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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オニ
1967年 愛媛県
宗方の弓祭は昔、部落の西の島に鬼がいて、これが農作物を荒らすので、弓矢でもって退治したことに端を発するという。五穀豊穣・悪魔退散・氏子安全を祈祷する。祭を中止した年は不作だったという。

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オニ,アクマビョウ
1963年 愛媛県
大島三町宗方の旧正月1日祭(大祭)は、昔、この地の西方の小島に鬼が住んでいたのを弓矢で遠くから退治したことが始まりである。後、正月11日に部落内に起こる悪魔病を弓矢で追い払う習わしとなったという。
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オニ
1988年 福岡県
弓祭りの由来は、鎮西八郎為朝が隠ヶ谷河内に住んでいた鬼を射殺した故事である。現在は廃絶している。
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オニ,(ゾクシン)
1967年 愛媛県
早津佐神社の弓祭は旧正月11日に行われ、上ヶ城・浜城・北ヶ谷の三部落が交代で当屋を務める。弓を射る方向は、その朝牛が寝ている方向とされているが、これはその方面から鬼が来るといわれているからである。現在は海から陸へ向けて打つという。
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(ユミマツリノモクテキ),(ゾクシン)
1967年 愛媛県
愛媛の弓祭の目的は五穀豊穣と悪魔退散であるという。的中しないのを不吉の兆候といい、後宴の食事を食べ残すと不作になるといわれている。
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ヤクビョウガミ,ウンカノカミ,オニ
1930年 全国各地
春の祭りでは、弓を射ることが慣例となっている神社が数多くある。疫病神やウンカの神などの鬼に対して、これが充分な人間への警告であり、また威嚇であるからこそ、今でも古来からの弓の術を示してきた。
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ダイジャ
1980年 滋賀県
昔西寺の山に大蛇がいて悪いことをしたので、六人衆や青年会の人々が弓矢で射て退治した。そしてその大蛇を村の入り口の木に掛けた。この伝説に基づいて弓打ちの行事やカンジョウツリの行事が行われているという。
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モモテマツリ
2004年 香川県
正月月には、百々手祭りが行われる。昭和20年の終戦後、武器の使用が禁止されて供出したとき、櫃石島でも百々手は弓を使うのでやめておこうという話になり、昭和21年の百々手は行われなかった。その後島内に流行病が広がったので、百々手を止めた祟りだといい、季節はずれだが百々手祭りを行ったところ治まったという。
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ウシオニ,ウシノヨウカイ
1973年 愛媛県
昔、疫病が流行したため、疫神退散を願って牛鬼をつくり、厄払いをした。また、牛のよう会が出て農作物に被害を蒙った。そのため怨霊を慰めるため牛鬼をつくり、祭事に奉仕し、被害から免れた。
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ツキモノ
1971年 広島県
神道祈祷の一つに「弓伏」というものがある。これは、いわゆる憑きものの場合に多く行われた。弓の弦を打ち鳴らして降神、降霊を祈ったり、また弦打ち(鳴弦)をすることによって悪魔退散の行事としたものである。
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オニ
1980年 青森県
鬼がいて人をさらって食ったので、退治することになった。偉い人が鬼が島に行き、鬼が飲むと毒になる酒を飲ませて退治した。残った鬼に煮干が動き、炒り豆から芽が出て、岩にごぼうが生え、竹が桃になるまで人を食うなと念を押した。正月、煮干を挟む行事の由来。
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ヤシャオニ
1919年 秋田県
宝亀元年4に保呂波山から夜叉鬼がきて女米鬼山に住み、里人の娘を奪い妻として、大瀧丸を生んだ。略奪を繰り返すので村民は恐れて古種沢鏡池より保量大権現を勧請し、その難を逃れようとした。現在由里群大正寺村、河辺郡女米鬼村、男鹿半島の一部に伝わる「悪魔払い」あるいは「ナモミハギ」の行事は、その難を忘無いために始まったのではないか。
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オニ
1974年 群馬県
ナワノゴシンジという行事がある。昔嵐や雷で百姓が苦しんだ時に別当が21日間祈祷をした。21日が明けて堂から出ると鬼がいて、「自分が悪い事をした」と白状した。それで別当が鬼の角をとって投げ、1つは隣村に、1つは角折神社にささり、それ以来麦が良く出来るようになった。これにちなんで行うものという。
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キンポクサンノカミサマ,オニ
1984年 新潟県
昔、佐渡を治めていた金北山の神さまが、もし節分に撒いた豆から芽が出たら佐渡の国を譲ろうと鬼に約束する。このときの約束状が金北山のお堂の下に埋めてあるともいい、いくら鬼がとりに来ても、神さまは決してわたさないという。
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ハヤリヤマイ,アクマ,オニ
1986年 長野県
ある時、村に流行病がはやって大勢死人がでた。そこで庄屋は、これからは自分の家を悪魔の宿として貸すから流行病を村から追い出してくれと願をかけた。そうすると流行病は一段落したという。それから庄屋の家では節分のときに豆まきをしないで、障子をあけて悪魔や鬼を迎え入れるのだという。
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バケモノシミズ,サンボンツメノカイブツ,オオオニ
1938年 福島県
五十人小屋場という山中の平地に小屋を掛け、猟をしていると、夜中に3本爪の怪物に小屋を引掻かれた。猟師の大将が水行をして山の神に念ずると治まった。その日、清水にゆくと、5升鍋ほどの頭をした大鬼が出たので、大将は自分の力不足を感じ、狩人の大将を辞して山を下りるというと、皆も大将とともに山を下りることに決めた。帰る途中で親子連れが山に行くのにあったので制止したが、親子連れは取り合わず山に入り、行方知れずになった。
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オニ
1939年 島根県
節分の晩には出雲に鬼が来るので、出雲の神様は弓を持って青銅の馬に乗り鬼を追って歩く。この日は出雲の人は家を締め切り、決して外を覗いて見ない。昔、お婆さんが節穴から覗いていたら、神様が弓でその目を射った。
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オニ
1961年 和歌山県
百姓が雨がなくて嘆いていると、鬼が雨を降らし、かわりに一人娘をさらって行った。娘は鬼の家で鬼の子を産み、鬼の子がお爺さんに会いたいというので、鬼の留守に鬼の車に乗って逃げ出した。鬼が追いかけてきたが、笑わせて逃げ切った。お爺さんの家に行き、鬼が怖いと言っていた青い剣と青いヒルに似た菖蒲とヨモギを軒端に下げて鬼を退散させた。それが五月節供の由来。
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オニ
1930年 大阪府
南河内郡川上村には鬼住という地名がある。舒明天皇の時代、葛城山の悪鬼が農作物や子供を食っていた。この鬼を退治する際、氏神大梵天に祈ったところ、大梵天は大雨を降らせ、弓矢、割竹、鐘太鼓で鬼を責めたてる村人を助けた。延命寺には鬼退治に使った弓矢が宝物として保存されているという。
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オニ
1971年 石川県
ある年の節分、金沢城下の富永家に、どこからともなく1匹の鬼が来て、それ以来富永家は万事幸運に恵まれるようになった。そのため、同家では豆撒きの時に「福は外鬼は内」と唱えるという。
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ゴマ,カミサマ
1987年 長野県
神様が犬に追われて逃げ,ごまの木で目をついて井戸に落ちた。そのため,この部落ではごまを作ってはならず,井戸を掘ってはならず,犬を飼ってはいけなかった。しかし戦争になって神官に許してもらうお祭りをしたので,昭和15,6年ごろから禁忌はなくなった。
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