ダイシ 1959年 福島県 平沢では大師講が12月に行なわれる。この大師の名ははっきりしないが、子どもが多勢あって食わせることもろくにできなかった。しかし、だんだんシンショウがよくなっていくのをカユの違いによって表す。カユに長い箸をつけるのは子どもが多くて届かないからだという。
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ダイシサマ 1963年 福島県 11月4日、14日、24日の三大師があり、4日をハジメ大師講、14日をナカ大師、24日をアマリ大師という。仲作では4日と14日は夜にやわらかいあずきごはん、24日は朝にふつうのあずきごはんを供える。大師様は始めは貧乏であずきがゆを食べるが、最後には普通のあずきごはんを食べるのだという。タイシとは聖徳太子のことである。
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オカマサマ,ダイシサマ 1963年 福島県 11月4日、14日、24日の三大師があり、4日をハジメ大師講、14日をナカ大師、24日をアマリ大師という。仲作では4日にハギシコを取ってきて箸とし、オカマ様に供える。このオカマ様のところに大師様がいるといわれる。タイシとは聖徳太子のことである。
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オダイシサマ 1964年 秋田県 11月24日はお大師様の日で、オデェシコという。小豆粥を煮て長い萱の箸を添える。それは、お大師様には24人もの子どもがいて、その子どもたちを養うために使うのだという。
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オダイシサマ 1964年 秋田県 11月24日はお大師様の日で、オデェシコという。この日は吹雪になるといわれている。それはこの日、お大師様が塩を買いに行って吹雪のために死んでしまったからで、オデェシコブキという。
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ダイシ 1970年 福島県 旧11月14日は大師講で、大師様の日である。この日、ダンゴを入れたあずき粥をたべ、24日にあずき飯を食べる。大師は貧乏なのであずき粥をすすっていたが、金持ちになったのであずき飯を食べるようになったという。大師は弘法大師である。
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ダイシ 1970年 福島県 旧11月14日は大師講で、大師様の日である。この日、ダンゴを入れたあずき粥をたべ、24日にあずき飯を食べる。大師は貧乏なのであずき粥をすすっていたが、金持ちになったのであずき飯を食べるようになったという。大師は法華様である。
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(ゾクシン) 1939年 千葉県 愛宕様の祭礼は1月24日である。毎月24日は、愛宕様が嫌いだといって、酒類・酢類を全く使わず、甘酒も飲まないという。
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ダイシ 1970年 福島県 旧11月14日は大師講で、大師様の日である。この日、ダンゴを入れたあずき粥をたべ、24日にあずき飯を食べる。大師は貧乏なのであずき粥をすすっていたが、金持ちになったのであずき飯を食べるようになったという。大師はエビス・ダイコク様である。
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チョウチン 1956年 東京都 1月24日の晩に、提灯行列が一丁ほども続いているのが見えた。
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サンヤサマ,ツキ 1929年 栃木県 1月23日、5月23日、そして9月23日は三夜様と言われている。この日には、月が三体になって登るとされ、三夜講が営まれる。
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リュウトウ 1964年 福島県 往生山には毎年6月24日に竜燈があがるという。
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コウボウダイシ,ガンザンダイジ 1967年 福島県 11月4日、14日、24日を三大師といって大師講を行う。おだいし様と呼んであずきを入れただんごがゆを作る。おだいし様は貧乏で子どもが多いので、たくさんの萱の箸を作ってあげる。
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ダイシサマ 1982年 新潟県 11月23日は大師講の日である。大師は大根が好きなためにとある家で女の人から蕪を食べさせてもらった。大変うまかったので他家の倉へ盗みに入った。その足跡を隠すために雪が降るのだという。
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シチホンザメ 1934年 三重県 旧暦の6月24・25日をオゴサイの日と言い、この日には7本の鮫が上ってくる。昔、この日に鮫を取ったら、悪い病気が流行した。この日は、船が通行止めになり、海女は仕事を休む。
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ナキヒト 1993年 静岡県 清水の東勝院(薩埵のお地蔵さん)に7月23,24日の例祭に参ると、西院の河原で亡き人に出会えるという。
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ハチジュウハチヤ 1965年 岩手県 八十八夜に供えた餅を女性は食べないという。
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ダイシサマ 1982年 新潟県 11月23日は大師講の日である。汚く貧しげな大師様を泊める家もなかったが、可哀想に思って泊めた家には幸運が授かり、その後大師の姿はいつの間にか消えたといわれている。
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ヒイミサマ,ボウレイ 1928年 東京都 大島の泉津村で一揆が起こったとき、30人あまりが神津島に流されることになったが、1月24日に暴風雨のために全員が海に消えた。その亡霊が泉津村にくるので、24日の晩は海を見てはいけないといわれている。もし、船を見ると祟りがあるといい、この晩は真っ暗にして火をたかない。また、日が暮れると戸を閉じで外出しないのだという。
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ヨシトモノタタリ 1975年 愛知県 師走二十八日に義朝が逃げて野間村を通る際、餅が搗き上がるのを待てず蒸し米の状態で食べた。翌年になって村民が餅を食べると疫病が流行した。これを義朝の祟りとして正月には餅を食べず、一月十五日に蒸し米に煮豆を添えて食べるようになった。
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アラガミサン 1972年 佐賀県 荒神さんに供えた餅は9日に餅開きをする。荒神さんは刃物が嫌いだというので手で割った。娘に食べさせると縁遠くなるとも言われる。
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