国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

トノヅカ
1993年 岐阜県
殿塚に田んぼを作ったら、人が病気になったり、変死者が出たので祀った。殿塚は南朝の殿様の墓である。

類似事例(機械学習検索)

シニン,タタリ,サクラ
1989年 長野県
昔城があった場所には生き埋めにされた武士を供養するための塚があった。その塚が崩されて田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。
類似事例

ツカ
1997年 愛知県
野中に、田の中に土が盛ってあるだけの塚があり、これに少しでも鍬を入れるとたちまち病気になって死んだ。塚を踏んだだけでも足が動かなくなったりした。これは昔、この地で息絶えた野武士に村人が塚を立てて供養したものである。
類似事例

〔ショウニンデン〕
1956年 宮城県
土地や豪族の屋敷内を無断で通ったという理由で、山伏が殺される。それを埋葬した土地の所有者がみな祟りをうけたので塚を築いて祀った。前にある田を上人田といって、その地主になると不幸が多く恐れられている。
類似事例

セッカン
1976年 京都府
寛政のはじめ、清水外六坊の修理をしようと前の道を掘ったところ、石棺のようなものが発掘された。すると、それを掘り出した者をはじめ、掘ることを計画した人も暴病に罹り死んでいった。『源平盛衰記』にある怪獣一竹を埋めた塚がこの辺りであるから、きっとこれであるだろうと、石棺に土を盛り上げ小さな社を造った。平清盛が命に従い捕らえた南殿の鵺を埋めた塚ではないだろうか。
類似事例

シニン,タタリ,サクラ
1989年 長野県
昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その木に傷が付くと血が流れ出たという。塚が崩され田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。その土地を買った家でも不幸が続いたが、社を造って近親者で祭を行うと、商売が繁盛するようになったという。
類似事例

クビナシウマ
1958年 愛媛県
南北朝の戦争で、恨みを持って死んでいった兵士の血を含んだ土は盛上げられ塚となった。ある夜神官がこの付近を通ると、首なし馬に乗った兵士が現われ、神官に南に仕えていたが7代まで君主に仕えると言って消えていった。人々は石地蔵を作って、この霊を慰めた。
類似事例

アタゴサマ
1984年 長野県
百姓一揆によって殺された若殿の遺体を家来が葬った。そこに地主が祠を建て愛宕さまとした。しかし祠の扉はいくら東に向けても、南になっている。これは若殿の家の墓がある方向である。
類似事例

ツカ
1957年 愛知県
塚と呼ばれている山伏の墓はよく祟る。原因不明の病はたいがいこの塚の祟りである。
類似事例

シニン,タタリ,サクラ
1989年 長野県
生き埋めにされた武士の塚を崩した後にできた田を買った人の家にも不幸が続いた。そこでその家では社を造って、近親者を呼んで祭を行った。すると、商売が繁盛するようになったという。
類似事例

クビナシウマホカ
1978年 愛媛県
長塚の石地蔵は、南北朝のころの戦死者を祀ったところである。この付近はよく首なし馬が出たり、地鳴りがしたり、石地蔵の首が落ちていたりしたという。
類似事例

オンリョウ
1952年 三重県
家老が殿様の子供と自分の子を取り替え、御家の横領を企てたことで斬殺された。その墓を幾ら西向きに建てても城のある方向へ戻ってしまう。殿様が外出の際に首のない家老が玄関にうずくまっていた。
類似事例

オツカサン,(ゾクシン)
1965年 愛媛県
お塚さんは戦争に敗れて逃げてきて死んだ武士を、石を盛り上げて祭ったものだという。田の中・畑の陰などにある。石を墓のように積み上げて、その上に石を2つ立て、周りにナンテンを植えたものが多い。お塚さんに触ると、罰があたる・祟りがくるといわれている。
類似事例

ヤハタダノタタリ
1969年 福島県
八幡様の屋敷跡が田圃になっている。その田を作っていた人は次々と一家が死に絶えたり、病人が絶えなかったりした。
類似事例

ヒノアメツカ
1987年 長野県
茂田井の村境にある塚。これは「血の雨塚」だという説がある。昔,若い殿様が死んだとき,人々が嘆き悲しんで血の雨が降った。その若殿様の塚だという。
類似事例

クビナシウマ
1985年 愛媛県
吉川城の殿様は、ある時大殿である河野通宣の機嫌を損ねてしまい、攻められた。結局、赤痢のような病気にかかったせいで攻め落とされた。それからしばらくして吉川城付近である男が首のない馬にまたがった血まみれの武将に出会い、その後三日三晩苦しんだ。同様のことが続くので、皆で墓とお堂を建ててまつった。
類似事例

タタリ
1997年 長野県
旅の山伏がこの辺りに来て、病気が重くなり、葬ったが墓守を忘れて近所には原因不明の災いが続いた。行者が拝むと山伏の墓と分かり、お祭りすると災いが消えた。
類似事例

サンノウサマ
1982年 群馬県
山王様の境内地を畑にしたら怪我人・病人が出た。長屋を建てたら倒産し、住む人もなく、買い手がつかなかった。
類似事例

シチベエ,タタリ
1985年 愛媛県
昔、ドゾの谷にいた七兵衛が洪水で家もろとも流されて死んだ。その後、部落では不作が続き病気が流行ったので、村人たちは七兵衛さんの祟りと言って、墓を作り祭るようになった。
類似事例

(マタノアイダカラタイヨウヲオガムコト)
1975年 山口県
河田家の田の中に墓がある。昔、田植えが嫌になって、太陽を股の間から拝んだ人が、泥に潜って死んでしまった。その人の墓だという。
類似事例

ムギカラニンギョウ
1937年 岐阜県
2人の人が田の境をあらそった時に、麦稈人形を作って田の中に埋めておくと無理を行った人が滅びるという。某氏が田を買って土を起こすと麦稈人形が出たことがあった。また悪い人がいれば、その人の人形を作り1週間程も灸をすえて土中に埋めることがある。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内