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検索対象事例

サケイド
1940年 福島県
鎌倉初期、ある長者の本尊であったと伝えられる観音堂の近くに酒井戸といわれる泉があり、その長者の時代には酒の湧き出す泉であった。

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ミズ,サケ
1938年 京都府
園部池の近くの大井戸から涌き出る泉は、昔、御酒にかわった。
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ツエ
1926年 山口県
厳島神社の神泉である弁天池は、昔、老翁が青竹の杖を突いて詣で、社頭に杖を立てたとき、その杖の穴から泉が湧いたものだと言われている。
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ニチレンショウニン,ツエ,イズミ
1967年 山梨県
昔日蓮上人が通った時、水を飲みたくなって一人の姥に水を求めると、姥は遠方まで水汲みに行って上人に出した。日蓮は気の毒に思いそこに杖をつき立てると泉が湧き出した。今もこれを姥清水と呼んでいる。
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コウボウイド
1987年 長野県
細谷三ツ谷の沢にある湧き水をいう。昔,弘法大師がこの村を通り,咽喉が渇いたので老婆に飲み水を求めると,快く水をくれた。しかし,飲み残しを地面に捨てると老婆が大変怒ったので,大師は謝って,持っていた杖で山の下を突いた。すると不思議なことに,そこから清水が湧き出してきた。これを弘法井戸と呼んでいる。老婆へのお礼とお詫びの気持ちを表したという。
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シンランショウニン
1979年 山梨県
ある日の夕暮れに、1人の旅僧がやってきて泊まった。翌朝、ここは清浄なところだから何日か行をやりたいというので、堂へ案内した。婆さんが家の内に水の出る所はないものかと捜していると、その旅僧が場所を示した。掘ってみると清水がわき出した。ただし、この水はこの家の入用だけしか出ず、女性が不浄の時には汲んではいけないと約束した。ある時、婆さんが約束を忘れて水を飲んだところ、水が止まってしまったが、坊さんに話して拝んでもらうと、また水が出てきた。後にこの名僧は親鸞聖人であることがわかった。
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サケ,イド
1967年 福島県
昔、勿来に孝子がいた。母親が酒好きであったが、貧乏なので飲ませることができない。それを悲しく思いながら、ある日家の後ろに井戸を掘った。すると酒のような水が湧き出、それがたいへん良い酒だったので、母親に飲ませて喜ばれたという。井戸を掘った鍬は出蔵寺にあるといわれ、大同2年にこの寺が建立されたときに、縁起が良い鍬として地ならしに使われたという。また、井戸は現在酒井関根の蛭田源右衛門という人の屋敷裏に跡が残っているという。
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ユツボ
1936年 京都府
昔、この池に霊泉が湧き、それを汲んで湯壷に湛え湯となし浴すと功験神のごとくであったという。
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カンノンノミズ
1932年 長野県
明治10年頃のこと、塩尻峠を登っていた若い躄が、清水の湧き出る場所で水を飲み、ふと見上げると観音様がいた。彼は近寄って額づいていたが、そのまま深い眠りに落ちた。目を覚ますと躄は立ち上がれるようになった。この噂が広まり、観音様をお参りする者が日に日に増えたが、供え物をめぐって人々が争うと、観音様は忽然と消えてしまったという。
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ミッツノツボ,オダイシサマ
1932年 福井県
昔、内浦湾を囲んで突き出た岬の谷間に三つの壺があった。それぞれ酢・酒・醤油が自然に湧き出ており、汲めども尽きなかったが、ある時必要以上に汲み取ってしまい、それから綺麗な水しか出なくなった。これはきっとお大師様の罰があたったのだという。今でもそこにはお大師さまが祭ってある。
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(カッパ),トウ
1982年 神奈川県
相州大川道西久保という所に小さい川があり、その川で河童が馬を引き込もうとしたところ、大勢で河童を打ち殺そうとした。その時にある百姓が河童を貰い助けたところ、夜に河童が礼にやってきて、陶器に酒を入れ、鱸を2匹持ってきた。鎌倉時代のことだという。この河童は雌雄いて、一匹は鎌倉に住み、一匹はこの角村に住んで文通をしているという。この陶の酒を呑む時、少しだけ酒を残しておくとまた酒が増えて、万年も絶える事がないと河童は言った。ある時酒を飲み干したので、それからは一滴も出なくなった。
