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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ボウレイ
1952年 三重県
桑名から江戸へ向かう途中、箱根で死んだ人がいる。その亡霊が、旅人に片袖をとって、死んだことを家族に伝えてほしいと言った。家人はその袖を寺に奉納して供養してもらい、袖野庵を建てた。

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ユウレイ
1974年 東京都
江戸柳原で、ある者が天和3年の夏に死んだ。その頃のある夕暮に幽霊が現れ下女の袖を引いた。下女は気絶したがやがて気が付いた。下女の袖がなくなっていたのを不審に思い翌朝妻の塚に行くとその袖が石塔の上にあった。
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ユウレイ
1974年 大阪府
天源山大念仏寺の什宝に片袖がある。それは住吉社の社人であった山上松太夫の妻が幽霊となり、元和3年6月3日に箱根山の地獄に墜ちたと言って奥州のある巡礼に託して、臨終の時に着ていた小袖を送ったという縁起である。
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フリソデザカ
1956年 宮城県
生前に法華経を信仰していた仙台城下大町の町人の娘が、死後亡霊となって身延へ参る。富士川べりで、陸奥に下る身延の千ヶ寺参りに会い、振袖の片袖を千切り、これを証拠に仙台の実家を訪ね念願が叶って身延山に着いたことを知らせてほしいと頼む。千ヶ寺参りが仙台の娘の家を訪ねると四十九日の日であった。両親は振袖の片袖を榴ヶ岡釈迦堂のうしろに埋めて塚を築く。これを振袖塚と称し、仙台管区気象台と県図書館の間の坂を振袖坂という。
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シシャ,シヤウツカノバアサン 
1942年 不明
死者は、あの世への道を辿る時に、必ず三途の川をわたらねばならない。その川の側に、シヤウ塚の婆さんがいて、経帷子の片袖をもぐ。そのため、死衣の片袖は縫いつけずに、ちょっととめておくものだという。
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ユウレイボンショウ
1956年 宮城県
称名寺に,幽霊寄進の梵鐘がある。延宝・天和の頃,同地の高橋某という侍が隣村佐倉村に情婦を囲い,本妻に辛く当たった。しかし離縁の口実がなく,遂に情婦と計ってこれを謀殺してしまった。本妻は,本宅に納まった情婦に恨みを晴らすため夜毎戸口まで迷ってくるが,そこに貼ってあった神符のために入ることができない。そこで妻の亡霊は親戚に頼み,小判数枚を与えて神符を剥がしてもらった。間もなく情婦は本妻にとり殺されてしまった。親戚某は亡霊から梵鐘を鋳て菩提寺に寄進するようにとも頼まれていたので,夫を訪ねて青銅に亡霊からの小判を合金し,梵鐘を造らせて称名寺に寄進した。この梵鐘は現存し鐘銘には右の由来が彫られている。年代は元禄六(1693)年林鐘初八日,施主は高橋八郎兵衛平常,住持可伝上人,冶工早山五郎次清次。
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ユウレイ
1990年 大阪府
ある日、旅の僧がお堂で一泊していると女のゆうれいがやってきて「私はここにいるが大阪の両親が供養に来てくれないので頼んできてくれ」と言った。そんなことを言っても誰も信じないと僧が言うと、幽霊は着物の片袖を引きちぎって渡した。大阪の両親はあわてて供養したという。
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(ウマレカワリ)
1973年 三重県
死者の質がいいときには、足の裏にその名前を書いてから葬る。かみやまという場所でそれをしたところ、その名前を足の裏に書かれた赤ん坊が桑名で生まれた。赤ん坊の足をその死者のさんまいの土で撫でると、名前は消えたという。
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シニン,レイ
1968年 岡山県
この地方では死人の魂が大山に行くと信じられている。死人の話が聞きたければ大山寺に泊まり仏間の隣の部屋で寝ると深夜話をするのが聞こえてくると言う。某家では墓に持っていった杖から芽が出たので祈祷してもらうと、生きていたまま埋められていたからで、死人が丑の国大山へ来てくれれば話がしたいと言っているといわれ、大山寺に詣でると「重い石をのせられ帰りたくても帰れなかった」と声が聞こえたと言う。
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(シノヨチョウ),ハオリハカマスガタ,オマイリ
1956年
同地(宮城県伊具郡丸森町か)新地の大内という人が重病で死ぬ前日、自分の寺に羽織袴姿でお詣りにきた。寺の普請で働いていた大工たちが見つけ、あの人は歩けるはずはないのにと話し合った。死ぬ人の魂はこのように菩提寺にお詣りに来るが、寺から家に帰る姿はないという。
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ヒトダマ
1983年 東京都
人が死ぬとお山(本門寺)に魂が飛んで行き、墓に人魂が入ると人が死に、人が死ぬと墓から出て行くとも言う。袖越しに人魂を見ると顔が見えると言われる。
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ソガスケナリ
1974年
ある旅の僧が箱根山を越えようとした時、昼なのに辺りが暗くなった。すると曽我祐成なる人物がやって来て、甲斐の国に行くならば武田信玄に自分のために菩提を弔うようにと伝言を頼んだ。そして証拠に刀の目貫を渡して消えたという。法師が信玄に目貫を見せ、話を聞かせたところ、信玄は法師に褒美を与え、祐成寺という寺院を建てたという。
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バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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(フナカタノユウレイ)
1961年 静岡県
昔、船がたくさんこの地に入ってきていた頃、時化の時に人が死んだ。その死体に壊れた船の足伝馬をかぶせて現在の船着場の上の端に埋め、地蔵をつくってまつった。夜になると死んだ船方が、毎日、イソザキ(屋号)に来て田子へ行くからワラジをくれという。そこで地蔵をコザキへ移すと、出なくなった。それでその地蔵をコザキの地蔵という。
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モウジャ
1934年 長崎県
盆に、仏が戻るための腰曳きに、綱を曳かなかったところ、亡者が夜中にやって来て、ときの声をあげ、綱を曳いて、安眠を妨げた。そこで、翌日に申し合わせて綱を曳き納め、亡者を慰めた。
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ヨクシン
1929年 広島県
ある時行脚僧が山で宿をかりた家では妻が死んだばかりで、主人は自家の寺を訪ねる所だった。僧は留守を頼まれ、死人の枕もとで経を唱えていると一人の僧侶が入って来て死人の衣を剥ぎ顔をいく度もなめて出て行った。この家の寺の僧が欲から生霊になってさ迷って来たらしい。
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タマシイ
1968年 佐賀県
野辺送りのとき、ガンの上に載せておいた死人の帯や着物のカブリモノを、竿に引っ掛けて寺に持って行く。このカブリモノに憑いて、死人の魂は寺に行くという。
類似事例

