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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

(ゾクシン)
2001年 鹿児島県
旧3月3日の浜下りの翌日に、ナーチャハマオリといってニセ(青年)たちが同じ浜で角力や闘牛を楽しむ。夜は夏目踊りをしながら家々を廻った。この踊りがこないと豊作にならないと言われた。

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ヤブサメ
1956年 宮城県
旧3月3日のヤブサメの神事のとき、男児二人の矢が的に命中すれば、その年は豊作だという。
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テング,テンゴウ,サル
1981年 神奈川県
夜更けになるとミミズの歌う唄にあわせて踊る鯉がいた。ある時、若い衆が見物に行ったが、その夜に限って鯉は踊らなかった。帰る途中、お嬢様を車に乗せ、大勢のお供がついた行列が近づいてきた。お供は若い衆を追い散らそうとし、若い衆は逃げ回って倒れてしまった。村民は狐か狸に化かされたのだと思ったという。
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ヒマツリ,ヒウチアイ
1964年 福島県
正月12日夜から14日夜にかけて、3日間火打ち合いという正月の火祭り行事があった。境川をはさんで新町組と中町組がまきを積んで火をつけ、燃え盛ったまきを投げ合う。勝った組にその年は大漁がある。
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オシンメイサマ
1988年 福島県
正月の遊びとして男女の別なくオシンメ踊りを行った。ある家のオシンメイサマは布でまいた木の棒で、それを借りてきて若い娘に目隠しさせて持たせ、一座のまんなかに坐らせる。若い男女がとりかこんで「ついた、ついた・・・」とはやしたてると手がふるえだすので、神がのりうつったとわかる。「嫁さまもらうべ、どこの方にあっぺ」などと尋ねるとしかるべく答えるという。
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シンバツ
1928年 鹿児島県
大島本島が大暴風雨に襲われ、農作物がすっかり吹き飛ばされたことがあった。北部にある笠利村にある部落の一つでは、暴風が農作物を荒らしたのは夏の踊りを怠ったことに対する神罰であるといい、神の怒りを静めるために村中のものが集まって幾日か踊り狂ったことがあるという。
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モチ
2000年 徳島県
正月14日(小正月)の夜に若い衆が家々を回り、ニワカと称する芸などをする代わりに餅や米をもらう。その餅で作った料理を食べると夏に病気をしない。
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ヒトツメ,ネロハ
1969年 埼玉県
戦前には2月8日と12月8日にはニワに棒や竹竿を立てて、その上にミケ(ざる)をかぶせた。この日は夜遅くまで起きていると夜一つ目が出るとかネロハがくるといわれた。
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アマメハゲ,オニ
1984年 福井県
アマメハゲという言葉が残っているが、若狭の三方向笠では、「鬼がアマメをとりに来るから囲炉裏に足をふみ入れてはいけない」と子どもを戒め、鬼がアマメをはぎに来るのは節分の晩であるという。
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ヒイヒイザル
1993年 三重県
ヒイヒイ猿という猿が、大谷の山から黒田に降りてきて畑を荒らしていた。旅の由井小雪がその話を聞いて、猿を切り捨てた。その猿の頭が比奈知へ、足はナガヤ(今の新川)へ飛び、胴体が黒田に残った。黒田では庚申堂を建てて供養した。新川では、猿は「去る」に通じて縁起が悪いから婚礼の行列はそこの橋を通らない。比奈知では今もヒヒマツリという祭りをしていると言う。
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リョウドメ
1939年 島根県
9月13日の氏神祭、10月の龍ごんさんは漁止めであり、龍ごん祭の入用はこうした漁止めの日や10月の荒れ日にナカマウミと言って一株から一人ずつ若者が出て二艘の漁村で漁をして蓄えた。また若者たちが今夜は漁を休もうと持った時には船頭に頼んで浜に〆をはって村中の船の底のトノミを抜いてシメノコに結びつけて置く。このトノミを先に取る家は嫌われ、休み日に漁に出た家には縄を貼って〆としたり、外の釘づけにして出入りを禁じたりした。
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シシマイ
