カナヤゴサン 1947年 島根県 金屋子さんが天降ったとき、犬に吠え掛かられたので蔦につかまって逃れようとしたが、蔦は切れてしまった。藤につかまって逃げることができたので、金屋子さんは藤が好きで、犬と蔦が嫌いだといわれている。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 島根県 金屋子さんは天降るときに白狐に乗っていた。そのときに四つ目の犬に吠えられ、逃げようとしたところ、麻苧にに絡まって倒れ、ついには死んでしまった。だから金屋子さんは犬と麻が大嫌いだといわれている。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 広島県 ある家に金屋子さんが宿を求めたが、産があったからと断られた。次の家では死人があったが快く泊めてくれた。そのため、金屋子さんは産を嫌い、死を好むのだと言われている。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 島根県 ある家に金屋子さんが宿を求めたが、産があったからと断られた。次の家では死人があったが快く泊めてくれた。そのため、金屋子さんは産を嫌い、死を好むのだと言われている。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 島根県 ある家に金屋子さんが宿を求めたが、産があったからと断られた。次の家では死人があったが快く泊めてくれた。そのため、金屋子さんは産を嫌い、死を好むのだと言われている。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 島根県 昔、金屋子さんが備中から連れてきたムラゲが死に、鉄が湧かなくて困ったことがあった。そのとき、その死んだムラゲの骨を四本柱に立てかけておくとよく湧くようになったという。そのため、金屋子さんは死の穢れを忌むことがないのだという。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 島根県 金屋子さんは天降るときに藤葛につかまって降りてきた。
類似事例 |
|
カネヤマサン,イヌ 1949年 山口県 金山さんが一つ目で人相の悪い姿であったので、四つ目の犬が吠えかかった。そのとき、蜜柑の木に登って助かった。そのため、11月8日の鞴祭の際には蜜柑を供える。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 島根県 金屋子さんは死の穢れを嫌わないので四本柱に死体をくくりつけておいてもよい。金屋子神社の本田の下にある瓶には往古のムラゲの骨が入れてあるといわれている。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 兵庫県 金屋子さんは血の穢れを嫌うが、死の穢れは嫌わないので、たとえ鑪の柱に死体をくくりつけても大丈夫であるという。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 広島県 金屋子さんは死を忌まないどころか、むしろそれを好む。そのため、葬式に時には棺桶を担いで鑪の周りを回ったという。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 島根県 金屋子さんは死の穢れを厭わない。炭を焼くときに海岸から棺桶の木を拾ってきてくべるとよいと言われている。
類似事例 |
|
テンニョヅカ 1956年 宮城県 津の宮の社家、作兵衛の四代前の先祖某が竹島に天女の群が舞っているのを見つけ、逃げ遅れた天女を家に連れ帰った。天女は豆柿を少し食べただけで6,7日して死に、連れていた子犬も死ぬ。葬ったところを天女塚といい、子犬の墓を狗塚という。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 島根県 金屋子さんは女と産褥を嫌う。炭竈がこもるときに産気づいていたりすると、その手前で飯は炊かず、よそで炊くのだという。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 広島県 金屋子さんは産を嫌うので、産があったときは1週間の間鑪へ行かなかった。今でも炭竈へ行かない習慣が残っている。
類似事例 |
|
イヌ,ニワトリ 1949年 宮城県 陸前江ノ島にある薬師如来は犬と鶏が嫌いであるといわれ、もし、これらを飼うと島全体がひどい目に遭うと信じられている。近年もこの禁を破ったためひどい目にあった事があるという。
類似事例 |
|
トラコ,ネコ 1929年 青森県 虎子という飼い猫をかわいがっていた大橋雅楽之助が、淵に転落して命を落とした。これを下部が淵という。虎子は酒粕を盗み出して毎日この淵に落とした。これを見た人たちは、男に手向けているのだろうと感心した。しかし虎子も最後には犬に噛み殺された。
類似事例 |
|
テング 1954年 島根県 昔、高崎山にあったある寺の坊さんは、天狗をよく使い、入り用の物を持って来させるなどしていたという。後に、別の坊さんが寺に住むようになると、天狗はその坊さんを嫌ったため、坊さんは下山してしまった。以後は誰も寄りつかなくなり、寺は潰れてしまった。
類似事例 |
|
カナヤゴサン 1947年 島根県 金屋子さんは死人が好きなので、鉄がわかないときには死人を背負って歩くとよいといわれている。
類似事例 |
|
カネコイナリ 1986年 埼玉県 金子越前守という者が住んでいた。ある晩美しい女が訪ねてきた。暫くこの女をとどめておいたが、次第に心を惹かれるようになり女は子を孕んだ。しかし女は、「つい長い年月を過ごしてしまいました。この子を産んだら京に帰らねばなりません。」と泣いた。次の夜、赤ん坊の泣き声に驚いて女の寝間に行くと一匹の狐が東の窓を打ち破って逃げていった。越前守は京へ上り、伏見稲荷の分霊を持ち帰り、庭に祠を建てて祀った。これが今の金子稲荷である。また、これ以来金子家では東に窓を作らないと伝えている。
類似事例 |
|