国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

ソデモギ
1972年 岡山県
静円寺のそでもぎは、その場で転ぶと3年以内に不吉なことが起こったり自分が死ぬと言われるので片袖をちぎってその場に供えないといけないという。

類似事例(機械学習検索)

(ゾクシン),ハカバ
1935年 栃木県
墓場で転んだときは、片袖をもぎってあげないと死ぬという。
類似事例

ソデモギジゾウ
1932年 兵庫県
この地蔵の前でつまずいて倒れると着物の袖をもぎ取って納めて帰らなければ良くないことが起こると言われていた。
類似事例

ハカバ,シノヨチョウ
1946年 愛知県
「墓で転ぶと死ぬ」「三回転ぶと死ぬ」等言われている。「たもとを片方おいてくると死なない」「履物を片方おいてくると良い」等とも言われている。
類似事例

シニン
1972年 三重県
墓で転んだら、片袖か片草履を置いてこなければならない。そうでないと死人が迎えにくる。
類似事例

ソデモギ
1972年 岡山県
長建寺の門前横の谷川に石橋があり、そばに自然石がある。その自然石を袖切り地蔵と呼んでいた。この自然石の地蔵の前で転ぶと袖をちぎって供える。そうしないと祟りがあるという。
類似事例

ノベオクリ,キョウジ,(ゾクシン)
1915年 徳島県
野辺送りの時に転ぶと年内のうちに凶事があるという。
類似事例

ソデモギ
1972年 岡山県
豊田村柿部落に袖もぎ地蔵がある。この地蔵の前で転ぶと袖を取られるので袖もぎ地蔵という。昔隣村からの帰り道にこの地蔵さんの前に来ると、坂から石臼が転がってくるので避けようとして転んだ。怪我もないので家に帰ったが、片袖がないことを妻に指摘された。翌朝地蔵の前に行ってみたが石臼はなく、狐の仕業かと村人は話し合った。
類似事例

ボチデコロブ,(ゾクシン)
1915年 栃木県
墓地で転ぶと3年のうちに死ぬといわれている。
類似事例

ヨナキイシ,ソデモギザカ
1985年 愛媛県
この村にはごぜ石・ほろせ石・天狗岩・腰掛岩などがあり、夜泣き石もある。袖もぎ坂はこの坂で転ぶとよくないことがあるので、転んだときは必ず袖をもぎそこへ置いて帰らないといけないという言い伝えがある。
類似事例

(ノベオクリニカンスルゾクシン)
1940年 山口県
長門の俗信。野辺送りの時には後ろ向きも後向きも転ぶこともしてはいけない。これをすると早死にするという。
類似事例

ボチ,コロブ,シ,(ゾクシン)
1915年 栃木県
墓地で転ぶと3年以内に死ぬといわれている。
類似事例

シシャ,シヤウツカノバアサン 
1942年 不明
死者は、あの世への道を辿る時に、必ず三途の川をわたらねばならない。その川の側に、シヤウ塚の婆さんがいて、経帷子の片袖をもぐ。そのため、死衣の片袖は縫いつけずに、ちょっととめておくものだという。
類似事例

(シノゼンチョウニカンスルゾクシン)
1964年 福島県
悪い夢を見たり、掛け図が落ちたりすると死ぬという。片せいらばしは死期が近い知らせだといって、はしの片方が折れることを忌む。
類似事例

ユウレイ
1974年 大阪府
天源山大念仏寺の什宝に片袖がある。それは住吉社の社人であった山上松太夫の妻が幽霊となり、元和3年6月3日に箱根山の地獄に墜ちたと言って奥州のある巡礼に託して、臨終の時に着ていた小袖を送ったという縁起である。
類似事例

ソデモギジゾウ
1939年 兵庫県
この地蔵の前でつまずいて倒れると着物の袖をもぎ取って納めて帰らなければ良くないことが起こるという。また、播陽万宝智恵袋所収のめさまし草には、この地蔵は執心深い女の念であるという言い方が見える。
類似事例

ショウヅカノスガタ,ソデモギトウゲ
1969年 香川県
大窪寺の手前にあるオンバトウゲをソデモギトウゲとも言う。ここで転ぶと袖がもがれると言う。峠の辻に祭ってあるショウヅカの姿が袖をとるのだと言っている。
類似事例

ジゾウノタタリ
1998年 奈良県
多聞神社に1体だけある西向きの地蔵を、ほかの地蔵と同様に東向きに変えた人がコロッと死んでしまい、その家では死人が続いた。お地蔵さんの祟りということになり、近所の人は拝んでいる。
類似事例

ガキボトケ
1998年 徳島県
盆の時にはガキボトケ(無縁仏)を祀る儀礼が行われる。ガキボトケは気のやさしい人を慕ってくると言われ、人に憑くことはないという。
類似事例

ネズミイシ
1983年 岐阜県
鼠の模様の浮かぶ石を鼠石という。寺に奉納したところ夜毎鼠が暴れたり、人が死んだりする。
類似事例

セキ
1965年 愛媛県
常福寺の境内にある地蔵さんは、座った形である。昔、住職の快献は死期を悟って座禅を組んだ。村人が別れにきたとき、住職は鐘を合図に死ぬこと、子供が百日咳にかかったときはお参りに連れてくれば治すことを言い残して入滅した。以来、子供が咳をしたときにお参りすると良くなるといわれている。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内