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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ムジナ
1930年 北海道
明治初年、高龍寺にいた狢が、長い間住居を許してくれた恩を思い出して、賭博好きの方丈の頼みを聞き入れ、賭博に勝たせたことがあったという。

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ユメミコゾウ,ユメ
1937年
ある小僧が正月早々よい夢を見たと嬉しがっていて、主人にそれを話すように言われても話さなかったので追い出されてしまった。それから段々運が向いて、夢の通り万福長者になった。
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リュウグウ,ハギワラ
1936年 長崎県
いつのころか、長者原に夫婦がいて、長い間龍宮を信仰していた。あるとき龍宮に招かれ、龍王からはぎわらをもらった。そのはぎわらを先達にすると海が割れ、即座に家に帰り着いた。家に着き、はぎわらの天窓をなでて居宅と四方四万の蔵がほしいというとそのとおりになった。また、夫婦ともに28歳になりたいという願いも叶った。しかし、はぎわらを龍宮に返すと全てを失ってしまったという。
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リュウ,アオヤギノモクタ
1932年 新潟県
天正16年、徳川幕府の命を受け幡随意院上人が九州の切支丹退治をなす諸国行脚のついでに善導寺にたちより、百日説法をした。そのとき青柳の竜神が御殿女中の姿で参詣していた。満願の日、竜神が上人に「妻は上州館林のつつじが池に住んでいて、あなたの済度を受け得脱した。自分も済度してもらいたい」と願って言う。そこで上人は済度してやった。この龍を町の人は「青柳の杢太」と呼んだ。
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イナリ
1949年 群馬県
先祖に相撲好きの兄弟がいた。弟は兄に負けつづけで悔しく思い、家の裏にあったお稲荷様に「江戸相撲で出世したら正一位にしてやる」と願をかけ、江戸に上り力士になった。相撲を取っていると稲荷様が現れ力をつけてくれ、そのお陰で横綱になり、佐渡嶽と名乗った。
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〔キュウキ〕・ビンボウガミ
1973年 埼玉県
文政4年の夏頃、番町のある武家の用人が、主用で下総の知行所までいく途中、草加の宿でみすぼらしい身なりの法師に会う。話を聞くと法師は貧乏神で、番町の武家から出て行くという。これまでは先代両主の遺徳によって家は滅びず、また他家に移るのでこれからは繁栄すると言った。実際にその家は豊かになり、貧乏神が移るといった家は衰えたという。
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ゲンベエヤシキ
1955年 山梨県
源兵衛が最後まで残った屋敷の跡の田圃を源兵衛屋敷という。源兵衛は名うての豪家で毎月慈観寺に碁打ちに出かけていた。ある日源兵衛が和尚に手相を見てもらうと、終いには乞食になるということであった。源兵衛は「どんなに寝食いに食っても3代はある身代だ」といったが、厄病と火事との重なる事件のため、明治維新頃には乞食となり、どこで終わったか知る人もないという。
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キュウキ,ビンボウガミ
1973年 埼玉県
文政4年の夏、武家の家の用人が所用の為知行所へ行く途中、草加の宿あたりで40才位のが顔色青黒い痩せた法師と会った。聞けば用人の主家に住む貧乏神で、三代前から用人の家に住んでいて、そのため家は病がたえず貧乏だったのだと言った。驚いていると、私は他所へ移るからお前の主家は借財等も返せるだろうと言う。越谷まで来たあたりで、どこかに行ったのか見えなくなった。
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オハカ,タタリ
1985年 愛媛県
主人は銀行員であった。八幡浜へ転勤になり社宅に入ると主人は大病し、私は眼病になった。家が悪いということで、おがんでもらうと昔商売でもしていた人が池だった所を買い取り別荘を建てたが、池のほとりの墓の祟りで没落し、銀行が買い取り社宅を建てたということだった。転勤になりその家を出てからは元気になった。
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オニ
1966年 山形県
鬼の博打の金を地蔵の助けで手に入れた人のことを知ったある爺が、真似をして自分も金を手に入れようとしたが、途中で笑ってしまって鬼に気づかれ、殺されんばかりにいじめられ、命からがら泣きながら帰っていったという。
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チゴ,フクノカミ
2001年 京都府
人一倍慈悲の深い小籐太という男がいた。あるとき小籐太は荷運びをして10銭を得る。茶屋に立ち寄ると疲れた稚児に出会い、10銭を与える。稚児は喜び、都へ帰ると小籐太の元へ行くことを約す。稚児は元は丹波にいたが、家の主が極貧なために逃げてきた、小籐太の家には恐ろしいものが住み着いていたので入れなかったが、これからは貴富にしようと約束する。帰宅して袋を開けると10銭は元に戻っていて、小籐太はこれは福の神に違いないと喜ぶ。
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ヨウカイ