1938年 秋田県
2、3年前獅子舞で一行が秋田市へ演じに行って、その夜は獅子頭をほうって遊びに出た。ちょうどその頃村の人たちは大勢のナデ渡りの声を聞き、獅子舞一行が帰ったものと思い迎えに出たが、帰って来なかった。村人は獅子舞に何かあったに違いないと案じた。
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リュウグダス,ニビ(イビ)イシ
1986年 沖縄県
旧暦3月3日に浜へ出て小石を拾うのは、一種のマナの呪力を期待しているものである。ニビ石は女性神人が拝む例が多く、彼女ら自身が神女として沖の魚を招いているのだという。
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ネリヤダイミョウジン
1986年 鹿児島県
旧暦9月9日の浜御願では、ハマウガン、ハマガン、ハマジュウガン(浜漁願)などと言い、奄美大島各地で行われる。主婦や娘などが干潮時に浜に行き、儀礼を行う。願のクチはフカに襲われないように、今年1年は果報であるように、ハブにあわないようにというような内容である。この場合、竜宮の神とは言わずネリヤ大神という。
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シシマイ、マキモノ
2001年 秋田県
三匹獅子舞で獅子と巻物が行列したあたりの田畑は豊作になり、伝染病が家々に入らないといわれている。
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ウマノアンジ,ウマニャーズ,スジ
1978年 沖縄県
昔、砂川に住むサアネという少年がミナクサという海岸で竜宮から使わされてきたというウマノアンジ(ウマニャーズともいう)という美女と出会った。ウマノアンジは最初に出会った男の妻になるようにと竜王から命じられており、サアネに妻にしてくれと頼んだ。サアネは最初は逃げ回ったが、説き伏せられ夫婦となった。ウマノアンジはいくら取り出しても米が減らない布袋を持っており、それによってサアネは長者となり子どもも何人か生れた。あるとき、サアネは布袋の中を見てはならぬと言われていたが、留守の間に調べて中身が空であることを知った。それを知ったウマノアンジはスジという大魚となり、ミナシゴの浜から海に飛び込み竜宮へと帰って行った。ウマノアンジは竜宮へと帰る際に、津波除けの呪文を砂川の人々に教えた。人びとはその教えのとおりに旧3月初酉の日にナーパイという神事を行っている。
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イノチヲトリニキタモノ
1973年 香川県
3月3日の花見節供には、正月のシメに使ったワラを残しておいて、これでチマキを巻くという。昔、命を取りに来た者にワラでしばったチマキを出した。するとそれをむくのに時間がかかり、その間に逃げて命が助かった。だからチマキを作るのだという。
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アカマタ
1929年 沖縄県
昔、美貌の娘が美青年に恋をしていたが、針に長い糸をつけてその男の正体を確かめると、山の奥に住む赤又という蛇であった。村の風習で海に入ると、女は蛇の子を産んだ。以来、3月3日の大潮の日に娘たちは海に入ることになった。
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ユキコ,ダイジャ
1960年 岡山県
なもで踊りの起源としていくつかの話がある。昔子供を授かるように祈っていた夫婦がある日裏の城山で女の子を見つけ、神の申し子として、悠紀子と名づけ育てた。年頃になり若者が毎夜娘を尋ねてくるようになったが、その若者は大蛇であった。恋人の姿を見られた悠紀子は自分も大蛇である事を書置きし城山へ帰ったという。
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リュウグウノカミ,アマグウノカミ
1986年 沖縄県
我喜屋にはチグチ(津口)竜宮、ウサチ(大崎)竜宮、今竜宮の3種類がある。旧暦3月3日は区長とカミンシュが参拝し、航海安全と豊漁を祈る。ノロがいた頃はアミタボーリ(雨拾われ)といって、アマグウノカミに雨乞いをしたという。今竜宮はホトケガミとも言い、もとは観音を拝んでいた。大正頃、カツオ船の人たちが海石を拾ってきて豊漁を祈ったことにちなみ、竜宮ともいう。
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(ゾクシン)
1972年 長崎県
雨乞いのために、部落の若者が峯岳に登って「雨よ降れ降れ三日さんよ、云々」と歌いながら、部落中を踊って廻るという。踊り終えて帰ってくる頃には、もう雨が降っているという。
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