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検索対象事例

キョウワノイッパイミズ,カッパ
1987年 長野県
赤沼池のかっぱは力が強く,力比べをしては相手を沼へ引っ張り込んでいた。諏訪の殿様がかっぱと力比べをした時,殿様は協和村(現佐久市)の大谷地まで馬でぐんぐん引きずっていった。かっぱは殿様に許しを乞い,その御礼にその場所に清水を出した。それが「協和の一ぱい水」である。

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カッパ
1959年 長野県
長野県の佐久から諏訪に出る途中に赤沼池という池がある。昔は河童が棲んでおり、石の上に座って旅人に鉤曳きを挑んだと伝えられている。
類似事例

カッパ
1987年 長野県
昔,十人村の男が甲田池の傍に馬を繋いでおいたところ,かっぱが馬を池に引きずり込もうとした。馬は暴れながら馬屋に帰ってきたが,かっぱは引っ張られてくる途中で頭の水をこぼしてしまって力が抜け,馬屋の隅にじっとしていた。男が来るとかっぱは謝り,「何かおふるまいのある時は必要な膳椀をそろえるから許してください。」と詫びた。許してやると,それから振舞いのあるたびにかっぱが前夜膳椀をそろえ,使った後は持って帰った。ところが,近所の男が一膳分だけ隠しておいたので,それ以来かっぱは膳椀を貸してくれなくなった。
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カッパ
1932年 長野県
赤沼のほとりにある鍵引石の由来。昔この沼にすんで旅人に鍵引を挑んでは引きずりこむ河童を、諏訪の頼遠が負かして沼を去ることを約束させた。河童は和田の山中に一夜にしていけを作り、そこへ移ったという。
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カッパ
1982年 長野県
昔、和田峠に池があり河童がいた。六歳くらいの男の子の姿で、旅人を引き寄せ池に引きずり込んでいた。この話が諏訪の殿様の耳に入り、家来の荒源太が退治に向かい、河童を捕まえ、馬で引いた。「もうしません許してください」というので池とともに去ることを命令し、許した。池は隣の山裾に移り、一夜池とも言われた。
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カッパ
1989年 長野県
せば淵にかっぱ一族が越してきた。馬のシリノコで宴会をしようとしたが、失敗して人間のシリノコを取りに来た。するとその民家に諏訪の殿様の家来の武士が泊まっていて、かっぱは腕を切られた。しばらくするとかっぱが腕を返してくれとやって来て、武士はかっぱに一族郎党皆人間に悪さをしないことと腕をつなげる技術を教えて貰えることを条件に返してやった。武士は最後には藩お抱えの接骨医になった。
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カッパ
1980年
豊前国に河幅が広く徒歩で渡る川があり、夜に渡ろうとすれば必ずかっぱが出て相撲を取ろうとする。小笠原信濃守の家臣・大つか庄右衛門の家中に力の強い者がおり、相撲を取ったところ、かっぱは動きが早く、また捉えてもウナギのようにすりぬける。そして全身針のように尖っていたので傷だらけとなり、その者は病気になってしまった。
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アカイテ
1990年 長野県
三才山の庄屋の娘・おみつは働き者の美人で、ムラの若者と恋仲になり、芦ノ田の池の淵で逢瀬を重ねていた。松本の殿様がおみつを見初めて城へ召し上げようとしたが、おみつは断って若者と会っていた。殿様は二人を切り捨てて池へ投げ込んだ。以来、馬を連れて池の端を通ると、池から血まみれの赤い手が出てきて、馬の尻尾を引っ張ったという。
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ドクジャ
1976年 静岡県
桜村に池の社という方5町程の2つの池がある。毎年8月彼岸の中の午の刻に半切り桶に赤飯を盛って水泳が達者なものが池の半ばまで押し行き池の真中で手放す。池の水が渦巻いて桶は水中に沈む。伝えによると昔、国主が入国した頃、妾とこの池辺りに遊興した。すると俄かに池に波が立ち妾が池に引き込まれてしまった。国主は怒って池に焼いた石を投げ入れさせ続けた。7日7夜続けたところ毒蛇が死んで浮かんできた。頭は牛のようで、背に黒い鱗があり、白い角が生えていた。また肥後の阿闍梨皇円の霊魂がこの池に入ったとも言われる。
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コウボウイド
1987年 長野県
細谷三ツ谷の沢にある湧き水をいう。昔,弘法大師がこの村を通り,咽喉が渇いたので老婆に飲み水を求めると,快く水をくれた。しかし,飲み残しを地面に捨てると老婆が大変怒ったので,大師は謝って,持っていた杖で山の下を突いた。すると不思議なことに,そこから清水が湧き出してきた。これを弘法井戸と呼んでいる。老婆へのお礼とお詫びの気持ちを表したという。
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ノウゾウイケノヌシ,アカウシ
1991年 山梨県
