マケギライイナリ,リキシ,オイナリサン 1989年 兵庫県 将軍がごらんになる大相撲で、いつも負けてばかりいた篠山藩の力士たちが、全員勝星ばかりをあげた。篠山藩藩主の青山忠裕が屋敷へ戻ると、力士達はみな国もとに帰ったという。実はその力士達は、国のお稲荷さんたちであった。忠裕公はそれぞれの稲荷にノボリや絵馬を奉納して感謝した。
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オボウリキ 1934年 秋田県 あまり古くないころ、相撲の強い小男がいた。おぼう力を授かった者であった。江戸の相撲取りもこの男には勝てなかった。
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リキシ 1929年 富山県 江戸と西京の力士が、南保河原で相撲を取った。しかし全く勝負がつかないので、次第に天に昇っていき、死んでから地に落ちてきたといわれている。
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テングノヒジュツ 1956年 宮城県 昔、立石屋敷の佐藤松吉という者に理八とよぶ武芸好きな息子がいた。家が貧しく、館矢間村の小田という豪家に奉公しつつ、夜分は同村の剣道指南高木与惣兵衛のもとに通った。学ぶこと3年、20歳の頃、理八に勝つ者はいなくなったが、先生は奥許しの目録を与えなかった。理八は貧乏人の故かと僻んだが、自分の未熟さを悟って気を取り直し、毎夜同地万騎の峰の中腹にある俗称天狗の宮に、剣の工夫に通いだした。そこは昔から天狗が棲むといわれており、夜路に山犬が横たわっていたり、美しい女が現れたり、生首が飛んできたり、恐ろしいことが起こったが、理八は毎夜猿や樹木や巨岩を相手に剣の工夫を凝らした。ついに百七晩目の夜の丑の刻に天狗が現れて理八を掴み、天狗の宮の谷沢一つ隔てた天狗の角力場に放り投げられたかと思うとまた投げ返され、その間に飛空の術を会得させられた。のちに理八はここに天狗尊を祀り、村に道場を開いた。一寸の間に4,5里先の隣村に往復したり、他流試合に来た江戸の武芸者を角田の大沼に案内して湖上を歩き出して度肝を抜いたりした。評判が仙台藩公の耳に入り、養賢堂大道場で御前試合を行い、「飛剣」の名を与えられた。
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タケジョ,シウン,イコウ,ムソウ 1983年 元和寛永の頃、武蔵国比企郡に戒行堅固という、日頃から正身の大日如来を拝みたい僧がいた。そして出羽の羽黒山に登山した時、夢想に江戸にいる佐久間某の召使い竹女を拝せという。そこで江戸に向かうと、佐久間某も同じ夢想があった。そして竹女を拝むと、全身から光明を放っていた。寛永15年3月21日の暁に、屋上に紫雲がたなびき、異香が漂っている中で竹女は大往生を遂げたという。
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カミナリサマ 1975年 高知県 重太郎という相撲とりは、相撲の力と技を授けてくれたら死後に自分の死体を捧げる、と雷様に祈った。それ以降重太郎は怪力を発揮し、三十年も土俵に上がった。重太郎の死後、棺桶を墓場に運ぶ途中一閃の雷が鳴ったかと思うと棺桶は空のように軽くなった。
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ヤマザキヒコサク,ワタベタテワキ,ガモウサブ 1979年 東京都 松平和泉侯の臣山崎彦左衛門の子、山崎彦内は無頼者ゆえに勘当されたため、上京し陰陽師となった。しかし不首尾があって江戸に下り、渡部帯刀と改名するも訴えられて江戸住居を禁錮され、蒲生左部と改名して八丁堀で住んだ。その頃六千石の旗本・神保左京とその家老・崎山平内が病で伏せ、左部に祈祷を頼んだら、不思議とたちまちに平癒したという。
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ダイジャ 1943年 香川県 昔、当願、暮当という兄弟の猟師がすんでいた。兄は志度寺にお参りし、弟は食料がないので山で狩猟をした。兄は法席で銃声をきき弟をねたましく思ったので、首から下が蛇身となってしまった。弟は兄をかわいそうにおもい、幸田池までおぶっていき、兄の願いをききれ池に入れた。兄は大蛇となって自分の目をくりぬき、この目をかめにいれて酒を造れと渡した。弟は兄の言うとおりに酒を造り、家は栄えた。
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テング 1956年 茨城県 昔、大雄院近くの山に天狗の相撲場があり、住吉氏の祖先が夜な夜なそこへ通って天狗から剣術を習った。
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サンキチサマ 1972年 山形県 六之丞という力持ちの男は諸国の力自慢が集まる場で相撲を取ることになった。六之丞は秋田の三吉を一旦は負かしたが、旅籠で不思議な声を聞き、風呂を片手で持ち上げる奴さんを見て三吉の影におびえ、相撲にも敗れた。
