ムカデ 1972年 滋賀県 昔、野須、栗太の両群におおきなムカデが住んでいて、三上山を7巻半して瀬田の橋に首を出し、通る人に危害を加えていた。そこで俵藤太秀郷という勇将が退治した。弓でムカデの目を射、太刀を振るって三つに切り殺したという。このときムカデの頭は浮気に、胴は勝部に、尾は瀬田に落ち、それぞれの村で焼き捨てたが、祟りがあるのでそれぞれの村で頭、胴、尾の形の大松明を作って焼くことになったという。瀬田では中絶したが、浮気、勝部では今でも行なっている。
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リュウ(ヘビ) 2001年 新潟県 俵藤太が瀬戸の唐橋を通ると大蛇(竜)がいた。踏み越えると、ニガミ山の百足退治を依頼されたため、唾を付けた矢で退治した。
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オオヘビ 1988年 富山県 俵藤太という侍が瀬田の唐橋で大蛇に頼まれ、矢の先に女の唾をつけて百足山に棲む百足を射殺した。そのお礼に大蛇の子を一匹もらった。その子をすまわせたのが縄ケ池。
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ムカデ 1982年 群馬県 赤堀では毎年白羽の矢の立った家の娘を小沼へあげていた。あるとき、俵藤太がムカデを退治して、そのことは止んだ。
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オオヘビ 1964年 福島県 麦つきの手伝いをしにどこから来たかわからない若者が来るが、そうすると必ず臼がなくなる。若者が臼沼に住む大蛇であることがわかる。ある弓の名手がその大蛇を射止める。その痛みで大蛇は大道巡りをしながら山を登った。そこを巡り平という。射止めた矢を持っていくと子供の夜泣きがやむとも言われていた。
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ダイジャ 1961年 静岡県 昔、大蛇が長者が原の方から天城山の池へ通っていた。その当時、尾張の針屋が刀をさしてきた。大蛇がその人を呑もうとすると刀が自然にぬけて大蛇にむかい、針屋は呑まれなかった。それを見ていた人が刀をすりかえたので、その次には呑まれてしまった。針屋の娘が大蛇を退治しに来て、小杉原のアネガクボとイモウトガクボというところで、大蛇を射た。最後の矢が大蛇の目に当たり、蛇は転げて岩にはさまった。その岩はジャガバサミという。また、大蛇の歯と使った矢を伏倉のナカインキョが蔵している。
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ムカデ 1974年 栃木県 昔、赤城山を7巻きする大ムカデに、田原藤太が二荒山から99本矢を射たが当たらなかったので、100本目の矢には唾をつけて射たら当たった。今でも、唾を掛けるとムカデは死ぬという。
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サルトラヘビ 1987年 岐阜県 高賀山の、頭は猿、胴は虎、尻尾が蛇の化物の目の光で琵琶湖の魚が取れなくなったので、天子の命令で京都から藤原高光が来て、矢作神社で作った強い矢で撃って退治した。
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メッコヌマノカイ 1956年 宮城県 沼のほとりに身を隠していた平氏の残党の従僕で茂右衛門という弓の名人が,沼に大魚が2尾泳いでいるのを見つけ,そのうちの1尾を射た。矢はその目を貫いていた。その夜彼の夢にもう片方の大鮒が現れ,「私達はこの沼の主の夫婦鮒だが今日夫があなたの矢で殺され,生き長らえる望みも無くなった。あなたの殺生が恨めしい」といって消えたので茂右衛門は後悔したが,翌朝未明ふらふらと沼のほとりに歩いていった。岸辺には2尺余りの雌鮒が片目を潰して死んでいた。数日後村の人が沼のほとりで片目を刺されて死んでいる茂右衛門を発見したが,その手には大きな片目の魚を握っていた。彼の目を刺したものはわからなかった。それ以後沼の鮒は皆片目となり,それを捕る者もいなくなった。その沼を「メッコ沼」というようになった。
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ムカデ,ヘビ 1982年 群馬県 赤堀家の先祖は俵藤太。三上山のムカデを退治して大蛇を助け、大蛇の娘を嫁にした。
