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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

コウボウタイシ
1989年 長野県
弘法大師が立ち寄って「泊めてくれ」と頼んだが、食べるものがないので泊められないと断ると、自分でわらびを取ってきたのでそれを煮た。味を付けようと思っても塩がないと家人が言うと、大師は「出してやる」と言って岩をつつき水を出した。その水はしょっぱかったので、それでわらびを煮たという。

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コウボウワラビ
1967年 福島県
山中にわらび平という所がある。弘法大師回国の折、道に迷い炭小屋を見つけ宿を頼んだが断られ、仕方なく他の小屋を訪ねたところ、老婆が快く聞き入れてくれたが、山中なので汁をつくっても実を買いに行くこともできずに申し訳ないと言うと、それは不自由だろう。裏の草原の山わらびでも取ってきたらどうかと言われた。わらびは取ってもすぐには食べられないというと、大師は、私の教えるのは大丈夫だというのであった。不思議にその通りで少しも苦くなかった。それ以来、この草原に生えるわらびを弘法わらびというようになった。
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アマワラビ
1967年 福島県
昔、一人住まいの老翁のところに旅僧が泊まった。しかし汁を作っても実にするものがないということで、僧は自分でわらびを取ってきて、このわらびはあく抜きせずに食べられると言った。翌朝僧が旅立った跡で裏山を見ると、柔らかいわらびが出ていたという。今もここには甘わらびが出るが、誰も1回一握りより多く取ることができないという。
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コウボウダイシ
1967年 福島県
昔弘法大師が諸国を遍歴してこられ、ある百姓家で里芋の煮たのを分けてくれと言ったが、石芋だといって断られた。やがて大師が去った後、食べようとすると、里芋は石のように固くなって食べられなかった。さらに家の周囲には水が一面にたたえられていたという。
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ワラビ,コウボウダイシ
1967年 福島県
昔弘法大師がここを通った時に、村人にわらびを食べたいと言ったところ、村人は、わらびは取ってもすぐには食べられないと言った。それでは不便だろうと読経すると、不思議にもそのまま食べても苦くないわらびになった。それ以来3、4ヘクタールの地内のわらびはあまわらびと称して、とってそのまま食べられるようになった。
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ワラビ,コウボウダイシ
1967年 福島県
弘法大師に親切にしたので、この山のわらびだけはあく抜きしなくても食べられるといっている。
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ヒルコ,ノビル,コウボウダイシ
1956年 宮城県
弘法大師が滝ノ原入口に通りかかったとき、咽喉が渇いたので水を所望した。そのあたりは水の便が悪かったので、老婆は水を惜しんで「その辺のヒルコ(野蒜)でも食ったらよかんべ」といった。大師は、そうかといって行ってしまったが、それ以来、この家の畑は何を作ってもヒルコになって、それ以外の作物は育たなくなった。
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コウボウダイシ
1930年 福島県
昔、弘法大師が巡錫してきて水をくれと頼んだが、意地の悪い老婆がこの村には井戸が無いと答えた。その後、井戸を掘っても塩水しか出ず、飲み水にはならなくなったという。
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コウボウダイシ,カレヌミズ
1948年 兵庫県
田のゆぶしで疲れを取りつつ酒を飲んでいると弘法大師がきたので、仲間に入れて酒を振舞った。すると大師が「このゆを涸れないようにしてやる」といった。それいらい、水に困ることはなくなったという。
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フエフキガワノヤマメ
1961年 山梨県
昔、弘法大師が空腹で笛吹川の上流の川浦にたどり着いた。ある家の老婆が粟粥を炊いており、弘法大師はそれを乞うたが、老婆は粥の中にはヤマメが入れてあり、なまぐさいのでさし上げることはできないと断る。大師は魚は川へ放ってやるからといい、煮た山女魚を川へ入れると、魚は皆生き返って粟粥を体につけたまま泳ぎ去った。それ以来笛吹川の山女魚には紅の粟粒がついている。
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コウボウダイシ
1972年 山梨県
弘法大師がお通りになって水がほしいといって杖を突いたらでてきたという水がある。この水は味噌作りに使われている。
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コウボウダイシ
1967年 茨城県
昔、半兵衛の家に弘法大師がやって来て、おばあさんに1夜の宿をたのんだ。おばあさんは食べるものがないからと、断ったが、弘法大師が裏山のアクの強いワラビでいいからという。それを取ってくるとアクのないワラビになっており、この時から、このあたりのワラビにはアクがなくなった。
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〔オオウチノミズナシガワ〕
1986年 大分県
弘法大師が田代の川で芋を洗っていた老婆に芋を所望した。老婆が洗っていない芋を渡したので,大師は川に杖を刺して水を枯らした。一方その下流の新屋敷では洗った芋を与えたので,水の無い川底に杖をついて水を湧き出させた。
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コウボウダイシ
1934年 秋田県
諸国を行脚していた弘法大師がのどが渇いたので、農家の女房に水を求めたが女房は断ってしまった。同じように村の者がみな断ったので、弘法大師の勘気に触れ、井戸を掘っても湧出しなくなった。
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(コウボウダイシトスイロ)
1986年 大分県
弘法大師が立野のいぜ(水路)を通りかかった。いぜ作りの人々が弁当を与えたので,お礼にいぜをせき止めなくても田に水が入るようにしてくれた。
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コウボウダイシ
1937年 京都府
犬飼川のほとりの百姓家で弘法大師が飲み水を求めたが、その家は断った。それから犬飼川は水の入用な季節には流れなくなった。
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コウボウダイシ
1967年 福島県
この地では山中の水を汲みそれを煮て塩を作っていた。こんな山奥で塩の井が出ることは土地の人にとっても不思議なことであった。これは弘法大師がこられて尊い術で山奥まで潮を運んでくれたのだという。
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コウボウタイシ
1989年 長野県
弘法大師が立ち寄った際、「水をくれ」と頼んだが、水はなかった。すると大師は自ら金剛杖を地面に突き刺して水を出して飲んだ。以来その場所を「一杯水」と呼ぶ。
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コウボウダイシ
1967年 福島県
水無し川原は、昔弘法大師が旅の途中にここを通りかかったとき、大勢の村人が川で鮭を獲っていた。大師はここを渡らせてほしいと頼んだが、忙しいので無理だと断られた。それを効いて大師は、それならばこれからも多くの人が難儀するだろうから川の水を流れなくしようと言い残し立ち去った。やがて水は泣くなり、今ではまったくの水無し川原になったという。
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コウボウダイシ
1978年 新潟県
弘法大師が峠を通りかかったときに水を求めた。しかし、汚い身なりをしていたので水をあげなかった。弘法大師が自分の杖で土を掘ると、そこから水が出てきたという。
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コウボウダシ,ワキミズ
1948年 兵庫県
この村は昔は水がでなく、もらい水をして生活していた。あるとき、みすぼらしい旅人が水をくれと頼んできたとき、その家の女の人は快く茶碗に水をついで飲ませてあげた。それ以来、ここには水が湧くようになり、不自由しなくなったという。この旅人が弘法大師であったと言われている。
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