ウマハシサカノマンスケキツネ,ムガサリ 1956年 宮城県 万助狐はこの地方を代表する狐の一つ。近年も健在らしい。日は決まっていないが年に一度くらい,部落で酒盛りがある夜やどこかの家で御馳走のある宵などに馬橋坂で明りを連ね,笛太鼓のお囃子つきで盛大なお祭騒ぎを演じて見せる。ある時は「ムガサリ」(注:523頁によれば「むかさり」は嫁入り)の長持ち担ぎの行列を見せる。小野寺某氏一家がこれを実見したが,なかなか見事であった。
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キツネ 1926年 長野県 玄蕃之丞と名乗る狐が毎年のように村の主な人々を宴会に招待した。そんなときは、近村の豪家の婚礼などの配膳がすべて紛失してしまう。佐右衛門どのやコンコン坊と共同してなしたことだった。
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マンジュロウギツネ 1976年 宮城県 馬橋坂というところに万寿郎という狐が住んでいた。宗作爺が親類の家の屋根替えの手伝いに行き、月形餅や撒餅をもらって帰途についた。途中学校の前に来ると、子供達が爺を見つけ寄って来て、土産をくれとじゃれついてきた。爺は嬉しくなって子供に包みの中のものを全てくれてやったが、気がつくと子供の姿はなく、万寿郎狐にだまされたのだった。
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キツネ 1998年 奈良県 婚礼のご馳走を重箱に入れてもって帰る途中、狐に騙されて、畦道に座って芝居見物をした。気がつくとご馳走はすっかりなくなっている。そういう話が昔はよくあった。
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キツネ 1990年 大阪府 ある村に百姓狐がおり、村の者の手伝いをして食料にありついていた。別の村にいた狐は毎朝大和川べりを歩いて開墾地を探し、半軒四方の畑を耕した。けれども畜生の悲しさですぐ場所を忘れ、また次の日も開墾地を探して鍬を担ぐ狐の姿が見られたという。
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キツネ 1999年 宮崎県 えびのの入佐原には太郎狐、中原には千代乃狐という有名な化かす狐がいた。岡本の人が正月祝いの帰り、友人が「話が残っていた」と引き返したので、一人で歩いていた。しばらく行くと、その友人が先回りしていた。「早かったな」と言いながら歩いていたが、どんどん違うほうへ行く。そのうち友人も消えて目の前は山になり、酔いが廻ってきて寝てしまった。目が覚めると腰につけていた料理は盗まれていた。狐の仕業。
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トウゴロウキツネ 1956年 宮城県 八景橋の辺りに藤五郎と呼ばれる老狐がおり,よく通行人を騙した。中津村新田に勘作という獅子舞の師匠が,ある日大田袖沢小谷地の物持須田某に招かれた帰途,大きな屋敷に是非にといって招きいれられた。一行は終夜踊り通したが,夜が明けてみると八景橋近くの谷地の中におり,土産が全部無くなっていた。藤五郎狐の仕業だという。
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ムジナ,ダンザブロウムジナ 1934年 新潟県 佐渡島には狢が群れをなして住んでおり、その首領の名前を団三郎と言った。鎌倉時代の末期、狐が渡って来て、団三郎と妖術の勝負をした。狐は嫁入りの行列をして見せた。そこで団三郎は大名行列をして見せると狐に行った。狐は大名行列のあまりの見事さに驚いて近寄ったら、その行列は本物で、狐は殺されてしまった。それ以来、佐渡島に狐は来なくなった。
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キツネ 1988年 群馬県 砥沢や余地峠にはよく狐が出てばかにされたことがあったという。ある人が勧能からサンマを買って帰ってくるとき、合芳橋のところできれいな家があると思って寄ったところ、実はモモヒキを脱いで桑畑に座り込んでいたのだという。
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キツネ 1976年 宮城県 佐藤清蔵という人が山で「婆欲しい」と叫んでいたら、ひとりの女が「ええ人みつけたがいらねえか」という。清蔵はその場で祝言の日を決め、魚を買って用意した。祝言の日、酒を飲みすぎた清蔵が目をさますと誰もいない。狐にだまされて魚を食われたのであった。