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ダイジャ 1963年 茨城県 岩穴に大蛇がいて人が通れないので大勢が退治にきた。泉で水を飲み、沢に入ると人がいた。大蛇退治の意図を語ると指差して消えた。指差した方に大蛇がいたので皆で矢を射ると、大蛇の目に刺さって大蛇は沢に迷い込み、そこで死んだ。沢の人は山の神だったという。
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キツネ 2001年 青森県 昔、階上岳の麓に、人を騙しては迷惑をかけている狐がいた。ここに爺と婆2人が住んでいたが、雪の降るある日の夕方、婆が待っていると、左目の見えない爺が帰ってきた。本物の爺は右目が見えないので、婆はすぐにそれが狐であると見抜き、殺してしまった。以来、ここに人を騙す狐はなくなったという。
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ヒトツメボウズ 1982年 広島県 昔、あるおじいさんがモセを取るために夜2,3時頃に段原の人焼場の川筋の浜にいたら大きい一つ目坊主が現れ背負って帰れといいながら背中に乗ってきた。仕方なく峠の所まで帰ったらここで降ろせといい、夜はお前たちの世ではないといって帰ったという話がある。
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ムカデ 1975年 滋賀県 俵藤太秀郷が瀬田の橋で三上山の百足を撃ったというが、瀬田と三上山は距離が遠い。このことを近江の人に尋ねると、百足の住んでいた山は、瀬田から1里ほど離れた所の小山であると伝えられているという。
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ムカデ 1956年 福島県 猿丸大夫がカノ山の白い鹿を追って日光まで行った。日光の大ムカデが白い鹿の子を食べるので、弓の名人の猿丸を呼びに来たのだった。シタキ(唾)をつけた矢で射るとムカデは死んだ。今でもムカデにはシタキをつける。
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ヒトツメコゾウ 1962年 山梨県 昔、さかね沢というところの山小屋に太郎助という若い衆が大勢の村の人たちと木こりをして寝泊りしていた。その頃は12月13日には仕事を休んで家に帰ることになっていたが、太郎助だけが残る。夜中に山小屋の外の音で目が覚め、入口を見ると一つ目小僧がじっと太郎助を見ていた。一つ目小僧が「今夜の酒のさかなは何だあ」とどなるが、「お前のまなこ玉だあ」とどなり返すと一つ目小僧は逃げ出した。太郎助は夜が明けると家に帰ったが、それが元で死んでしまった。それから沓沢では鰯をもみやからたちの枝に刺して門口におくようになった。それは小僧がのぞいた時にその目を刺すからだという。
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クマ,ヤマオトコ 1984年 長野県 猟師の東作が大熊に遭遇した。身の危険を感じたので金の玉薬で撃とうとすると、大熊は大男になって負けを認めた。そのことを口外しないので、猟の成功と1人で山に入ることを約束した東作は、それから裕福に暮らした。
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ダイジャ 1934年 岩手県 鉄砲名人の男が大蛇を撃った。すると洪水となって大蛇は山に逃げて行った。この男の一族は祟りにあって左目が悪いという。そして山には登ってはならない。
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ダイジャ 1932年 長野県 百間堀で盲人が魚を釣っていると、大蛇が現れた。盲人は恐ろしいから殺してしまった。その頭が太郎山のコクゾウ山に、尾が大星神社にある。
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オジカ,ヘビ,ムカデ 1938年 福島県 昔、会津若松近くの小野嶽の麓の小野に猿丸太夫が住んでいた。雌鹿を矢で射ようとすると矢は当らず、尾が光っていた。後を追ったが鹿は消えた。日が暮れると、西から蛇体、東から百足が出てきて噛み合っていた。鹿は蛇体が姿を変えて助太刀を頼んだものだと理解し、百足を矢先に唾をつけて射ると退散してしまった。
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