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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カイレイ,カイシキビョウ,セガキ
1974年 広島県
備後国三好から二里山奥の広島領で、米蔵の米を10石ほど食べた大蛇に村人が怒り、大蛇を殺したところ、村に怪しい病が流行した。老若男女問わず、自らの指を切り取り、すべての指がなくなると死んだ。僧が施餓鬼をなし、大般若転読を行ったらやんだ。

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ダイジャ
1993年 福井県
ある日旅の僧が大蛇を訪ねてやってきた。退治してやるとのことで村人は大蛇の住む池に案内した。僧は読経して黒い鉄の玉を池に放り込んだ。大蛇は鉄の玉が嫌いで逃げ出したが、滝を降りようとしたところで首の骨を折って死んでしまったという。大蛇の血が川にも七日七夜流れ続いたという。
類似事例

ヤモリ
1974年 長野県
信濃国松代の山里に、有名な力自慢の者がいた。水無月の頃に彼は友人と山に入ったところ、きわめて大きな蛇が出てきた。そこで彼は上あごと下あごを持って口を裂こうとして失敗し、鎌で大蛇の口から喉にかけて切り裂いた。その体の太い所だけを家に持ち帰ると、親は大蛇は山の神に違いなく、必ず祟りが起こるといって家を追い出した。里長が何とか宥めた。彼の身体に蛇の匂いがついて抜けず、医者が薬を与えると消えた。その医者が言うには大蛇ではなく野守だという。彼はその後、山に入って官木を盗んだ罪で死刑になったが、野守の復讐だと思われた。
類似事例

ダイジャ
1961年 岡山県
昔虫原峠に近いところの平坦地に大蛇が住んでおり、蛇原といった。その蛇は牛馬を取って食い、田畑を荒らすので、九品寺の僧が大蛇を祈り殺した。九品寺の僧は大病を患い死亡し、寺は次第に衰え廃寺となったという。また大蛇が死んだ虫原谷を流れるおこぎ川の水に毒気が含まれて牛馬や人に害を及ぼすようになった。大蛇のたたりということで祀ったという。
類似事例

(ヘビ)
1981年 東京都
ある托鉢僧の庭に蛇がいたので、日々飯をやっていた。ある日暗くなって帰宅したところ、間違って蛇を踏んでしまい、蛇は僧の足に食いついた。そのせいで僧は足が腫れて難渋し、蛇に向かって恩知らずという。すると蛇は草を持ってきて、それを付けると痛みは治まったが、蛇には毒だったので死んでしまった。
類似事例

カタメシイアルヘビ
1976年 京都府
一病僧が宇治に安居していたところに、ある日、いつも出入りしている芋売りの男が行ったところ、門から片目盲ある蛇が入っていった。男は何となく恐ろしく思い、近くの家に入った。その時病僧は死んだ。その因縁とは、この僧が某国で醜い眇めの女と馴染んだが、僧はその内女が疎ましくなりその地を去った。しかし、その後も尼になり付きまとった。その後に僧は宇治に来たのだと言うことだった。
類似事例

ダイジャ,ムスメ
1929年 長崎県
2匹の大蛇に困っていた農民たちは、島原城主に頼んで蛇狩りをして1匹を殺し、1匹に痛手を負わせた。島原城下の杏庵という医者のところに毎夜更けにくる女がいた。女は治療の末完治し、その後杏庵との間に子供ができた。ある時、正体が大蛇だとわかり、子供にくりぬいた片目を残し、去っていった。その後、寛政4年4月4日に眉山が崩れる地震が起きた。眉山の下の蛇町の人は大蛇に逃げ道を阻まれて家にいた人々は命が助かった。地震は蛇の崇りだといわれ、その責を負って島原城主は自害した。
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コヘビ
1976年 京都府
某家で伯母が同居してかいがいしく働き、家が栄えていた。しかし妻を迎えたところ、妻が伯母に従順しなかったので、伯母を別居させ、食事を持っていくように主が命じたが、妻は主に偽って、持って行く事は無かった。そのうち伯母は病気になったのだが、その頃から妻も心地が悪いと屏風の内にこもるようになった。2,3日もこのようなことが続くので怪しんで屏風の内に入って見たところ、妻の首に小蛇が巻きついていた。修験に祈ってもらったら、小蛇を退治すると妻は死ぬといわれたが、苦しみを見かねて祈祷を頼んだところ、小蛇は首を離れ妻の口に入り、妻は死んだ。その頃伯母も死んだという。
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ハハノウラミ
1976年 岐阜県
実右衛門という無頼がおり、母親に不孝な行為を行っていた。後に母が死んだので火葬したが、片腕だけ焼けずに残ったので、人に見られるのを厭い、持ち帰り、後日に川にでも流そうとした。その夜、実右衛門は腕が蛇になり襲ってくると叫び、狂乱した。その後毎夜続くので、村の人が協議して村中3ヶ寺の僧に阿弥陀経を誦させたところ、その夜から止まった。実右衛門は懺悔し僧になった。
類似事例

