷する金剛院を狼が取り囲んだが、念をこめて法螺貝を吹くと狼はことごとく退散した。
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(オオヒョウ) 1981年 奈良県 正徳4年7月1日午の刻過ぎより吉野山で大雹が降り、多くの人や牛馬が怪我をした。雹の重さは5,6分のものから100目くらいまであり、諸人がただ事ではないと怪しんでいると、聖護院宮が薨去したので、これが理由かと村人は思った。
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タイコ 1976年 徳島県 後光厳院の御宇、康安元年の夏秋の間に大地震があり、7月24日に急に潮が乾いて陸になった。この時鳴門の岩の上に周20尋程の大太鼓が現れた。胴は石で面は水牛の皮、巴紋を描いて銀の泡頭釘が打たれていた。これを見た人は皆怪しみ驚いた。試みにこの太鼓を撞木で叩いた所、音が天に響き、山が崩れ潮が湧き出、皆逃げ去り太鼓の場所がわからなくなった。
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メイドウ,ホラガイ 1982年 正徳6年7月中旬から大和国葛城山が鳴動した。法螺貝が山から出てきてどこかへいった。このため南都の葛籠山は2つに割けて水が出た。葛城山の鳴動と関係が有るのだろう。
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(コモリカッテジンジャ),テツノタテ 1983年 京都府 弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、子守勝手神社にある鉄の楯がひとりでに立って西の方角へ向いたという。
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〔シンオウ〕 1977年 光仁帝天応元年5月5日に、異国の凶族が攻めてきた。第2皇子の早良皇子が真幡寸(まはたき)神社に祈誓すると、神応の験があって、にわかに大風が吹いて、賊はことごとく海に沈んでしまった。
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オカマサマ 1961年 埼玉県 神無月にはおカマ様という神様が旅に立たれる。
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カマクラヤマ,カタメノフナ 1956年 宮城県 新川の北の山にこもる貞任の軍を八幡太郎義家が攻めた時、鎌倉権五郎景政が砦とした峻しい岩山。景政が片目を射られた傷を洗った小さな池が北がわにあり、そこの鮒はみな片目であるという。
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ムジナ,フタツイワダンサブロウ,キツネ 1984年 石川県 佐渡ムジナの長老二つ岩団三郎が上方見物にでかけ、その帰りに狐と一緒に歩く。加賀の国までくると狐が佐渡に行きたいといい、団三郎は明日自分は加賀様に化けて行列を作るから、奥女中の上臈に化けて籠に声をかけてくれと打ち合わせして別れる。狐がいわれたとおりにすると、お供の侍に首を切られる。それは本物の加賀様の行列で、団三郎が狐を佐渡へ入れまいとしていたのだ。
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(サカナ) 1981年 東京都 正徳2年3月中旬、深川に、長さ7尺、全身鼠色で毛や髭が生え、頭は鼠のようであった。尾は二股に分かれ燕のようであり、ひれもあった。
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オウマイシ 1943年 香川県 後陽成天皇の文祥年間の頃、細川国広という人が前田から小倉山に行く途中、老婆が道をさえぎった。国広が石を投げつけると老婆は飛び去り、今度は馬に化けた。馬を投げ飛ばすと大石になった。これが御馬石で、小倉山の入り口の畑の中にあり、他に移すと夜の間に元も畑に帰るといわれる石である。
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イジュウ 1974年 京都府 延宝年間のこと、京の南にある吉祥寺村で、吉祥天女のご開帳があるというので、近隣の村々から六斎念仏を行う者が多く集まった。その彼らが打つ鐘や太鼓の音を恐れたのか、怪獣が出てきて、ある百姓の家の縁の下にかけ入った。それを生け捕りにすると、顔は狸に似て、鼻から額まで黒く、うなじは白い。さらに背は黒く、腹は白く、徳利のような丸い尻をしており、尾はなくて前足はモグラのようで、後ろ足は長く犬のような獣だった。餌は串柿だけ食べたという。
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(ソラニアラワレタモジ) 1982年 享保14年8月17日寅の4刻より、東方日の出る辺り3、4町程の間が一面赤色となり、その中に「蚕裳茷日国」という6字がほのかに現れて暫くして消えた。直接は見なかったが、世上にこの風説があるので記す。
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