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検索対象事例

ダンジュクサン
1969年 滋賀県
横山康作家の先々代は、7日間倉に篭ってひたすらダンジュクさんを念じた。それによって手習いが上達したという。

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ダンジュクサン
1969年 滋賀県
横山康作家では、嫁がお産で亡くなったりおじいさんが畑で目を突いたりと、先々代の頃に良くないことが続けて起こった。それでダンジュクさんを掘り出し、小さな祠に祀ったと伝えられている。
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ダンジュクサン
1969年 滋賀県
菅並ではダンジュクという神が田中甚平家、大黒久雄家、田中昭家、嵐敏雄家、横山康作家、高橋源左衛門家、谷井美則家の7軒で祀られており、7ダンジュクと呼んでいた。
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クロヒメサマ,クロヒメノカミサマ
1982年 新潟県
不器用な娘が黒姫山の山開きである7月1日におまいりに行ったとき、姫ヶ倉という岩屋から機織の音がし、それを聞いてから機織が上手になったという。今でもその音を聞いたものは機織の名人になると信じられている。
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テングンサン
1978年 岐阜県
炭焼きをしていた男がてんぐんさんに九州の山に連れて行かれて剣術の稽古をした。ある日念仏を唱えたら「そんな弱虫は帰れ」と言われて、送られた。そのとき手にさせられた漆塗りの4尺棒がその家にあったが、火事で焼けてしまった。
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タヌキ
1984年 埼玉県
むかし、長慶寺の住職だった牧厳和尚は、お経を読むのも字を書くのもたいへん下手だったが、ある時、狸に化かされて狸の葬式に出かけて以来、お経もうまくなり、狸の毛で作った筆でたいへん上手な字を書くようになった。
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テング
1921年 徳島県
関口流の剣術師範広瀬権太夫が大龍寺に篭り七日七夜怪異に動じないのを見て、七夜目に天狗が現れ勝負を挑んだ。権太夫が天狗の左足をきり天狗は権太夫の弟子となった。正月には道場で天狗が稽古し、広瀬家代替わりには必ず大龍寺で天狗の仕込を受けるようになった。
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ダンジュクサン
1969年 滋賀県
梅の木を切るためにダンジュクさんをどかしたが、それだけでもう腹が痛み出したなどと言われている。
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テング
1922年 石川県
昔、天狗に捕えられた男が3年に1度、豆絞りの手拭を被って帰ってくるという話を聞いたことがある。
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ダイモンボウトコウイン,ドウジョウジ,アダチガハラ
1956年 宮城県
本山派修験道で、平安時代白河にあり、のち仙台に移り大先達となる。藩政時代は清水小路五橋西南角に屋敷があった。三世安珍は延長6年(928)8月、27歳のとき紀州道成寺に修行に赴き、真奈古の庄司の娘清姫に恋慕され、日高川を越えて逃れようとしたが、清姫は大蛇と化して追い、安珍は道成寺の鐘の中に隠れたが取り殺される。それ以来東光院では歴代27歳の修行を禁じたという。また祐慶の代、熊野にいたり那智山に捨身一千日の行を修して帰ったのち、安達ヶ原の黒塚に住む鬼女を調伏したという。今も子孫は金津に残り、鬼女の頭蓋骨といわれるものを蔵する。
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テングサマ
1995年 島根県
横道のある猟師は、山で山伏が振る鈴と金の常箸を拾って以来、天狗さまを尊び、毎日山に行った。山ン婆が飯を炊くので山へ行ってはならない2月9日も、猟師は天狗山に行った。大きな猿のような爺を打つと下へ落ちていったが、それは天狗さまだった。その後、大雪の晩に、猟師は行方がわからなくなり、天狗山の奥深くで、大怪我をして見つかった。
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ヤマイヌ,オト
1980年 静岡県
おじいさんが山犬に何度もドッサーンという大きな音で脅かされ、ついにはしゃがみこんでしまい、丑三ツ刻という時間もあり、近くの家に泊まらせてもらって、次の日帰ってきた。
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オシドリ
2002年 栃木県
鎌倉の頃深七という猟師が、鴛鴦を射て首を射切った。共にいた女の鴛鴦はその首をくわえて水底深く潜った。その夜深七は酔い伏していると、鴛鴦が枕辺に来て何かを言い、泣いたので目がさめた。そのようなことが幾夜も続き、最後に「安蘇沼で菰に隠れて独り寝するのはつらい」という意の歌を詠んだ。深七は安蘇沼に行き、さまよっている鴛鴦を射ると夜毎に来る鴛鴦だった。その鴛鴦は前に射切った鴛鴦の首を抱いていた。深七は発心して沼の辺りに庵を結び、懇ろに弔い、塚を営んだ
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テング
1970年 滋賀県
ある男が晩に家の外で物音を聞き、棒を持って見に行ったきり帰らなくなった。鉦や太鼓で探したが、とうとう見つからない。ところが2,3ヶ月してドンという音と共に戻ってきた。どうしていたか尋ねると、天狗につままれて敦賀のカナ山というところにいたと語った。その男は母親と二人暮らしの独身の変わり者で、末期は哀れだったという。
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シジュウハッタキノヌシ
1935年 新潟県
谷後の先生と呼ばれ、代々骨つぎを副業にしている家がある。昔、その家の婆さんが、物売りに行って、白髪の老人に会った。老人は四十八瀧の主で、自分に会ったことを他言しなければ、一生食えるようにしてやるといって、極意の伝として骨つぎを教えた。
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ウシ
1979年
ある絵の上手な人が牛を描こうと、その事ばかりを考えて寝たら、その姿が牛に見えたと言う。その人はそれ以来仏画しか描かなくなった。
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サル
1982年 宮城県
姑にいびられていた嫁が、浜に海草を採りに行って立派な若者に出会い、そのままいなくなった。その若者は猿が化けていた。何十年かして狩人が恐山で、その嫁が洗濯しているのに会った。そばには小猿がいて、狩人が「帰ろう」と言っても「帰ると猿に殺される。ここで不自由ない」と言った。
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キツネ,コックリサン
1968年 福井県
1950年頃のこと。織機工場勤めの女の人が、箸3本でやるコックリサンをしたところ、頭痛がして眠れず、家の周りをぐるぐる歩き始めた。医者にかかってもよくならず、神主に拝んでもらって、キツネがとれた。
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ダンジュクサン
1969年 滋賀県
高橋源左衛門家では何代か前に牛が続けて死に、弘法さんに拝んでもらったところダンジュクさんの祟りと分かった。そこでダンジュクさんを掘り起こし、丁重に祀ったと伝えられている。
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カミクチ,ホトケノクチキキ,カミオロシ
1982年 新潟県
駒林にいる盲目のミコサマは、20歳のときに師匠のミコサマに弟子入りして神口の修行をした。亡き人の死霊を自分にのりうつらせて仏の口聞きをする。大人ならば死後49日、子どもならば35日がすんでからだという。駒林に住むおばあさんは、夫に先立たれ、ミコサマへ仏の口聞きにいった。ミコサマは白衣をまとってオハライし、神オロシにかかるが、村の鎮守様がでると、それ以降は何も分からなくなる。このばあさんは母親がなくなった時にも行ったという。
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ノロイゴト
1975年 京都府
昔、名高い狂歌師が稲荷山に詣でた時、神木に藁人形が打ち付けられていた。狂歌師は戯れにこの呪い事をやめさせようと言い出て、その木へ狂歌を書き付けた短冊をつけた。後日再び藁人形が打ち付けられていたので、また狂歌を付け、邪な呪いを挫いた。
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