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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

(コモリカッテジンジャ),テツノタテ
1983年 京都府
弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、子守勝手神社にある鉄の楯がひとりでに立って西の方角へ向いたという。

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ヒヨシサンノウノヤシロ,ウゴクカガミ,ニシヲムクツルギ,クツ
1983年 滋賀県
弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、日吉山王神社にある錦張りの鏡が動き、神宝の剣が悉く抜けて西に向かってきらめいた。また御沓も西を向いたという。
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イワシミズハチマングウ,ハコザキハチマングウ,カブラヤ
1983年
弘安4年の蒙古襲来の際に、石清水八幡宮と筥崎八幡宮の神前から、鏑矢が1つ鳴り響いて西に飛んでいったという。
類似事例

シカ,カラス,シラサギ,キツネ,ハト
1983年
弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、春日大社の鹿・熊野大社のからす・気比神社の白鷺・稲荷大社の狐・男山の鳩が、次々と西へ向かっていったという。
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ダイジャ
1983年 長野県
弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、諏訪湖の鼓吹から大蛇が波をわけ、雲起こして西へ向かったという。
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イセジングウ,メイドウ,ケムリ
1983年 三重県
弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、伊勢神宮の社殿が鳴動し、扉が開いた。その中からいささかの煙のようなものが飛び出て、西の方向へ飛んでいったかと思うと、忽ち黒雲となったという。
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スミヨシタイシャ,シンメ,シラサギ
1983年 大阪府
弘安4年7月7日の蒙古襲来の際に、住吉大社の神馬は鞍の下に汗が流れ、お使いである白鷺が日に日に集まって、数万羽の群となって西へ飛んでいったという。
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ヤマシロミオヤコウタイジンノヤシロ,メイドウ
1983年 京都府
弘安4年の蒙古襲来の際に、山城国の賀茂御祖神社(下鴨神社)の社殿は昼夜を問わず鳴動したという。
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(シモカモノシンメ)
1983年 京都府
弘安4年の蒙古襲来の際に、下賀茂社の神馬が行方不明となったが、蒙古が滅びた日に厩に帰ってきた。その身体の所々に傷や血が付いていたという。
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オダケマイリ,ハチマンダケ,カブラヤ,ハチマンダイミョウジン
2001年 青森県
延元3(1338)年、春、東南方から一条の光りがたなびいてそれが夜な夜な光り輝くので、西野孫左衛門が登って確かめ、一本の鏑矢を発見して持ち帰った。すると、その子孫四郎が託宣を得、岳の頂上に祀って、雄岳の名を八幡岳と改めたのだと言う。
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カタメノヘビ
1949年 福井県
天守閣を建てる際、人柱を立てる事になり、片目の男が自ら名乗り出て、必ずお城を守ると言って生き埋めになった。お城の蛇が片目なのはこのためで、城が大軍に攻められると、蛇は霞を吹き出して救った。
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ウマ
1932年 島根県
毛利の大軍が攻めてきた時、城主は再挙をはかるべく単身城を脱した。その時駿馬に一鞭あてると、1里半の遠方である四日市阪に飛んだ。今でもその蹄の跡が残っている。
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クビナシウマ
1984年 愛媛県
天正13年7月6日、祖母井城城主之照が管田宇津城城主大野安芸守直光に攻められ、討死した。それ以来7月7日に和田から春賀の東門寺へ首なし馬が走るようになった。このため東門寺は、6日夜から7日にかけて本堂の扉をわずかに開けておくという。
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マツモリジョウ
1956年 宮城県
一名を鴻ノ館という。伊達政宗が国分盛重をこの城に攻めたとき、入沢乙から水を運んでいるのを村の一老人から聞き、水の手を絶ったが、城方で水を流して馬を洗うのが見え、不審に思っていると鳥が(水にみせかけた米に)群がり集まったため計略がばれた。その日は正月三日で、政宗方の門松が折れたので、家老が不吉の前兆であるから城攻めを見合わせて欲しいというと、政宗は松が折れたのは松森が落ちる吉兆だとして一気に攻めおとす。水の手を教えた老人は祟りをうけて死んだ。
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テング
1976年 滋賀県
加賀の権守諏胤の子・三郎諏方は大和守に任じられ、春日権守の孫娘・春日姫と夫婦となった。ある年の3月に7日間の巻狩に妻を伴って参加したところ、三郎がそばを離れた隙に妻は怪しいものに連れ去られてしまった。三郎は山に住む天狗のしわざであると言って、妻を捜す旅に出た。
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カナヘビスイジンジャ
1956年 宮城県
三条小鍛冶宗近は、一条天皇の勅命を蒙って小狐丸の宝剣を鍛えるため陸奥に下り、ここに住んで剣をきたえたが、蛙の声に妨げられて一心不乱になれなかったので、鉄で雌雄の蛇をつくったところ蛙が鳴かなくなった。もともと水神の社で、弁財天を祀り、賽銭を断りなしに借りていって資本にすると必ず成功するといわれる。神様から借りるため、踏み倒した者はいない。境内に鉄の鋳屑が出土し、宗近が用いた池もある。
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ショウグンヅカ
1975年 京都府
桓武天皇が平安京に遷都した時、人をかたどった8尺の土偶を作り、甲冑を着せ、太刀を佩かせ、帝都に向かわせて、これを埋めて京の鎮護とした。もし京に変災があれば、必ず鳴動するといわれている。明応2年には、実際に将軍塚が鳴動したという。
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フクロウ
1954年 神奈川県
岡津の鍛冶屋が猟に行き、梟がいたので鉄砲を撃つと、弾をみな掴んでだんだん大きくなる。怖くなって後にさがった途端、崖から落ちたという。
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ヌシ,ダイジャ
1993年 山梨県
鉄砲の名人が芦川村の滝戸山の主だった大蛇を退治した。後に大蛇は鉄砲打ちの夢に現れて、その家の屋敷神に祭られることになった。
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ヒヒ
1991年 愛媛県
鉄砲名人の孫八は、僧都のヒヒ退治を頼まれた。ヒヒは宝福寺に逃げ、釣鐘を盾にして鉄砲を防いだが防ぎきれずに寺の外に逃げ出して死んだ。鉄砲の弾の跡の残った釣鐘があったが、戦時中に供出されてしまった。ヒヒが死んだところには猿ま天神サルマテンジンが祀られた。
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(トブナマクビ)
1939年 新潟県
昔、ある城主が城を築く大工を募集した時、妻の勧めで怠け者の大工が応募した。大工は妻の知恵で試験に合格し、城を作ることになったが、大黒柱を切り違えた。これも妻の知恵で乗り切ったが、大工はその秘密を知る妻を口封じのため殺した。妻の首は北へ向かって飛び去り、早晩立ち返って城を崩し、雷のように叫んで影を失ったという。この祟りを恐れて、弓矢を北方へ向けて供えるという。
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