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キツネ 1990年 大阪府 昔、祭りに行った帰りに1匹の狐に出会った。祭りで買ったかんざしを与えたところ愛が芽生え狐はいそいそと結婚準備をしたが、彼を喜ばせるために運んだ嫁入り道具が多すぎて疲労のために死んでしまった。
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マンキチコロバシ 1956年 宮城県 明治の初め頃,烏頭ヶ浜部落に万吉という酒好きの若者がいて,七曲りを通るたびに狐に騙されて谷や沢をひきまわされ,土産の魚を攫われたりしていた。口惜しがった万吉は復讐を決心する。お薬師様の宵祭りの晩に酒に酔ったふりをして七曲りを通ると果たして男の姿をした狐が出てきたので,万吉は男を縁日の掛茶屋の奥に誘って酒や肴をたらふく馳走した。二人でグウグウ寝ていたが,万吉は相手が寝込んだ頃そっと起きだして茶屋の主人に「代金はあの男から貰うように」といって立ち去った。翌朝狐の正体が見顕されて大騒ぎとなり,棒で散々叩かれて命からがら逃げ出してきた。万吉は大得意であったが,二,三日後七曲りの崖下で万吉の墜落死体が発見された。以後そこを「万吉ころばし」と呼んでいる。
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キツネ 1989年 鳥取県 大山の麓の種原で魚売りの商人が大勢の狐に襲われ、木に登って逃げた。「藤助のかかあを呼んでこい」という声がして、大きな古女狐が来た。商人は襲ってきた女狐の額をカナリョウで打ち、女狐は死んだ。種原の藤助は妻が狐とは知らず、田植えができずに困っていたので、仲間の狐が一晩で植えてやった。藤助の稲は穂が出なかったが、刈り取ってみると茎の中から米が沢山出て、分限者になった。
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タネノトウスケ,キツネ 1981年 鳥取県 種の藤助という家の嬶さんは狐だった。藤助の家の田は、助けた狐の子が恩返しによその田でできた米をくわえてもってきたので豊作になった。
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キツネ 1990年 大阪府 信太山から大和へ狐が嫁に行った。茶屋で休んで婚礼の料理を食べたが、この料理は庄屋の婚礼の料理だった。なぜかというと、消えた庄屋の料理の数と婚礼の行列の数が同じだからである。
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キツネ 1956年 宮城県 明治の中頃,ある男が婚礼に参加し折詰めやお土産を貰っていい機嫌で帰ってきた。しかしいくら歩いても家の近くにある筈の森が見つからず,気がつくとまた元の場所に戻ってきている。落ち着いてよく見ると,そこにはちゃんと森があった。帰宅してみるとお土産はみんな無くなっていた。その場所ではしばしば村人が狐に騙され,道に迷わされて食べ物を巻き上げられた。
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タキノタンジロウキツネ 1956年 宮城県 この地方で代表的な狐の一つ。老人の話では,明治の中頃まで丹次郎狐と花立山のお花狐とが組んでよく嫁入り道中を見せてくれた。二匹とも死んだのか,近年は実見談が聞かれない。
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キツネ 1936年 新潟県 穴に住んでいた狐が居なくなった。ある日婆さんが寺の嫁さんに会って砂糖をもらった。しかし本当の嫁さんは、その日全く違った所にいた。おそらく狐が嫁さんに化けて婆さんに昔の恩返しをしにきたのだろう。
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ゲンゴロウギツネ,コジョロウギツネ 1975年 奈良県・三重県 大和国宇多に人の手助けをする源五郎狐がいた。あるとき飛脚に頼まれ文箱を運んでいるとき山中で犬に殺された。伊賀国上野の広禅寺にその妻だと言われる小女郎狐というものがおり、寺の手伝いをしていた。延宝のころのことだがいつの間にかいなくなった。
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キツネ 1984年 山梨県 結婚式の帰りの夜道をご馳走を持って歩いていたら、狐に「こっちだこっちだ」と声をかけられて連れ回され、おみやげを取られた。
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