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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ボウレイ
1933年 鳥取県
昔々、秀吉の時代にあった大富豪があった。家の主人が金銀大判小判を埋めに行ったとき、それを負っていった下男を口封じに殺し、供養のために墓を建てた。その墓から下男の亡霊が現われることがあり、幽霊墓と呼ばれた。

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〔ショウニンデン〕
1956年 宮城県
土地や豪族の屋敷内を無断で通ったという理由で、山伏が殺される。それを埋葬した土地の所有者がみな祟りをうけたので塚を築いて祀った。前にある田を上人田といって、その地主になると不幸が多く恐れられている。
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タタリ
1997年 青森県
明治か大正の頃、おしぎという貧しい女が大根を盗んで殺された。後に祟りがあったので、墓地に地蔵を作った。
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ガンバコ
1976年 長崎県
昔、おじいさんが葬式に来て棺桶を預けて行った。何日しても取りに来ないので棺桶を開けてみると中にお金が入っていた。それで家が栄えた。
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ジヌシノナイトチ
1956年 宮城県
所有者が必ず死ぬと言う奇怪な土地がある。これは,昔旅に行き暮れた六部を泊め,その所持金に目がくらんでこれを殺害して屋敷の一隅に埋めてしまったためで,六部の怨霊がいつまでもその地の所有者に祟って夭折させたり作物を不毛にしたりしたのだと言う。その後六部の墓を建てて弔ったが,今日でもはっきりした所有者はなく荒れるに負かされている。
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オニ,ユウレイ
1979年 東京都
数年前まで久米蔵と文作という男を雇っていたが、藤田廉平という人が先日文作は脚疾で死に、伝通院に葬られたと言ってきた。それから1ヶ月後に志計という下女が芳町で、青い服を着て樽の栓を売る文作を見たといって帰ってきた。下女は間違いなく文作の鬼・幽霊だという。しかし後日死んだのは久米蔵だった事が分かり、藤田の勘違いであった。
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ロクブノオンリョウ
1956年 宮城県
正保年間(1644~1648)の頃,同町の宿屋に一人の六部が泊まったが宿の主は六部の所持金に目がくらんで殺してしまった。数年後に弟分だという六部が来てその六部が泊まらなかったか尋ねたところ,主人は知らないと答えたが,灰の中から偶然見覚えのある笠の金具が出てきたので弟分の六部は全てを悟り,殺された友のために読経した。すると六部が幽霊となって現れ,この恨みに必ず報いる旨を告げ,弟分も呪法を結んで立ち去った。以後その宿屋には不幸が続いて子孫が絶え,その場所に住んだ者も皆不幸に見舞われたので幽霊屋敷,化物屋敷と呼ばれるようになった。
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(マタノアイダカラタイヨウヲオガムコト)
1975年 山口県
河田家の田の中に墓がある。昔、田植えが嫌になって、太陽を股の間から拝んだ人が、泥に潜って死んでしまった。その人の墓だという。
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バケモノ
1978年 和歌山県
昔、六地蔵の下に小判などの秘宝があり、他の土地からきた人が、その小判を掘り返して盗んだために、そこには化け物が出るという話である。
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ヘイシロウムシ
1923年 山梨県
富豪の蔵に穴をあけて盗人が入った。その穴が小さいので村人が不審に思っていると、平四郎という男が穴の入り方を実演してみせたので、逆に疑われ極刑に処された。すると亡魂が虫となり、年々村の稲作に害を与えるようになった。
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ムソロクブ
1919年 徳島県
ある年の暮れに、川の渕で庄屋が、前の晩に泊めた六十六部を殺して秘蔵の宝物である金の鶏と蚊帳を奪った。血まみれになった六部の足は川へと滑り込んだ。その頃庄屋の家で下男が餅をついていると天井から血みどろの足がぶらさがり、1羽の黄金の鶏が現れ米を食い尽くした。その後片足と鶏は六部の笑い声と共にどこかへ消え。その後も色々禍が続いたので庄屋の主人は墓を建立した。
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ロクブノタタリ
1956年 宮城県
「上人塚」と呼ばれる古碑が立っており,正面右に天和癸亥年善海上人と書かれている。当時(約350年前)この地方で勢力を振るっている豪族がおり,ある日部下が一人の六部(山伏)を捕らえてきた。主人は他国の間諜に間違いないとして十分に糾問せずこれを斬り捨て,死骸は屋敷の一隅に埋めさせた。ところがその後豪族の家には黒い雲が覆い,災害や不幸が相次いで一族は死に絶えてしまった。それから何代か土地の所有者が変ったがいずれも不慮の死を遂げた。現在残っている善海上人の不動尊像は誰の時代の建立か不明であるが,今でもここを「上人塚」,前の田を「上人田」と呼んで,年寄などは近付かないようにしている。
