(シンポウガフル) 1977年 京都府 後土御門院の延徳元年3月に、京都の吉田山に太神宮が飛び移ってきたので、本当のご神体である神宝が光を放って降りたと吉田兼倶が密奏し、ここに神明社を建てた。
類似事例 |
|
シンタク,カンレイ 1983年 京都府 婢女文子という者の家に菅霊が現れ、右近馬場に住もうという神託があり、その地に霊廟を建てた。6年後、近江国の禰宜良種に、北野に一夜に千本の松を生じさせよう、そこに建てる社を天満天神と崇めよという託宣があった。そこで朝日寺の住僧・最珍と、文子が力を合わせて霊社を造立したという。その後、文子の夫の子孫は代々神職を務め、妻は代々文子と称して当社の巫女を務めるようになった。
類似事例 |
|
ヒビヤシンメイ 1974年 東京都 寛弘2年9月16日に、日比谷あたりにおいて御神幣と大牙が降ってきたので、村中の者が怪しんでいたところ、どこから戸もなく7歳ほどの女の子が現れた。その子は眼色が変わり狂いだして口ばしることには、自分は伊勢内外宮の神であり、鹿島の地にいる悪軍を退治した後だという。そしてこの地に自分が来た証拠に2つのしるしを降したので、早速社殿を建てて祀りをせよと命じた。神が抜けると、その女の子もどこかに消えた。
類似事例 |
|
オハライサマ 1915年 和歌山県 御祓様という社がある。寛永2年11月8日午の上刻、中島利兵衛の家に空から伊勢の御祓が降ってきた。そこでこの地に祠を建てようとして敷地を決めたら、利兵衛の頭が痛くなり始めた。床についていると夢に大神が現れ、祀る場所を告げた。早速お告げのところを掘ると鏡が出てきた。そこで御祓をご神体にして社を建て、鏡を納めたのが、由来である。
類似事例 |
|
ホクトシン,ユメ,オツゲ 1975年 愛知県 永禄5年3月4日夜、宝積院開基の春岳和尚と村人久兵衛が寺の裏山に明星2星があらわれて「われ北斗神なり、ここに一軒の寺を建立してくれ」という夢のお告げをうけた。揃って裏山へ登ってみると白紙のお札が降っていた。それを寺へ安置して高野御前の社を建立した。96年後明暦4年春にまた住職が夢のお告げを受け、それに従い種池を掃除して改めみた処、土中から蛭子様と大黒様の姿石が現れたので、高野御前の社へ納めた。
類似事例 |
|
ミチビキイヌ,コウボウダイシ 1935年 和歌山県 弘法大師が帰朝し弘仁7年密教禅院を開創しようと巡礼中、大和国宇智具にやってきたとき白黒2頭の犬を連れた狩人明神に出会い、地形についてたずねた。狩人は紀州伊都郡の南に霊地があるとして2頭の犬を先頭にして進むと突然丹生都比売神が現れ山上に導いた。その時老松の上に大師が唐から投げた三鈷金剛杵が燦然と輝いていた。大師はその利験を喜び霊場を開いた。導いた犬を伝えて導き犬という。
類似事例 |
|
オショウ,タタリ 1985年 愛媛県 円通寺の恵林和尚は大の金満家だったが、金に未練を残して病死した。その金を狙った人に祟ったため、小祠を建てて桜木明神として祀り、旧暦七月八日に施餓鬼をした。
類似事例 |
|
ドクリュウ 1970年 静岡県 牲渕に住む毒竜が少女を害していた。得寿寺の芝源和尚がこれを教化し、毒竜は女となって和尚のもとに来て、鱗を残して去った。毒竜は人を害する代わりに毎年祀ってくれるように頼み、それで6月28日に供養を営むようになった。
類似事例 |
|
タケコマジンジャ 1956年 宮城県 承和2年(835)4月、参議小野篁が国司に任ぜられ多賀国府に下るとき、京の稲荷山の分霊を陸奥に勧請するため長櫃に収めて下った。途中、千貫松のふもとで八声鳴いて白狐が長櫃から飛び出し、武隈の森に走り込む。ここに社を建てよという神の告げとして分霊を祀る。陸奥に下った能因法師が、篁卿の建てた社の所在を竹馬に乗って遊んでいる童子に教えられたというので、寺を開き竹駒寺と称して別当とする。
類似事例 |
|