1997年 山形県
大金持ちにしてもらう約束で妖怪を同居させた男がいた。それで男は大成功したが、約束を反故にして妖怪を追い出しにかかった。怒った妖怪は男から幸運を取り上げ、男は貧乏になり、家も妖怪のものになってしまった。
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タケ,オウゴンキュウ,(ソセイ)
1974年 東京都
江戸大伝馬町に住む佐久間勘解由の下女・竹は仁慈の心深く、貧しい者に物を与えたりしていた。ある時頓死してしまったが、身体が温かかったので見守っていたところ、ついに蘇生したという。そこで冥途の様子を聞くと、果てしない広野を歩いていたら黄金の宮殿にあり、仏にこれは竹が来る台だと言われたという。その後いよいよ念仏を行い、大往生を遂げた。近所の者が湯殿山に参詣したところ竹に会い、竹は念仏を勧めて消えたという。
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コンセイサマ
1937年 栃木県
明治大正の頃、日光の湯元の某旅館の石製の金精様を借りて自室に安置し、朝夕おがんで勉強すると試験に合格した。
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ツキモノ
1922年 京都府
政やんという男が、盗みをしたり賭博にふけったりする兄をもてあまして大桶の中にほりこむと、兄は死んでしまった。それを嘆いた母親は後を追った。それから半年ほどして政やんはぶらぶら病にかかって奉公先から戻ってきた。憑き物だろうということになり、坊さんに祈ってもらって大施餓鬼をするとすっかりなおってしまった。
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ネコ,(オンガエシ)
1956年 宮城県
明治37(1904)年頃の話。清竜庵の保田孝道和尚は三毛猫を我が子のように可愛がっていたが,老齢で病の床に臥し,喜捨に頼って毎日を過ごさざるを得なくなった。ある朝,枕もとに鶏の卵が転がっており,人に尋ねてみても心当たりがないという。3,4日そのようなことが続き,ある日檀家の割烹扇屋の主人が見舞いにやってきた。主人の所では毎日のように卵がなくなるという。その時三毛猫が逃げるように部屋を出て行ったので,主人が卵をよく見ると,小さい爪痕や歯の傷,猫の毛などがついていたので,三毛猫の恩返しに違いないということになった。和尚は感激しながらもこれを戒め,半年ほどで示寂した。その頃から三毛猫も姿が見えなくなった。
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フドウミョウオウ,オウゴンノニワトリ
1957年 三重県
京の立花殿は、不動明王の御告げにしたがって伊勢の大石に屋敷を構えて移り住んだ。若君は大石の里人や近隣の人を大いに愛し助けた。特に秘宝の黄金の霊鶏によって病人を治し、神のように敬われた。
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トオリアクマ
1977年
享保元年初秋、火災に類焼して仮住まいしていた時、縁側で煙草を吸っていると、焼け跡の草の上を腰の曲がった老人が笑いながら向かってきた。目を閉じて法華普門品を唱えながら心を落ち着けると消えた。その夕方、3、4軒向こうの家の妻が乱心した。
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テングノヒジュツ
1956年 宮城県
昔、立石屋敷の佐藤松吉という者に理八とよぶ武芸好きな息子がいた。家が貧しく、館矢間村の小田という豪家に奉公しつつ、夜分は同村の剣道指南高木与惣兵衛のもとに通った。学ぶこと3年、20歳の頃、理八に勝つ者はいなくなったが、先生は奥許しの目録を与えなかった。理八は貧乏人の故かと僻んだが、自分の未熟さを悟って気を取り直し、毎夜同地万騎の峰の中腹にある俗称天狗の宮に、剣の工夫に通いだした。そこは昔から天狗が棲むといわれており、夜路に山犬が横たわっていたり、美しい女が現れたり、生首が飛んできたり、恐ろしいことが起こったが、理八は毎夜猿や樹木や巨岩を相手に剣の工夫を凝らした。ついに百七晩目の夜の丑の刻に天狗が現れて理八を掴み、天狗の宮の谷沢一つ隔てた天狗の角力場に放り投げられたかと思うとまた投げ返され、その間に飛空の術を会得させられた。のちに理八はここに天狗尊を祀り、村に道場を開いた。一寸の間に4,5里先の隣村に往復したり、他流試合に来た江戸の武芸者を角田の大沼に案内して湖上を歩き出して度肝を抜いたりした。評判が仙台藩公の耳に入り、養賢堂大道場で御前試合を行い、「飛剣」の名を与えられた。
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ミサキタイシン
1963年 岡山県
小谷の御崎大神は、博打で先祖伝来の財産をすべて失い、首を吊ったお爺さんの屋敷跡がたたりをするというので勧請された。
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シンメイサマ
1964年 福島県
高荻宅のしんめい様は、隣村の家に預けられ、家人は他所へ出稼ぎに出ていた。出稼ぎ中、夫をなくした高荻宅のばあさんは、北海道・樺太と渡り歩いたが、不幸が相次いだ。そのたびの途中、しんめい様から出歩きたいとご神託があった。東京にいたときは、目も見えず足・手もきかず難儀したが、これもしんめい様のわざで、村に帰ってしんめい様を出せというご神託であったという。昭和2年頃生まれた家に帰り着き、しんめい様をまつるようになった。
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