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シラガ,ユウレイ
1953年 宮崎県
山里の豪家に住む当主は夫婦とも養子で、勝気な妻は気弱な夫ばかりか、養家の老母を虐待し、老母は先祖の墓前で首を吊って自殺した。以来家の中に白髪の幽霊が出て妻は発狂して死んだ。
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(キミノヤシロ),(レイ)
1982年 広島県
享保9年3月16日頃、家中の者が新宅の普請をした。邪魔な柿木を切ろうとしたら大工が、その木には霊が宿っているので切れないと言った。家中の者の下人が、現れたら相手になってやると嘲弄した。その夜更けに空から声がして、下人が空中に抱え上げられた。毎夜続くので家中の者が空に向かって何者だと問うたところ、空から声がして、我は137年前にこの屋敷で働いていた下女であり、柿の実を取った事で殺されこの木の根元に埋められた。我を神として祭れば国の災厄を予言し、諸病を平癒しようと言った。その通りに社を造営したら諸人が郡参した。下女の名前をとって、貴美の社といった。
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ユウレイボンショウ
1956年 宮城県
称名寺に,幽霊寄進の梵鐘がある。延宝・天和の頃,同地の高橋某という侍が隣村佐倉村に情婦を囲い,本妻に辛く当たった。しかし離縁の口実がなく,遂に情婦と計ってこれを謀殺してしまった。本妻は,本宅に納まった情婦に恨みを晴らすため夜毎戸口まで迷ってくるが,そこに貼ってあった神符のために入ることができない。そこで妻の亡霊は親戚に頼み,小判数枚を与えて神符を剥がしてもらった。間もなく情婦は本妻にとり殺されてしまった。親戚某は亡霊から梵鐘を鋳て菩提寺に寄進するようにとも頼まれていたので,夫を訪ねて青銅に亡霊からの小判を合金し,梵鐘を造らせて称名寺に寄進した。この梵鐘は現存し鐘銘には右の由来が彫られている。年代は元禄六(1693)年林鐘初八日,施主は高橋八郎兵衛平常,住持可伝上人,冶工早山五郎次清次。
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ボウコン
1974年 京都府
寺町通松原下ル町に住む者の下女が両親の供養に為銀をためたので、主人は寺に預けさせ一部を主人の妻が預かった。下女が元禄15年正月11日に死ぬとひときわ大きな蝿になって現れ、預かった銀を他の貴い寺に差し出すように言うと、蝿は目の前で死んだ。その蝿を寺で供養をして土中に葬ると、翌日消えていた。
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オニハカ,オニ
1929年 長崎県
毎朝玄関にぬれた草履があるのを不信に思った親父が、持ち主の後をつけた。すると息子の清五郎がそれを履いて小川を通って川向こうの墓場に入っていった。父も隠れて着いていくと息子が墓を掘り子供の死体を引きずり出して食べていた。孫の命を心配した彼は決心して息子を退治しようとしたが逃げられた。鬼墓というものがその地にあるが、それが清五郎が暴いた墓か清五郎の墓かはわからない。
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コウジンマツ,ユメ
1975年 大阪府
荒神松という松の生えた塚があり、その一帯を畑にしようとしたところ、息子の夢の中で、その塚の土が崩れ出て、「私のすみかが土に埋もれてしまう」という声が聞こえた。その日隣家からも、金銀を持った人を殺して塚に埋めただろうと言われ、潔白を証明するために塚を掘り返したところ、はたして朽ちた棺と骸骨が出てきた。
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コソダテユウレイ
1980年 香川県
昔、女の人がマルジニをしたので、婿の下駄をお尻の下に敷いて、大きな瓶に入れたところ、子供ができた。死んでいるので乳が出ないため、幽霊になって毎晩必ず飴屋に飴を買いに来る。不思議に思った飴屋のお爺さんが後をつけると墓地へ入って行ったので、幽霊だと気づき、掘り返すと子供が出て来た。その子供は大きくなってお坊さんになったという。
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ユウレイ
1971年 長崎県
長崎のあるさむらいが本妻への義理のために二号さんを斬った。その一週間後に、嫁さんの幽霊が毎晩飴を買いに来る。飴屋の主人が後をつけると墓場に来たので、掘り返してみると男の子がいた。その子は成長してえらいお坊さんになった。
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タタリ
1971年 石川県
気性の激しい当主が侍女を斬って井戸に投じたところ2,3代にわたって目を患う者が出、殺された侍女の祟りとして、供養のため邸内に地蔵堂を建立するに至ったという。
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