マサカド,クビ 1995年 俵藤太に射られた将門の首が数ヶ月も生きたままで、「斬られた体を呼び戻し、再び一緒になって進軍するぞ」と毎晩のように呼ぶので、人々は恐怖を感じていた。通りがかりのある人が「将門は俵藤太にこめかみから斬られた」と言うと、将門の顔が笑って死んだ。
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マサカド,クビ 1995年 滋賀県 滋賀県愛知郡の将軍塚は、将門の首を葬った所であるとされている。
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タイラノマサカド 1963年 福島県 将門を斬った俵藤太が朝にお茶を飲もうとすると、首のない死体がうちかかってきたが、お茶を飲むと死体が倒れた。
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ダイジャ 1964年 福島県 田原藤太秀郷は平将門の愛妾桔梗の前と恋仲になり、影武者の見分け方を聞き出して将門を滅ぼした。桔梗の前は秀郷を恨み、生国伊達郡藤田村を訪ねたが、秀郷の行方はわからず、蛇身になって菅沼の主となった。人身御供をよこさないと村を泥海に変えるというので、村人は金を集めて娘を買いに行く。下総の周防という浪人が主君の年忌供養のために娘を売った。周防の耳にも人身御供の話が聞こえ、大蛇退治に出かけ、白鳥明神の神通のかぶら矢で大蛇を退治した。この噂を湯野村の阿部道学親子が聞き、武名を上げようと襲ってきたので返り討ちにした。周防は茂庭の領主となり、大蛇と阿部親子の首を祀ったのが三社権現。
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ムカデ 1972年 滋賀県 昔、野須、栗太の両群におおきなムカデが住んでいて、三上山を7巻半して瀬田の橋に首を出し、通る人に危害を加えていた。そこで俵藤太秀郷という勇将が退治した。弓でムカデの目を射、太刀を振るって三つに切り殺したという。このときムカデの頭は浮気に、胴は勝部に、尾は瀬田に落ち、それぞれの村で焼き捨てたが、祟りがあるのでそれぞれの村で頭、胴、尾の形の大松明を作って焼くことになったという。瀬田では中絶したが、浮気、勝部では今でも行なっている。
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マサカド,クビ 1995年 東京都 東京都千代田区大手町の将門塚は、梟首されて落ちた将門の首を葬った所だと言われている。
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ショウトクタイシゾウ 2002年 石川県 延宝3年、加賀国河北田郡田近の里俵原村に住む人の夢枕に聖徳太子が立ち、夜明け近くに太子坂へと行った。その場所を掘ると聖徳太子の木像が現れ、家へと持ち帰った。夏のある日、雨が降ったため急いで家に帰ると、仏の手により干ものが屋内に入れられていた。また、秋の夕暮れに子供と遊ぶ太子の姿を見た人もいた。
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リュウジョ,ダイジャ,コマヅカ 1976年 兵庫県 康保4年の冬、源満仲が能勢の山で猟をした時、夢に竜女が現れて、礼に竜馬を与えるので川下の大蛇を退治して欲しいと願った。目覚めると1匹の馬が傍にいた。満仲はその馬に乗り大蛇を退治した。満仲の死後も馬は生きていたが、やがて死に、家臣の者が馬を山岳に埋めてその上に堂を建て、駒塚山堂と名付けた。その後文明2年3月18日から毎夜駒塚が発光した。慈光山普明寺の住僧が塚で普門品を誦したら、たちまち雷鳴して馬の頭が出現した。住僧はそれを持ち帰り竜馬神と名付け金堂に納めた。
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ショウグンヅカ 1977年 京都府 桓武天皇が、平安京遷都のおりに、群臣諸博士を召して、王都長久の方法を審議し、土で8尺(約240センチ)の人形を作り、甲冑を着せて弓矢を持たせ、東山に埋めて、京の守護神とした。これが将軍塚である。治承3年7月に3度続けて鳴動した。
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リョウマ 1935年 長野県 長野市郊外の相原神社では藁製の馬を献ずる。この馬にまつわる伝説が『桐原八景』にある。信州水内郡相桐は桐原というが、そこに成務天皇の時代、壬申年2月8日この野に龍馬が出現した。村の長がこの龍馬を捕らえて天皇に献上した。この龍馬は天皇崩御の後虚空に飛行し不尽山に入り、推古天皇の時代に不尽山を出て甲州に下った。甲州曽我の大臣はこれを捕らえて聖徳太子に献上して聖徳太子はこの馬に乗って7日間虚空を飛行し、霊山奥窟に分け入った。太子崩御の際には葬礼に供し、廟の前で死んだという。
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トサカミノクビ 1983年 長野県 土佐守の首を遠山へ届けようとした者があり、道を運んだが、地蔵峠まで行くと急に重くなり、届けることができなかった。
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ダイジャ 1967年 福島県 蛇塚という場所には昔大蛇が住んでいて人民を悩ましたので、僧都が塚に埋め封じたという。西に首塚、東に尾塚がある。農夫が水を通そうとこの塚付近を掘ったところ不思議のことがあったのでやめたという。
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オオヘビ 1988年 富山県 俵藤太という侍が瀬田の唐橋で大蛇に頼まれ、矢の先に女の唾をつけて百足山に棲む百足を射殺した。そのお礼に大蛇の子を一匹もらった。その子をすまわせたのが縄ケ池。
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(サルガクビ) 1967年 福島県 猿か首というところは昔、藤原政朝が霊夢により岩瀬郡鉾衝宮で通夜した時に山に迷い込み、しるべのものが手古る猿に変じ襲いかかり、白鹿の神助により危機を逃れたところである。
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ショウグンヅカ 1977年 京都府 桓武天皇が、平安京が長久であるようにと、土で8尺(約240センチ)の人形を作り、甲冑を着せて弓矢を持たせ、東山に西向きに埋めた。泉涌寺の上にある塚がそれである。鳴動したのは、保元元年は大乱の兆しとして。治承元年は平清盛の福原遷都の兆し。明応2年と享禄3年の時は、ともに足利将軍の時代であった。慶長3年の時は、豊臣秀吉死去のためであった。
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マサカドノクビ,イチョウ,オウチノキ 1936年 京都府 平将門の首が、光って飛んで来て、引っ掛かった銀杏の木がある。また、こうした伝説は、他の樹木にも多く見られる。
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マサカド,クビ 1995年 岐阜県 岐阜県不破郡矢通村は、将門の首が東北に飛んで帰る途中に射通された場所であり、御頭神社はその首を祀った所である。
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ユメ 1973年 新潟県 昔、春に男2人が山に入り休んでいた。寝ていた男の鼻から蜂が出てきて佐渡の方へ飛んでいった。暫くすると蜂が戻ってきて男の鼻へ入った。男は夢で佐渡のある寺の椿の下に甕が埋まっている夢を見たといった。寺に行くと甕は実際にあった。
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ムメイツカ 1993年 福井県 一つの塚がある。伝説によると、昔、弘法大師が巡錫の時昼食のタモの木で作った箸を挿しておいたところ、根付いて大きくなったものという。また、神功皇后の三韓遠征のとき、渡海し死亡した者を葬った塚という。この塚に鍬や鎌を入れたり、足を入れると腹痛を起こして死ぬといわれる。
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リュウ(ヘビ) 2001年 新潟県 俵藤太が瀬戸の唐橋を通ると大蛇(竜)がいた。踏み越えると、ニガミ山の百足退治を依頼されたため、唾を付けた矢で退治した。
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