ショウグンヅカ,キジョ 1987年 長野県 安和2(969)年,紅葉と名乗る鬼女が戸隠山に住み,妖術で住民を苦しめていた。平惟茂は常盤生まれ,近江与吾村に住んで余吾将軍といわれており,紅葉退治のため詔を奉じて信濃に派遣された。惟茂は北向観音に参篭祈願し,鬼女を滅ぼした。将軍塚は惟茂の墓だと伝えられている。直径15メートル,高さ2メートルほどの円墳で,上に石造の多重塔がある。
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オニ 1943年 岐阜県 可児郡上之郷村伊尾の字次月の鬼岩には昔、鬼が住んでいた。都から鬼退治にきて鬼の大将の首を取ったが、重くて都まで運べず、中村に首を埋めたという。そこは首から上の病気が治るといわれ、詣る人が多い。
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クビナシ 1974年 長野県 信州松本領平田村で、寛永年中、村を追放された盗人が雷雨の時に首を抜かれ胴体だけになっているのを見廻りに来た村人に発見された。
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クビツカ,オニクビツカ 1918年 岐阜県 首塚や鬼首塚は、首から上の病に効力があるといって参詣する人も多い。鬼首塚は、鬼に化けていた男の首を切って京都に行く途中に、この場所で急に首が重くなったために前に進めず、埋めたところであるといわれている。
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オニマツ 1987年 長野県 角先渓谷の奥に大岩があり,「鬼ヶ城」と呼んでいる。大昔,ここに鬼が住んでいて,この辺一帯を荒らしまわったという。ある時坂上田村麻呂が攻めたが,どうしても降伏しなかった。金縄山の観音様に祈願すると,桑の木を矢にして攻めよとの霊告があったので,そのようにしたところ,忽ち鬼が降参してきた。捕らえて金縄(金のくさり)で縛って,松の木に繋いだが,その場所を「金縄山」,繋いだ松の木を「鬼松」,そこに祀った地蔵を「鬼松地蔵」という。
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オニ 1968年 宮城県 坂上田村麻呂が討ち取った鬼首峠の鬼の首が落ちてきたので、鬼首という地名がついた。
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ヨウコ 1975年 福井県 狐はずるがしこくつかまりにくいので、妖狐と呼ばれていたが、折井孫右ェ門に退治される。心残りがした村人達が狐の墓を作る。それが狐塚。
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コツカノハナ 1963年 愛媛県 伊予河野氏が敵に追われたとき、越智郡久留村の村上氏と三島水軍が付き従っていたが、一時備後に行き難を逃れた際に三島水軍を埋めて去った。後に漁師となって様子を探りにきた亡命者の1人が、夢を見てこれを掘り当てた。以来、ここを「小塚の鼻」という。
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ウスギヌヤマノヨウカイ 1956年 宮城県 上沼村の東北部北上川の近くに薄衣山という岡があり、そこは村の墓地で人家はなく、老松が茂って昼も薄暗いような場所で、得体のしれない妖怪が出て人々を怯えさせていた。この山の南方の弥勒寺村(中田町)に、剣道の心得のある豪胆な米三という若者がおり、化け物退治を決意した。病臥している妻を理由に家人が引き止めるのも聞かずに出かけ、松の大木にのぼって見張っていると、使いの者が「妻が命を落とした」「出棺だ」と迎えに来た。米三はそれを怪しみ、もし本当だとしても、どんなことがあっても退治するまでは家に帰るまいと決心したので我慢して帰らなかった。暫くすると我が家の方向から弥勒寺の方へ妻の葬儀と思われる提灯の行列が見えた。妻の亡霊とおぼしき白いものが飛んできて、恨み言を言い足元に手をかけるばかりになったとき斬り払うとギャッという叫び声がして、ドドッと転がり落ちる響きがした。朝になって降りてみると夥しい血溜りがあり、血痕が北上川まで続いていた。家の妻は生きており、それ以後怪異はとまったという。
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オニ 1932年 長野県 東内村の鬼石の由来。大正5、6年頃、県道にするための改修の際この石を取り除くと、下から馬とも牛ともつかない大きな臼歯が出た。鬼の歯だろうということになった。