(モノノケ),キツネ,イナリ 1978年 東京都 享保12年11月、小伝馬町のある26歳の女の様子がおかしくなったので東叡山凌雲院の大僧正に祈祷してもらった。すると狐が憑いていて、社を建てることを要求した。
類似事例 |
|
ジゾウボサツ,セイメンコンゴウ 1983年 愛媛県 柿の木部落に地蔵菩薩を信じる兄と青面金剛を信じる弟がいた。弘法大師がやってきて兄弟に感心し、それぞれ仏像を刻んだ。後世、松が鼻に地蔵堂を、松尾坂麓に青面金剛の堂を作った。乱世で失ったが、その後北宇和群広見町深田の庄屋河野勘兵衛通行が松が鼻で石を枕に寝ていると夢地蔵菩薩が現れ、掘り出して供養すれば婦人のお産を安泰にする、と告げたので掘り出して祀った。これが現在の子安地蔵である。その後再び夢のお告げと二匹の猿の導きで松尾坂の青面金剛も掘り出し、お堂を造り祀った。これが現在の庚申堂である。
類似事例 |
|
レイム,ギョウキ 1929年 東京都 富士浅間社の縁起に、天正元年に木村がみた霊夢によって、本郷の中にあった古塚から行基が製作した牛王板などを得た。そして社を建てて富士浅間を勧進した。
類似事例 |
|
ミズゴイジゾウ 1990年 長野県 元禄3年より前に、原本村の丸山家で井戸を掘ったところ、地蔵様が出てきた。村で地蔵を建てて祀った。水の欲しいときにこの地蔵様を女鳥羽川に投げ込んで祈ると、雨が降ったという。
類似事例 |
|
レイム,シンレイ 1973年 秋田県 大平山に鎮座する三吉大明神を信仰している者が怪しい夢を見た。それは山上で神人が人に日頃信仰により利益を与えるというものだった。妻も同じ夢を見たので急いで祠を建てると様々な願いが叶ったが、成就した時餅を供えなければ祟った。
類似事例 |
|
キツネ,キツネツキ,サダキチイナリ 1973年 東京都 文政8年4月4日神田明神境内の門の外に稲荷の祠が建てられた。その縁起は、神主の家を皆で援助しようと会合をしていると参加者が連れてきた奉公人に明神の門を守る狐が憑いて、祠があれば位を得る事ができるので建ててほしいを言った為である。
類似事例 |
|
テング,タカガミサマ 1989年 山梨県 奈良田に天狗森というところがある。明治23年に天狗森の木を売却することになり、中巨摩郡の小笠原の大衛門という人が買主となってこの木を伐採した所、その夜に火災が起こり、外良寺をはじめ13戸が焼失した。村人は天狗の祟りと恐れ、すぐ桧苗3本を植え、祠を建てて天狗を祀った。買主の大衛門は事業で失敗し自殺したという。また2本の下駄の歯に似たような跡がある岩があり、天狗の足跡といっていたが今はない。
類似事例 |
|
ダイジャ 1983年 岩手県 南部藩の殿様が並木松を通ったときに、木の上に大蛇がいた。帰り道にもまたいたので、「出迎えはありがたいがあまりに神々しすぎるのでもう出てくれるな」といい、そこに蛇を祀った。それが底沼大明神。
類似事例 |
|
カミサマ,ダイコクサマ,イズモサン 1988年 岩手県 日露戦争が終わった翌年の明治39年に青森県上北郡の中村常太郎という人が出雲大社へ参りに行く途中で道に迷い、江刺家の森越仁太郎氏の父の春松氏の家へやってきた。貧しかった春松氏は借りてきた金を渡して中村氏を送り出した。後に出雲から帰ってきた中村氏はお礼にお札を置いていったので、家の中に祀ったが、ある晩、夢枕に神様(大黒様)が現れ、「ここは煙いので、小さなお宮でもよいから家の外に建ててそこに祀ってほしい」という。お宮を建てた後、一生懸命働くうちに貯えができてきた。このお宮は「出雲さん」と呼ばれている。
類似事例 |
|
リュウノホネ 1970年 滋賀県 文化元年の冬、近江国で農夫が竜の骨を掘り出した。そこで、その地に伏竜という祠を建てたという。
類似事例 |
|
ビシャモンテン,(アマゴイ) 1976年 大阪府 白河院の御宇、永保2年に旱が起こった。その時、大江神社(乾の社)の毘沙門天像を葭島にわたして雨を祈ったところ、たちまち霊応があった。以来、6月16日を夏祭りとして、神輿を葭島にわたし、神供をそなえていたという。
類似事例 |
|