(アマゴイ) 1987年 長野県 昔から,旱魃が続くと村人達は本沢に来て茨を淵の中に切り込み,雨を祈る。するとたちまち雨が降ると言い伝えられていた。
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オセンガフチ,ダイジャ 1987年 長野県 村が大干ばつにやられ飲み水に困ったとき,村人達が大蛇を祀ったお仙ヶ淵に願をかけると,俄かに大雨になったという。以後,お仙ヶ淵は雨乞いの神様として親しまれている。
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リュウジン 1937年 京都府 龍神ヶ淵の龍神に雨乞いをすると必ずたちどころに雨が降る。
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ウワバミ 1973年 広島県 うわばみが棲むと言われている淵がある。旱天の時は、木を刈って淵を埋めて祈れば、雨が降るという。
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チボチノイケ 1987年 長野県 鳶ヶ岳の佐久側の尾根にあり,どんな日照りのときにも絶対に涸れることがない。雨がほしいときには「雨を降らせてください」と紙に書いて投げ込み,水を掬って飛ばせば,その飛んだ方角の村に必ず雨が降る。
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ワミブチ 1989年 長野県 和見淵のお堂の神様に雨乞いをすると、雨が降った。
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オカンガイケ 1987年 長野県 雨乞いの聖地。この池の水をかえると雨が降るとされる。
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コマチ 1981年 山形県 小町が水を飲もうと探すと、3本足の鶏が泉に導いた。この泉を大釜淵といい、雨乞を行えば必ず雨が降る。
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リュウ 1943年 岐阜県 小泉村大原の高社山の中腹にある龍ヶ池は、昔から龍が住んでいて水が絶えることが無かった。旱魃のときにも、その池をかへどると必ず降雨がある。
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ヒガシネノナナフシギ,ミズ 1956年 宮城県 平貫の弁天池はどんな旱魃でも水が涸れることはない。
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リュウノオトシホウギョク 1934年 香川県 百々淵という場所があり、旱魃の時はこの淵の水を代え干すと大雨が降るという。或る年、それを実行した村人は雨に恵まれたが、淵は以前に増して濁っており、重く珍しい玉が落ちていた。村人は、龍神の落し物として、寺に納めた。
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オノノコマチ 1981年 山形県 小野小町が水を探していると、3本足の鶏が泉へと導いてくれた。この泉を大釜淵といい、雨乞を行えば必ず雨が降る。
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ダイジャ 1970年 岡山県 鞍淵という淵で雨乞いをする。かつて、洪水のために出てきた隣村の池に住む大蛇が杉の枝に引っかかっていたので殺した。その骨を焼いて灰にして鞍淵に捨てたので、蛇気があるからだという。
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クメドモツキズ,ナナフシギ 1941年 大阪府 汲んでも汲んでも水枯れしない井戸があった。やがて、その井戸は、土地の七不思議の一つに数えられるようになった。
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リュウジン,クロイマダラノアルウシ 1983年 岐阜県 雨乞いの時には黒淵でお願いする。ここには竜神がいるとも、黒い斑点を持った牛がいるとも言われ、雨を降らしてくれる。
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サカナ,オトンボブチ 1971年 長野県 川の水が枯れても常に満水の淵があった。ある日、猟師がその淵のそばを通った時、魚が突然飛び上がって淵に飛び込んで「おとんぼよう」といった。それからおとんぼ淵と呼ばれるようになった。
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デンパチクモ 1968年 岡山県 はたきの淵ではでんぱち蜘蛛の民話が伝えられている。この淵の水を干してしまうと、淵のヌシが怒って雨を降らせると言う。
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ダイジャ 1983年 岡山県 雨乞いは、1度行えば十分というものではなく、降るまで何回も方法を変えたりして試みられなければならないものであった。勝田郡奈義町那岐山中の蛇淵では、雨乞いをするには、五升樽をこの淵に投げ込めば、その酒への返礼に、大蛇が雨を降らせるのだといった。或いは、この淵に鉄物を投げ込むと、大蛇が怒って雨を降らせるのだとも言う。
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チョウジャノミズ 1980年 新潟県 平畑に続く道の途中に長者の水と呼ばれる清水があり、それは夏でも決して涸れることがない。
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カタメノフナ 1966年 山形県 旱魃続きで雨が欲しいときには、旱魃でも決して涸れることがないという入り口も落とし口もない薬師社の池に入って掃除をする。そして、その間に大夫様が雨乞いの祈禱をする。それはこの池に住んでいるちいさな片目の鮒が池の掃除に怒って雨を降らせるのである。
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