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シカヅカノタタリ 1984年 山梨県 川久保の諏訪神社は信州の本社の24社の1つに入っているという。本社で鹿の首を集めるということで、小菅にも指令が来たとき、首から下を山沢と大久保の間に埋めたといわれる。そこには石塔がたっていてい今も鹿塚だといわれるが、その石塔をいじったらたたりがあったという。
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クダキツネ 1974年 長野県 ある人が信州伊奈郡松島宿の村で怪獣を殺した。猫ほどの大きさで顔は獺の如く、毛は全て灰色で尾は太く鼠のようだという。誰も見た事がなかったが、信州の方言である「管」という獣とされた。これは妖物で、人に姿を見せず、代々これが憑いている家があるという。
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オニ 1929年 大分県 昔、阿蘇の盆地は湖水だった。鬼が埋めようとして土を担って運んでいたら棒が折れた。今その土が上萩岳と下萩岳になって残っている。怒った鬼は不動岩を押したが動かず、その時の頭と背と両手の跡が残っている。
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(タタリ) 1981年 長野県 山伏が村人と争って殺され、生き埋めにされた。しばらくして夜な夜な法螺貝の音が響くようになり、熱病が流行った。村人の一人に山伏が憑き、手足が縛られて苦しいと口走った。山伏の骨を拾い、供養すると熱病も治まった。それが法力様で、ご神体はその山伏の頭蓋骨。
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ヘイケノツカ,ヒカリ 1916年 福井県 昔、逃げてきた平家の侍の墓といわれる平家の塚がある。50年ほど前、村民の1人が雨の降る夜にこの塚から光が発しているのを見つけ、掘り出したら一振りの刀が出てきたという。
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オニ 1979年 岐阜県 鬼が八幡町の瓢ヶ岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。この鬼の首は金山町の東林寺に納められたあと、念興寺に納められた。東林寺には鬼の髭が残されているという。
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メイドウ,タタリ,オノノケヒト,オニビ 1974年 和歌山県 紀伊国高野川の北に非常に険しい山があった。この山に人が登る事があると忽ち鳴動し、樵夫が木を伐ると祟りをなして病気になるという。ある至孝の農民が、病床の母に頼まれた山鳥を狩りに山に入り、鳥は得たが道を失った。杉の陰に燐火と思うものが燃え農民を呼ぶ声がした。見ると貴人がいて、自分が祟りをなしていた、地面の下を探って寺に移してほしいと言う。山を下りて後、法師と山を探ると骨があり、それは小野毛人のものであった。
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タメトモ,オニ 1929年 東京都 樫立村では、為朝が臼を持ち、鬼が杵を持って登り比べをしたときに、鬼は登れずに滑ってその跡がついているという。勝った為朝が鬼を捕えて石の下に入れようとしたが、抵抗したのでその時大石に鬼の耳の跡がついた。以来、通行人がこの石を掻いて桃の実ぐらいになると、石の下から出してやると言われた。
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オニ 1967年 茨城県 鹿島の大神が、高天原地方の鬼を退治した。首を埋めたところを鬼塚といい、血で染めたのでそこの砂が赤いなどと言われる。ここに住む鳥類を食べると、その家に災難がくる。
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ケモノ,ライジュウ 1978年 長野県 信濃の更科山で、ある年の暴雨の時、山から獣の死体が2つ流出した。目の大きさは犬くらい、灰色で頭は長く、くちばしは半黒く、尾は狐のようで、爪は鷲に似ていた。落雷のとき、木の根に爪の跡のようなものがあるのはこの獣の仕業か。明和7年閏7月伊奈郡駅科村で捕えられた雷獣も、近江国かがみ村で落雷の際に捕えられた獣も同じ姿をしていた。
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