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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

トゴノドウジノゾウ,エキジン
1983年 京都府
昔、雲慶2年に天下に疫病がはやり、万民が多く死んだので、土午をつくって疫神を祀ったという。そこで今でも、大寒の日には夜半に陰陽師たちが土午童子の形を作り、門々に立てるそうである。

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ウシオニ,ウシノヨウカイ
1973年 愛媛県
昔、疫病が流行したため、疫神退散を願って牛鬼をつくり、厄払いをした。また、牛のよう会が出て農作物に被害を蒙った。そのため怨霊を慰めるため牛鬼をつくり、祭事に奉仕し、被害から免れた。
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マリシテン,ヤマブシ
1983年 岡山県
天正の頃、村人が村にやって来た作法知らずの山伏を切り殺してしまったところ、悪疫が続いた。これは山伏の祟りであろうということになって祀ったのが、現在ある摩利支天なのだという。
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ゴズテンノウ
1983年
昔、永正年中に疫病が流行り、人々が数え切れないほど死んだ。そこで、大内義興と卜部兼忠が、祭神として牛頭天王を勧請した。
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ヤクビョウガミ
1982年 新潟県
2月8日と12月8日には疫病神が来るといい、疫病神の食べ物として、1年分の草餅12個を木の枝にさげ、8日朝には、それを三叉路に立てて、戸口には朝食が終わるまで、線香をきらさずにともしておくまた、疫病神が家に入るのを防ぐために戸口に唐箕をさげる。
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ジゾウ
1958年 三重県
4、5歳の子が高熱に苦しんでいた。ある夜父親の夢枕に新道の地蔵様が立ち、早速お参りに行くとその日の夕方から熱が下がったので立派なお堂を建てた。この話が広まり、地蔵様は付近の村々から参拝者が集まる流行神になった。流行は4、5年続いた。
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ヤクジン
1976年 東京都
天保8年2月下旬、次女の乳母が日暮れに急に寒気立ち、夜着を被って打ち伏せていたところ、翌朝になり、昨夜より風呂敷包みを背負った男が側にいると言った。これは疫神かと、種々の札を枕元に掛けたところ、男は立ち去ったといって全快した。ところが上野の祭礼に主人とせがれとで行ったところ、急に歯が痛くなり、家に帰ると治った。すると乳母が再び寒気を訴えた。そこで刀を抜き乳母を峰打ちにしたところ、男がすぐに立ち去るので、障子を開けて欲しいと言った。障子をあけると乳母はそこで倒れたが、そのまま起き上がり正気となった。早く塩をまいて箒で掃き清めよ、と言った。
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エキビョウガミ
1940年 秋田県
旧暦2月の9日、11月9日は疫病神が朝早く通るので、門口に目のあるものを下げて通してしまう。晩には餅を搗いて参俵に乗せて川に流す。この時の参俵は左捻りに作る。
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キフネノカミ,タタリ,サクゴシ
1983年 京都府
後奈良院の御世、京中に咳疫が流行し、子供が多く死んだ。卜者によると、貴船の神の祟りだという。これによって弘治2年9月2日にこの神を祭り、時疫を退けさせた。今でも洛中の子供が、小神輿といって祭るのはこの遺風だという。
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ヨーカゾー
1950年 東京都
南多摩郡・唐木田では12月8日と2月8日にヨーカゾーという疫病神が来る。この日外出している者がいると帳面に判を押し、道祖神に預けていく。子供らが正月13日の晩に道祖神前に小屋を作り、14日朝サイノカミをするのは、この帳面を燃やすためだという。
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シユウ,テング,チリョウ
1983年
昔、蚩尤という悪人が黄帝と戦い、正月15日に殺された。蚩尤はその後天狗となり、その身は地霊となった。そこで、正月15日亥の刻に、小豆の粥を煮て天狗をまつり、これを食すれば年中の邪気を除くという。
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ウシ
1931年 長野県
大昔、神様が笹原を切り開くために乗ってきた牛が死に、石になった。牛石様と呼ばれ、疫病の神様とされている。県道を設けるために移したら、翌年百日咳が流行したので、祟りだと言われた。また、欠けたときの牛の乳のようなものが出たそうである。
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ジヌシガミ,ジヌシサン,ジノヌシサン
1961年 鳥取県
地主神は石を積み重ねたもので祠はない。昔は戌亥の方にあったが、病人が出たときに、拝み手が来て、方角が悪いといったので、現在の坤の方にかえた。とても祟るので子どもは近くで遊べなかった。正月はシメを飾る。
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(ゾクシン),ヤクビョウガミ
1935年 山口県
正月7日の朝には疫病神が札を配って歩くので、朝寝をする。朝、戸を開くときには、門口で線香を焚けば病気にかからない。疫病神は線香を嫌う。
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オコトノカミ
1956年 山梨県
旧師走8日と2月8日を八日様といい、門口にスイノウ、目籠等を掛ける.。この日にはオコトノカミという目の大きい(1つ目とも言う)怪物厄病神が各戸を覗き手帳に厄病を病ませる人の名前を記入して歩く。だから覗かれないようにスイノウ、目籠等をかけておどかす。疫病神は自分よりも目の大きいものがいるというので逃げ帰る。
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リュウ
1967年 茨城県
龍が美女となって夜に出てきた。若侍が笛を持って現れ、2人は語り合っていた。翌日この若侍は水面に死体となっていた。里人はこれを葬ってやり、1体の祠を建てた。これが弁天様となっている。
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テンノウサマ,アクビョウガミ,ウシノエカミ
1982年 新潟県
7月14日は各地で天王さま、祇園さまの祭りをする。天王様は疫病神で病気にならないようにと初生りの胡瓜を供え、各家では縁側に簀をさげ、悪病除けに杉の小枝に幣束をさげてさし、牛の絵紙を逆さにして入口に貼る。牛の足をあげておくと悪病神がきたときに、すぐ蹴り飛ばされるといわれている。
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トロロ
1956年 宮城県
一月五日の早朝、年男は戸口の敷居に鳥の羽でトロロを引く。そしてトロロを食べ、神前に小豆飯を供える。トロロを引くと、悪病が戸口から侵入するのを防ぐという。
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カミサマ,エキビョウ
1985年 東京都
昔、宝木塚村に疫病が起こって死者が出たので村人は恐れた。村に守護神がなく不信心なことが原因ということになり、浅草から第六天神様を勧請して祀った。
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オニ,ジャ
1915年 愛媛県
亥の子の晩に子供たちは、「亥の子亥の子、亥の子の晩に餅搗いて祝わぬ者は、鬼うめ蛇うめ、角の生えた子うめ」と歌いながら、家々の門前を廻った。
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ハヤリヤマイ,アクマ,オニ
1986年 長野県
ある時、村に流行病がはやって大勢死人がでた。そこで庄屋は、これからは自分の家を悪魔の宿として貸すから流行病を村から追い出してくれと願をかけた。そうすると流行病は一段落したという。それから庄屋の家では節分のときに豆まきをしないで、障子をあけて悪魔や鬼を迎え入れるのだという。
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