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コウボウスイ
1967年 福島県
かつて弘法大師がこの辺りを通られたとき、水が欲しくなり持っていた杖の先で地を突いたら、そこから水が湧き出た。大和田という家の前にあるのがその泉であるという。また、洗濯していた老婆に弘法大師が水を求めたが、くれなかったので、今の弘法水と呼ばれているところに水を出したという。
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カンノン
1935年 東京都
推古天皇の時代に土師臣中知という人が浅草の地に流れ着き、家臣の檜熊濱成、武成の二人の兄弟とともに漁労を生業としていた。推古天皇の御代の36年3月18日の朝、浅草の沖で網を下ろしていると観音大士の像のみが網にかかった。場所を変えても同じで、驚いてこれを持ち帰り家に安置したが、臭魚の穢に混ざることを恐れて香道を作って安置した。これが浅草観音の縁起という。
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センジュカンゼオンボサツ
2003年 愛知県
元正天皇の頃に、勘少と藤六という兄弟が網引きや釣りで生活していた。霊亀元年の春、船を浮かべ小佐が瀬で網を引き上げると、魚ではなく小石が入っていた。石を捨てて場所を変えても、同じことが七回あった。兄弟がその石を船に置いて漁をすると、大漁になった。喜んで帰り夜になると、船の中から明かりが見えた。光っているのは小石で、勘少が家に持ち帰ると、それは千手観世音菩薩だった。二人はさらに堂を建てて千手観音をまつることを願った。すると千手観音が現れ、本身が阿弥陀仏であること、行基に頼むとよいことなどを告げた。行基に頼むと阿弥陀・観音・勢至の三尊を堂に安置された。これを須佐の古寺といい、現在の極楽寺である。
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センジュカンノン
1929年 東京都
嵯峨天皇の頃、弘法大師が山籠の為山口村貯水池辺りを通過の際、樹の下に休んでいる白髪の老人にあった。「我はこの山の主で行基菩薩が感得して造り出した千手観音だが、風雨にさらされているので堂を造りたまえ」と述べ、その霊感をうけて大師は樹林の中に千手観音をみつけると、草堂を造った。(山口観音縁起)
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シミヅ
1974年 石川県
長谷部家の表門前には清水があるが、長谷部氏がこの館に居を構えて武功があったときに、一夜にして湧き出たという。冬は湯のように水気がのぼり、夏は冷たい水だという。
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コウボウダイシ,シミズ
2000年 愛知県
持宝院の境内に踊り清水という井戸がある。この井戸は弘法大師の加持によって美しい清水が踊り出るように湧き出したと伝えられる。それで山号も井際山とつけられた。轟きの井ともよばれる。
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エンノギョウジャ
1934年 千葉県
州の崎明神の別当だった養老寺のそばに独鈷水という泉があり日照りにもかれない。それは役の行者が大島から遊びに来て、まじないをしたら湧き出たという。
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センジュカンノン
1983年 大阪府
法海上人がいた頃に、どこからともなく客僧が来た。上人に仕え一夏の間香水をとり、九旬過ぎて去ろうとした時その賃を乞うたが、上人が与えなかったので、波の上に立ち、我はふだらく山の主なりと告げ、千手観音の姿となって飛び去った。上人は千手の像をつくり安置した。その霊験はあらたかという。
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ウマノヒヅメノアト
1967年 福島県
道路のそばの清水を渟中太清水と呼んでいる。昔、欽明天皇の皇子渟中太がこの土地に来られ、御手を洗われた泉だといい、和銅5年には羽黒権現が現れたともいわれる。その後この道を行く人は、泉の近くを馬に乗って通ってはならない。もし乗って通ったら落馬するといわれている。また、正月14日、6月14日にこの水を汲むと災いがあるといわれている。この両朝には馬の蹄の跡がある。これは権現様が馬に乗ってこられるのだという。
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ゴホウスイ
1989年 山梨県
奈良田神社の上手に湧出していて、御符水といわれている泉水は、旱天にも水が涸れず、どんな雨でも水がにごらず、その水を飲むと病気が平癒するというが、孝謙天皇の遷居中に御膳水としてあるいは硯水として用いられたとか、天皇が祈願して村人に残されたものであるとかいわれている。
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