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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

アダチガハラ
1956年 宮城県
秋保温泉の西、一山越えた名取郡との境の高原で、川崎から長袋へ抜ける古街道の沿道に、鬼婆の窯岩がある。平兼盛が詠んだ「みちのくの安達ヶ原の黒塚」はここである。

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アッキ,オニババ
1967年 福島県
熊野那智の祐慶という僧が奥州安達ヶ原にたどり着き、野中の家に宿を乞うた。寒い夜で、婆さまが芝を取りに行った時に、僧は見てはならぬといわれた部屋をのぞき、白骨屍を見つけ、驚いて逃げた。それを知った婆さまは悪鬼となり追いかけてきたが、背に負った仏の法力で鬼婆を祈り殺すことができた。それを埋めたのが黒塚である。また婆のこもっていたといわれる岩屋もある。
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タカミチノヒ
1956年 宮城県
寺崎部落附近に坂上大宿禰高道の墳がある。高道は陸奥守として下ってきて天安2(858)年正月に戦死した人物。村人は「山田の碑」「貞観石」と呼んでおり,この塚を涜すと禍を受けると言い伝えられてきた。寛政2(1790)年4月,庄兵衛という農夫が鋤で塚の上の土を掘ったところ,帰宅後に発熱悪寒をおぼえて人事不省におちいり,「汝百姓の身を以って蓑笠を着け土足のまま我が塚の上を削る。非礼も甚だしい」とうわ言を言うようになった。家族が驚いて墓に行き,香華を供えてその罪を詫びると主人の病は忽ち癒えたという。土地の人々が碑を荒廃に任せていたので祟りを受けたのだろうということである。寺崎部落の高橋屋六蔵の談話。
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オニ
1916年 徳島県
高越山の山腹には、鬼が入定したと言われている鬼ヶ定という所がある。また、焼山寺山には鬼が棲んだという岩屋が残っている。
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(ユメマクラ)
1974年 香川県
讃州金毘羅山の麓の禅寺で、享保年間、洪鐘を建てる場所を求め、清少納言の塚の場所に建てようとした。その夜住僧の夢に容姿端麗な官女が枕上に立ち、塚を残してほしいという和歌を詠んだ。
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ショウグンヅカ,キジョ
1987年 長野県
安和2(969)年,紅葉と名乗る鬼女が戸隠山に住み,妖術で住民を苦しめていた。平惟茂は常盤生まれ,近江与吾村に住んで余吾将軍といわれており,紅葉退治のため詔を奉じて信濃に派遣された。惟茂は北向観音に参篭祈願し,鬼女を滅ぼした。将軍塚は惟茂の墓だと伝えられている。直径15メートル,高さ2メートルほどの円墳で,上に石造の多重塔がある。
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セイショウナゴン
1931年 香川県
寛永もしくは享保のころ、讃岐金比羅山の麓の寺が、鐘楼を築くために清少納言の墓といわれていた場所に工事を行おうとしたところ、和尚の夢に美しい女官が現れ「うつつなき跡のしるしを誰にかは間はれなんなれど有りしてしもがな」と詠んだという。
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タヌキ
1986年 埼玉県
名栗村の炭焼きのじい様が夜に寝酒を飲んでいると、墨染めの衣を着た坊さんが尋ねてきたので、ご馳走した。それが何回か続くようになったのでじい様は怪しみ、焼き団子を進ぜようと言って火箸でいろりの灰の中から石をつまみ出し、坊さんの衣にくるんだ。すると坊さんは「あっちっち」と言って外へ飛び出して行った。次の日、山道に古狸がやけどをして死んでいた。
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オニ
1933年 奈良県
足立の安達姓は鬼の子供の子孫と言われている。裏山には黒塚、鬼塚、三ツ塚の三つの塚がある。前の原は安達ヶ原と呼ばれている。鬼筋と言われる家もあり、コロボックルの子孫ではないかとも言われる。
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アダチガハラノオニババ
1989年 福島県
安達が原の岩屋に鬼婆が住み、旅人を食べる。泊まった僧侶に骸骨の山を見られ、殺そうとしたが観音像とお経の力に近づくことができず、そのうち朝日が昇って、鬼婆は光にやられて死んだ。
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ブンタ
1988年 愛知県