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オダケマイリ,ハチマンダケ,カブラヤ,ハチマンダイミョウジン 2001年 青森県 延元3(1338)年、春、東南方から一条の光りがたなびいてそれが夜な夜な光り輝くので、西野孫左衛門が登って確かめ、一本の鏑矢を発見して持ち帰った。すると、その子孫四郎が託宣を得、岳の頂上に祀って、雄岳の名を八幡岳と改めたのだと言う。
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カンノン,ニオウサマ 1930年 奈良県 昔、貧しい行者が長谷の観音に山ごもりの後、下山の途中で最初に会った女を妻にせよとの示現を受け、そのとおりにした。美しい女房だったので、王城の大殿という人が様々な勝負を挑んで女房を奪おうとしたが、神仏の加護でそれはかなわなかった。最後の勝負は相撲で、妻が連れてきた60歳ばかりの痩せた男が安々と相手の力士を投げた。これを不思議に思って後をつけていくと、男は近江の大山寺の仁王様であった。行者は長者となった。妻は瀧蔵観音の化身だった。
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ヒトツメコゾウ 1996年 香川県 おん坂という峠の近くに、勘平という力持ちが住んでいた。その頃おん坂には一つ目小僧が毎夜出た。ある日一つ目小僧は勘平が通るのを待って、綱引きをした。勘平に負けた一つ目小僧は大入道に化けたが、勘平は自分の体を大木にしばりつけ、びくともしなかった。
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ダイコクテン,ジュロウジン,ホテイオショウ 2001年 京都府 そこに大黒天、寿老人、福禄寿がやってくる。えびす三郎は福神たちをもてなすために大きな鉢から鯛を釣り上げる。大黒が打出の小槌で地面を叩くと財宝や珍物が満ち満ちる。やがて布袋和尚がやってくる。大黒は大黒舞を舞い、布袋と相撲をとる。福禄寿は杖をつき、団扇をかざして「君が代」を舞い歌う。このようにするうちに左近丞一家は貴富の身となる。
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(キツネノタタリ) 1982年 山形県 斎藤八蔵家では、ご先祖様が狩人で、ある日、朝日岳で狐を撃ったところ、祟られて病死したために、稲荷を祀っている。
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キツネ,(キツネツキ) 1979年 東京都 朽木と言われた怠け者が、ある日を境に立派となる。しかし数日後に突然飯を数升も食うなど狂人の様になり、ある夜に狐の振る舞いをした。彼の義兄が刀で脅すと、自分は玄徳稲荷の社の側に住む野狐だが、新参者とて仲間が食を分けてくれない。そこに大いに飲食して社の横を通り過ぎたこの人が羨ましくて憑いたという。
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ムジナ 1930年 北海道 明治初年、高龍寺にいた狢が、長い間住居を許してくれた恩を思い出して、賭博好きの方丈の頼みを聞き入れ、賭博に勝たせたことがあったという。
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ヤマオトコ,サンキチ,ミヨシジン 1930年 岩手県 三吉神社に祭られている神様は明治の中頃から霊験あらたかな荒神・軍神として青年男女の参詣が多い。この神様はもと秋田の山男であったと言われ、痩せ型の若い男の姿となって現れるという。秋田に角力が立ったとき、鳥谷ヶ崎という相撲取りと三吉が勝負したが、三吉が負けた。その後、三吉は鳥谷ヶ崎のあとをつけて遂には殺してしまった。日本一を名乗って秋田に入ると必ず三吉が現れ、そのものを倒すという。
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カワタロウ,カワトロウ,カッパ 1978年 岐阜県 佐古の先祖に力持ちがいて、川に引きずり込もうとした川太郎を引き上げて大黒柱に七日七晩縛り付けた。川太郎は謝って、医者になれる書き物と薬を渡した。佐古はそれを読んで医者になり、江州のとの様のお姫様の病気を治して名をあげた。
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ヤマバト,ハチマンダイボサツ 1974年 東京都 寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
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