ダイジャ
1960年 石川県
大蛇ヶ谷に住んでいる大蛇を村中の人が集まって退治することになった。柴を刈り、四方から火をつけると、大蛇は首を上げては倒れ、また首を上げては倒れた。その時の響きで村中の鍋釜がみんな割れたという。
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ウワバミ
1974年 大阪府
大蛇が住むという泉州谷の輪の居守山の榎の枝を薪にしようとする者がいた。榎の枝を打っていると大蛇が出てきたので眉間に鎌を打ち込み大蛇を倒して枝を持って帰った。その様子を友達に語っていたが、病気になり、20日程後に死んだ。
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シュウシン,ネズミ
1974年 東京都
江戸小石川伝通院のある僧が、若い時にある日の申の刻ほどに鼠を殺した。死に際に鼠は僧の指を噛んだ。以来晩の七ツ刻になると指が痛み出すようになり、その事が一生続いた。
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ダイジャ,タタリ
1929年 長崎県
島原の領主が雲仙嶽の山林で狩りをした際二匹の大蛇のうち一匹を射止めた後、島原地方一帯の畑が荒らされて作物の収穫が殆ど皆無になった。村人が原因の大蛇の捕獲に失敗した同じ頃、多比良にいた名医は傷を負った女を治療した。医者が助けた女は、連れ合いを殺された復讐に畑を荒らしにきて村人が捕まえそこねた先程の蛇だった。女は近々地震と津波が起こるので島原を離れろと医者に告げた。そして雲仙岳が噴火し、女の言うとおりになった。災害は大蛇の祟りといわれる。
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ダイジャ
1915年 鳥取県
昔、池に大蛇が住んでいて、時々人間に害をなした。領主の亀井家がこれを聞き、踏鞴師に命じて、池の水を熱湯に沸かさせた。その後大蛇は海岸に出て砂浜の上で死んだが、その祟りにより領主の亀井家は一家残らず疱瘡で死んで血筋が絶えたという。
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ヘビトカエル
1956年 宮城県
薬売りがある晩、田んぼ道を急いでいると、1匹の大蛇がビッキ(蛙)を今にも呑もうとしていたので、「そのビッキを逃がしてやったら俺のオガダ(嫁)にしてやる」というと蛇はビッキを放した。3日ほどあと、17,8の美しい娘が薬売りの寝所に来て「あなたのオガダになるから側に寝させてくれ」と裸になって床に入ってきた。次の晩から毎晩同じ時間にやってきて、だんだん薬売りはやせていった。ご祈祷しても治らず困っていたところ、ある夜少し年取った女がきて、「わたしは助けてもらったビッキだが、今夜あの娘がきたら、今自分は病気で苦しい、それを治すために辰巳の方角の山にある大きな木のワシの卵をとってきてくれ、と言え」と話して去る。薬売りがそのとおりに言うと、娘は蛇となり木に登り卵をとろうとしたが、枝が折れて下に落ちていくところを大ワシが飛んできて蛇の目をついて殺した。それで薬売りの病気は治ったが、蛇は執念深いものだということだ。
類似事例

タタリ,ダイジャ
1974年 三重県
伊勢の賀問を舟で通ったとき、13間の長さの大蛇を切り殺し、祟らないように胴を3つに切り頭とともに葬って弔った。13年後の同じ日の同じ時刻に蛇を殺した者が水を飲もうとしたら咽せて死んだ。やはり蛇のためであると人々はうわさした。
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ヘビ
1985年 山形県
目の良く見えない坊主が山の中で道に迷い、山中の洞の中で泊った。退屈なので持っていた三味か琵琶かを弾いていると、若い娘がやってきた。聞かせてくれと言う。一通り語り終わり、娘に正体を尋ねると蛇だという。子分の蛇もいて、食べ物がないので洪水を起こして村を全滅させて村人を食うつもりという。村に下りてから村人にそれを告げ、村人は対策を講じて蛇は死んだという。坊主は告げ終わると死んでしまったので、それを祀った。
類似事例

サル
1974年 京都府
北山大原で大猿を射殺した者が病になった。医師がこれは蝮が効くと言うとそこへ庄屋が蝮を持って現れた。しかしふたりは偽者だった。僧正による祈祷を行ったが行は破れ猿を射った人は死んだ。
類似事例

ヤッツノアタマノヘビ
1979年 茨城県
八瓶山の主は8つの頭を持つ大蛇だった。若い女性がこの大蛇に次々飲み込まれるので、困った村人は大蛇に8つの瓶で作った酒を飲ませた。酔って眠ってしまった大蛇を、みんなで退治した。
類似事例

オオキナヘビ
1930年 長野県
妙法寺という寺では住職が代わるごとに大きな蛇がからだを見せるといわれている。また、この蛇は一度に米一俵食べるといい、食べるところを見た者はたちまち気狂いになってしまったという。
類似事例

ヘビ
1974年 埼玉県
武州板橋から1里ほどいった処の西戸田村に、2人の娘を持つ寡婦がいた。その姉の方も不孝者で、母に食事を与えなかった。姉の夫が隠れて食物を与えたが姉に見つかり、食物を奪い取って蹴散らした。それもあって母が病気にかかり、泣く泣く寝屋から出て井戸に身を投げた。姉の夫は驚いてハシゴを降ろそうとたところに姉がやってきて、姉は誤って井戸に落ちた。すると母は半身が蛇となって姉に巻き付いたが、夫の志が忘れがたく、やさしさを気にかけて許すと言って姉を放し、母は死んだという。姉もしばらくして死んだ。
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