能蔵池の主は赤牛で、旱天のときは雨乞いによって雨を降らせてくれるし、何でもかなえてくれた。また人寄りがあって膳椀を貸してほしいときは貸してくれた。ただ、ちゃんと返さない者があったり、汚物を洗ったりしたために、赤牛が怒って池を飛び出し、甘利山の椹池にいってそこの主になった。
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ニチレンショウニン,ツエ,イズミ
1967年 山梨県
昔日蓮上人が通った時、水を飲みたくなって一人の姥に水を求めると、姥は遠方まで水汲みに行って上人に出した。日蓮は気の毒に思いそこに杖をつき立てると泉が湧き出した。今もこれを姥清水と呼んでいる。
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キンノチャワン
1989年 長野県
豊若丸という少女が金の茶わんを持っており、新野の豪族に追われ、沢に飛び込んで溺れ死んだ。坂部の人が見つけると金の茶わんを握っていたので、葬ってその茶わんで水をあげた。すると夏は冷たい水が、冬は温かい水があふれ出したので、沢の岩の下に入れた。そこからわく水をなんきん清水という。
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イケノヌシ,アカウシ
1991年 山梨県
小淵という池があって、池の周囲には木が繁り、小さな石祠が立っている。むかし人寄りがある時に村人がお客の人数だけの膳を頼むと翌朝には貸してくれた。ある時、日限までに返さない不心得者がいて、池の主の赤牛が池を飛び出して諏訪湖の方へ行ってしまい、貸さなくなってしまった。
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ナンソボウ,ハチタロウ
1928年 秋田県
十和田湖の主である八太郎のところに怪僧南祖坊がやって来て、湖をわたせと言った。両者は戦い、八太郎が負けた。米代川をせき止めて新しい湖を造ろうとしたが、山の神に石つぶてを降らされて八太郎は再び逃げた。そして遠く八郎潟に逃げて主となった。
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カッパ
1987年 長野県
ある人が千古の淵の近くの木に馬を繋いでいた。すると,千古の淵のかっぱが出てきて馬のしりを抜こうとした。馬が暴れたのでかっぱは頭の皿の水をこぼしてしまい,馬に引きずられて家まで行った。家の者が見ると馬の尻尾に妙なものが掴まっているので,柄杓で叩こうとしたところ,柄杓に入っていた水がかっぱの皿に入ってしまった。かっぱは息を吹き返し,たちまち逃げ去っていった。
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カッパ
1980年 埼玉県
武蔵国河ごえのそばに、たてという所がある。子供が馬を洗おうと川に入ったら、急に馬が暴れて子供は川に投げ出された。人々が川を見ると、その子供のそばにかっぱがいたので捕らえて殺そうとした。しかし近くの寺の和尚が哀れに思い、里人に命乞いをして助けた。かっぱは二度と人馬を捕らえないと約束し川に帰った。その晩に和尚の枕の側に、お礼の鮒が2匹置いてあった。
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オオカミ
1974年 福井県
越前国大野郡菖蒲池あたりは狼の群れが出るので、日暮れには人が通らなかったが、ある僧が菖蒲池の孫右衛門の所へ行こうとして狼に遭遇した。僧は大きな木の上に登って逃れようとしたが、木の下にいる狼は孫右衛門の嬶を呼んでこようと言う。すると大きな狼がやって来て、肩車をして自分をあげろという。そしてもう少しで僧のいる高さになろうとしたので、僧は小刀で突いたところ、肩車は崩れて狼は離れていった。その後で僧が孫右衛門の家に行くと、昨夜妻が死に、死体は大きな狼だったという。
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ヘビ,イケノヌシ
1965年 高知県
赤泊の池の主は夫婦の蛇だった。その池に庄屋が鴨撃ちに行ったとき、下男が小刀を池に落してしまった。小刀は蛇の側に落ちた。その夜庄屋の夢に蛇が出て「小刀を取ってくれ」と頼んだが、庄屋は取りに行かなかった。数日して下男が大月の神社に参ろうとして出かけると、途中で遍路姿の夫婦者に「参る必要がなくなったから帰れ」と追い返された。下男が帰ってみると、庄屋は死んでいた。それから家の者も次々に死んでしまった。庄屋は死に際に「祀ってくれたら村の暮らしを楽にする」と言い残したので、庄屋の墓に祠を作って祀っている。赤泊の池は今では田圃になってしまった。
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ダイジャ
1932年 長野県
智や姿が二人の兄に勝っていた甲賀三郎頼方が、魔神にかどかわされた妻を助けるため蓼科山の岩穴に潜ったが、兄たちの陰謀で出られなくなった。岩穴の中で神の栗餅を食べて人間でなくなった頼方は、大蛇の姿となって諏訪湖へ入った。
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リュウジン
1989年 群馬県
赤城の竜神、唵佐羅摩女は、伊香保の沼(榛名湖)の竜神、吠戸羅摩女と沼をあらそう時、西(伊香保)から毛垣をとって東へ投げ、東(赤城)より軽石を河から西へ投げた。
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