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検索対象事例

シラヌイ
1974年
筑紫の不知火は肥前肥後の海に出る。数里に及ぶ。近くで見ることは出来ない。

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シラヌイ,シラヌイ
1973年 長崎県・熊本県・佐賀県・福岡県
筑紫肥の前後の海に毎年7月30日の夜に限って不知火が出現する。その数幾千万とも知れない。おおよそ4~5里の間につらなりその色は赤い。
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シラヌイ,シケビ
1930年 愛媛県
筑紫の不知火に似た怪火が櫛生、喜多灘間で見られる。毎年2、3月の深夜に現れ、低く走ったり飛んだりするという。句碑によると、昔灘沖で死んだ人の怨霊であるとされ、これが現れると大しけになることから、灘沖の時化火ともいわれている。
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リュウトウ
1975年
海中に竜灯というものがあり、夜中に海中から火が燃え出ると伝えられている。今でもあるという。昔、景行天皇が西国巡行した時に、海中にしらぬ火があったためにその国を火の国と名付けられた。今の肥前・肥後である。
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ヒノタマ,シラヌイ,カゲビ
1976年
ある年の6月29日、知多から帰る船が海中で火の玉に群がられた。火の中に鬼か人のようなものが見えた。肥後のしらぬ火もこのようなものだろう。
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シラヌイ
1935年 熊本県
陰暦8月には、日奈久温泉の付近の海に不知火が現れる。
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シラヌイ
1921年 長崎県
1月6日(旧暦12月29日)の夜中1時ごろに不知火が出る。火光が海上に一列左右に2里ほどの長さに広がり、点滅したりする。2時ごろに最も多くなり、数えると約250ほどであった。火光の列は、初めは多良火山山麗の竹崎鼻を中心に左右に広がっていたが、三時頃には有明海を横断して大牟田の黒崎鼻まで達した。
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ツケビ
1967年 愛媛県
沖で、海に山が見えたり家が見えたりすることがある。つけ火といい、仏が迷っている。焚火を振ると見えなくなるという。
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モウレンビ,モウレイ
1964年 福島県
霧の深い晩に海の中に燃える火がある。これをもうれん火とかもうれいと呼ぶ。青く、30センチメートルか45センチメートルぐらいであるという。
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シラヌイ
1930年 愛媛県
1929年(昭和4年)4月2~3日の二日間、由良湾一帯に不知火が現れ、見物人で大騒ぎになったという。
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グヒン,アキバシンカ
1975年 静岡県
遠江国秋葉山から夜、玉のような火が空を飛び沖の方へ行くことがある。その地の人はこれを狗賓が漁に出たという。これがあると二,三日は不漁になる。
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ブラ,ヒノタマ
1962年 千葉県
夜、田に行くと、地面から3、4間のところを、赤い火の玉がふらふら浮かんでいるのをよく見るという。
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ヒノタマ,アントクサマノヒダマ
1928年 長崎県
山から夜な夜な火の玉が飛ぶ。ところが、火の玉は陸地にいる人には見えず、海上に出ている漁夫にのみ見える。里人はこれを安徳さまの火玉と言って尊崇している。
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〔アレビ〕
1967年 石川県
荒火は海上に出る1mほどの青い火。小雨の晩などに出る。害はない。
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リュウビ
1989年 石川県
海上に発する不思議な火はゆっくりと磯辺に近づき、トメッサマの石のところに留って一旦消える。この火は龍燈様、石は龍燈石と呼ばれ能登半島各地に広がる伝承である。
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キツネビ
1957年 長野県
天竜川には狐火が出るといわれる。漁師が漁をしていると狐火が見えたので、対岸のものに言うと、対岸でも見えていた。しかしこの場所は現在ではダムの下になって、その姿がない。
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テンピ
1956年
正体の知れない怪火で、大きさは提灯ほど。人玉のように尾を曳かない。佐賀県東松浦の山村では、これが落ちると病人が出るといって、鉦を叩いて追い出したといわれる。
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テンピ
1956年
正体の知れない怪火で、大きさは提灯ほど。人玉のように尾を曳かない。熊本県玉名郡地方では、これが屋根に落ちると火事を起こすといわれる。
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マヨイブネ,マヨイ
1934年 福岡県
月の明るい晩に逆らって行く帆船を見たり、見えないのに人の話し声を聞くことがある。これをマヨイブネと言い、盆の月に多く現れる。単なる海上の怪火も、筑前ではマヨイと言う。
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ヒ,テング,クモ
1936年 石川県
沖で見る火が赤いときは天狗の火、青い時は蜘蛛の火で小さい。
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ツクバカクシ
1939年 茨城県
高道祖村からは筑波山がはっきりと見えるはずなのに、一ヶ所見えない所があるという。遮るものは何もなく、一間手前からはよく見えて、一間過ぎるとまたよく見えるのに、そこからだけはどうしても見ることができないという。
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