ボウレイ
1980年 神奈川県
お盆に舟で荷物を運んでいると、突然、櫓が動かせなくなる。何とか荷物を送り届けて和尚に話をすると、運んでいた荷物の中にありがたい経文があり、それに海にいる亡霊が付いたのだろうと言う。
類似事例

イケニエ
1986年 埼玉県
ある年、うち続く雨に利根川の水かさが増え、今にも村を飲み込もうとしていたので、村人は竜神のたたりと考え、生娘を生けにえにするしかないということになった。そこに巡礼の母娘が通りかかったので、村人は娘を利根川に投げ込んでしまった。母親もそれを追って川に身を投じた。すると水は減り始めたが、数年後疫病が流行り、農作物が不作となった。旅の僧が、これは巡礼の母娘の魂がさまよっているためであるから、社を建てて祀るのがよいというので建てたのが、加須の川圦神社である。
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ツル,イキカエリ
1934年 香川県
昔、深い坊さんが猟師から着物と引き換えに鶴を買い、逃がしてやった。尚庵さんは寒さで死んでしまった。鶴が3年間墓の廻りで舞いながら「尚庵さん、尚庵さん」と泣きつづけると、和尚さんは生き返ったが、鶴は羽毛の抜けたむごたらしい体を残して尚庵さんの身代わりに死んでいた。尚庵さんは鶴の死骸を抱いていつまでも泣いたという。
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ガントサマ,ヤマノカミ
1999年 長野県
飯島道と牧金道が合流する地点に、願戸様と呼ばれる山の神がある。これは元々江戸時代に死んだ旅人を祀ったものだという。
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