布土上村と平田の間にある神明社の隣に、森があり、「ぶんたのこし」と呼ばれている。馬の首や大きな火の玉が出たといわれている。「ぶんた」という古狐が住んでいたのでそう呼ばれるが、この古狐に化かされた人もいたという。
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オニ
1922年 徳島県
海部郡橘村から山河内村を越える大越峠の東方に鬼の窟屋といわれる巨岩の裂け目がある。ここに鬼が住んでいて人を喰っていたが、二人の武士が土佐からやってきてこれを退治したため高知神社を建てた。
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オニ
1932年 岡山県
吉備郡足守の西に鬼の石というのがある。昔女が鬼に追われたとき、この石に着物を打かけて逃げたところ、鬼は石を女と思い込み抱きついたため石の下のほうへ穴があいたという。
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オニオンナ
1936年 福島県
安珍が安達ケ原黒塚で鬼女を鎮めた。
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オニマツ
1987年 長野県
角先渓谷の奥に大岩があり,「鬼ヶ城」と呼んでいる。大昔,ここに鬼が住んでいて,この辺一帯を荒らしまわったという。ある時坂上田村麻呂が攻めたが,どうしても降伏しなかった。金縄山の観音様に祈願すると,桑の木を矢にして攻めよとの霊告があったので,そのようにしたところ,忽ち鬼が降参してきた。捕らえて金縄(金のくさり)で縛って,松の木に繋いだが,その場所を「金縄山」,繋いだ松の木を「鬼松」,そこに祀った地蔵を「鬼松地蔵」という。
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ヤマンバ
1939年 長崎県
経塚に経文石という二つの石があった。山伏が一つを別の所に持っていこうとしたところ、火の雨が降り火の風が吹いた。今でも佐須村の上山にある。
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クマノジンジャ
1956年 宮城県
平安末、仙台市と名取市の境の前田に1人の巫女がいて紀州の熊野に年参りをしたが、老後長旅に堪えず、保安4年(1123)、名取川を音無川に見立て、岸に新宮証誠殿、その西に本宮、高館山に那智権現を勧請して、熊野三所権現と称した。巫女は老いて名取老女と呼ばれた。あるとき、熊野の修験が陸奥に下り証誠殿に参籠すると、枕辺に子童が現れ、陸奥に名取老女がおり久しく見えぬが、これを渡してほしいといって消え、枕辺にナギの葉があって「道遠し年もいつしか老いにけり思い起こせよわれも忘れじ」と三十一文字が書いてあった。修験が陸奥に下って老女にこれを伝えると、感激に涙を流して三社を案内したという。
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ジゾウ
1922年 宮城県
唐桑村と鹿折村の境の峠には一体の地蔵がある。元禄寛永の頃、峠を夫婦の六部が通りかかったときに妻が産気づいて赤子を産んだ。夫が人を頼んで戻ってみると母子ともに姿がなかった。その後世安楽を願って地蔵を建てた。悪戯で沢に転がされたときには夢枕に立って所在を告げた。
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ビジョノレイ
1967年 福島県
昔、僧に恋した美女の霊が、この僧の元に通い美しい子を産んだ。信濃久野の宗慶という沙門が噂を聞いて来たが、この地で果てた。美童はそれを聞き自らも同じ年に死んだ。それを葬ったのが道童塚といわれる。
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シブヤコンノウマル,ヤシャガミ
1935年 東京都
麻布笄町の長谷寺に夜叉明王堂というのがある。源義朝の臣、渋谷金王麿が長者丸というところに築城のとき、城の北隅に鎮地の神として石像を埋め置いた。江戸時代に阿部豊後守の臣安川繁成がその地に住んで井戸を掘りその石像を発見した。これを身近に置いて愛玩していると金王麿の霊がたびたび奇瑞を現すので、ついに奉安したものという。その後石像にかたどった鬼の面を奉納し、祈願すると霊験あらたかといわれ今なお多くの信仰を得ている。
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ダイダラボウ
1986年 埼玉県
昔、秩父にダイダラ坊という大男がいた。ある年、ダイダラ坊は旅に出ることになった。そして昼飯の時に腰を下ろした所が定峰峠で、粥を煮て食ったところが粥新田峠、使った箸を突き立てた所が二本木峠、笠を置いた所が笠山だという。また、腹いっぱいになったダイダラ坊が大あくびをするのに足を伸ばすと、その足は槻川まで届いた。そして粥を煮た釜は荒川で洗い、その近くに伏せておいた。それが釜伏山である。
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